鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

静かに見守ります、

2021-10-19 14:10:04 | 思いつくまま

   

(アスファルトの上に寝転んで、ゴロンゴロンしていました。その一コマ。すごい牙です。)

       

眞子さまと圭、とうとうここまで来ましたね。来週は結婚式ですか。いやはや、参りました、すごいことです、二人とも。今は感心するばかり、そこまで、ここまでやるか、ここまでやるんだ、やれるんだ・・・・・。

  

なんともはや二人の思いというか執念というか、思い込みというか、決心決断というか、2年も3年もの間、マスコミや国民の多数から袋叩きされながらも、ふたりの愛を貫き通したことになるのでしょう。

      

圭の方は、直接自分のことではなく、自分の母親の問題なので耐えることが出来たのかなと思いますし、眞子さんの方は、自由に人を好きになったりできないし、好き勝手に動き回ることが出来ない中で、好きになった人と巡り合い、相思相愛の中となったのでしょう。

  

この機会を逃がしたらもう二度と好きな人と結婚することはできないだろうという危機意識、危機感がここまで頑なにさせ、頑張ることが出来たのかなあとお察しします。

     

この機会に、これを使わないと皇室から、皇族から永久に自由になれない、もうかごの鳥というか不自由な生活は沢山だ、自由に生きたい、そういう社会となっているはず、大学でいろいろ勉強して皇室以外の世界に強く憧れたのかなあ。

   

ここまで粘り強く、耐えに耐えてきたということは、本当に窮屈な皇室の生活が嫌になった、たまらなくなったのでしょうね。最初は私も日本の皇族がこんな形での結婚をしてもいいものか、大多数の国民から祝福された形での結婚にすべきという考えでしたが、眞子さまの粘り強さに負けました。

  

逆に、すごいことで、さすが眞子さまはそんじょそこらのレディとは違う、強い信念の持ち主であることかと大いに見直してきています。ここまでくれば、静かに見守ってやりたいなと思っています。

   

むかし昔の若かりし頃の私にとって、皇族皇室に対する考えがここまで柔らかくなったのは、振り返ってみれば不思議なことです。学生時代から、昭和天皇に対しては戦争責任を追及し、天皇制は廃止、打倒しなければならないと思っていたものです。

   

学生時代には、日本の天皇制と戦後の自民党政治は密着不可分の関係にあると考え、ともに打倒する対象であったわけです。それが、昭和天皇が崩御され、平成天皇となった明仁天皇の時代となってから、平成天皇が皇太子の時代からの言動には注目していたのですが、天皇制に対する考え方に変化が生まれました。

   

天皇制というよりは平成天皇・明仁天皇個人に魅力を感じ、引かれたというのが正しいかもしれません。一貫しての平和を希求する強い、粘り強い祈りに徹した姿勢に心打たれるものがありました。それ以来です、天皇に対しての気持ちが緩やかになり、希望が持てるようになったのは。

     

明仁天皇には美智子皇后が常についていて、二人三脚という形で活動されていたのがとっても印象的で、だからこそここまで心を打つものがあったのではないかなあなんて思ったりしています。

  

明仁天皇の思いは令和天皇にも十分伝わっていることとと思いますが、雅子皇后が早く元気になられて天皇と一緒に行動できるようになってくれればうれしいのですが。そうなってくれれば、日本の皇室も世界に誇れる皇室、日本国民統合の象徴といえるのではないかと思います。

            

そういう中での眞子さまの結婚問題です。この際、日本国憲法の精神にのっとり、皇室典範を見直すいい機会かな思うのですが、どうでしょうか。そこまで行くと自民党は決まって反対することでしょう。特に高市なんかは言語道断という感じですか。戦前の天皇制なり、家父長制の時代に戻りたいのでしょうからね、前々総理の安倍も。それが美しい日本でしょうから。

  

きょうの広瀬川分流は全く持って静かなものでした。静かすぎて今の自分には物足りません。昆虫類は完全に死に絶えてしまったのでしょうか。蝶々の姿は全くなかったです。蝶といえばこういう短歌がありました。  五所川原市の戸沢さんの作品です。

 『 「手良乎(てらこ)」とう『色葉字類抄(いろはじるいしょう)』にもある言葉今も津軽の地には生き延ぶ 』

何のことかさっぱり分かりませんでした。解説の方を読んでやっとわかった次第です。手良乎は  のことだそうです。知っていましたか? 色葉字類抄も初めて聞きましたが、平安後期に橘忠兼編による漢字表記辞書とのこと。

そういう辞書が、平安後期にもうあったのか。昔の人は偉いものです。色葉の「いろは」は「いろはにほへと」の いろは を当てている漢字表記なのでしょうか。

来年は、手良乎(てらこ)という言葉をいっぱい使わせてもらおうかな。でも、たぶん忘れているでしょうね、確実に忘却の彼方でしょう。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする