鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

3月です。

2008-03-01 22:44:00 | 広瀬川

 3月です。

 今年も早いもので2ヶ月が(2ヶ月も)経ってしまいました。

 今年も残りあと10ヶ月です。

 冬になって、お正月が来て・・・。

 冗談はそのくらいにして、きのうの写真です。

 

 澱橋の上から、下流域を撮ったものです。

 一見すると鏡のように見えますが、実態は結構深みがあって、底は岩盤や小さめの石があり、その上にヘドロ状の赤ぐされした藻が敷き詰められ、つまりはこの辺は川としては流れがなく、死んでいます。

 橋のすぐ上流も同じようなものです。かってはアユ釣りのメッカだったのですが・・・。

 数年前には、橋の上から右岸側のヘチには鯉の姿が見られたものですが、ここ数年は見ていません。

 

 でもここには毎年春になると腹を空かせたニジマスが放流されます。4月下旬頃です。

 かっては写真の左下あたりでも竿を出すと結構釣れたものですが、ここ数年は写真の中央右側、ボサが見えるところに入って、中央からやや右岸よりがよく釣れるようです。

 自分もこの頃はそのようにして釣っています。結構釣れるものです。

 つまりは、午前中に橋付近に放流されたニジマスが川に慣れ、回遊し始めて、徐々に下流域に下っているということになるのでしょうか。

 ニジマスの放流では竿下に回遊してこないといくら竿を振っても釣れません。アユ釣りも同じ、どんなに上手にオトリ鮎を泳がせても、肝心の野アユがいなければ掛るはずがありません。

 だからうまく回遊しているところに竿を出せれば入れ掛りですが、そうでなければ釣れてる人をみて悔しがるだけです。歯軋りして空しさを味わうことになります。

 何しろ移動したくても移動できませんから。釣り人はそれぞれ最低限の距離しかとっていませんので、分け入ることができません。無理やり入ろうとすると露骨に嫌な顔をされ、文句を言われます。まあ、そうなると普通は諦めますよね。自分も諦めます、ニジマスなら。でもアユなら諦めないかも・・・。

 

 写真の中央は中州になっています。中州の両側は瀬となっています。かっては、左側の瀬から岩盤の深いトロ場に出るのですが、そこは釣り天国でした。子どもから大人まで、ハヤや鮒からアユまで一緒に釣りをしていました。

 私は子どもの頃は友達とそのトロ場でオモリ釣りを楽しんだものです。もちろん竹竿です。糸の下に三角錐のオモリをつけて、オモリの上に餌のミミズ(シマミミズ)をセットして、元竿は石で固定して当たりを待ちます。芯竿の先に鈴をつける人もいましたが、竿先を見ていればその曲がり具合で掛ったかどうか分かります。あの芯竿がクックッと曲がる瞬間を見るのは何とも楽しいものです。ハヤが多かったと思いますが、時には大きな鮒も掛りました。トロ場の上流の瀬にはうなぎも住んでいました。太いミミズをつかって石と石の間に押し込んで、うなぎの食いを誘って釣る方法でした。

 

 その瀬ではいわゆるガラガケでのアユ釣りが盛んでしたし、トロ場では長い竿を使ってのアユ釣り、ドブ釣りではなく同じくガラガケでのアユ釣りです。それも深いからできることなのですが、オモリの下にガラガケ用のハリを4から5本セットするのではなく、オモリの上にセットするといいますか、ハリの下にオモリをセットすると言ったほうがいいのでしょうか。深いトロ場での釣りを、掛けることをよく考えたつ釣り方だと思います。

 

 その瀬も今はなく、深く大きなトロ場も狭くなり、今は誰も竿を出さない、相手にしない場所になってしまいました。逆に今はいい釣り場といえるのかもしれませんが、そのまま静かに時をめぐらせてやりたいようにも思います。

 

 本当に川は生きているというのか、時とともに変わっていくものです。

 人間は各人の人生の範囲内において、川は変わってしまったなあなんていうだけなのでしょうが、大自然にとってはそんなことは全く一瞬のことなのでしょう。正に悠久の流れということなのでしょうか。

 


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