鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

啓蟄も過ぎ、徒然なるままに、

2020-03-06 17:12:27 | 思いつくまま

   

     朝から気持ちよさそうに寝ています!!!!!地域猫

きょうはあったかいのかそうでないのか、どっちでもありのようでもあり、それなりの気温の天気と言えるのか・・・。昨日は9.6度までがったようですが、きょうは8.4度ですね。これでもたぶん平年よりはあったかいのでしょうね。

   

きょう小学校から手紙が来まして、卒業式には出られなくなりました。そおつぎょう式は卒業生と教職員だけで行うとのことです。残念です。これで高校、中学校、小学校とすべて卒業式への出席はできなくなりました。

全国一律休校なんて暴挙を誰かさんが言い出したからです。この責任は大きいですぞ。この分なら入学式も全滅となるのではないでしょうか。本当にここ1,2週間が山場と言えるのでしょうか、何を根拠にそんなことを言い出したのか。 いわれたからと言ってほとんどすべてが”右へ倣い”となるということも恐ろしいことです。

    

このブログで何回か取り上げているNHKBSプレミアムの番組、今は朝7時45分からの再放送ですが、「グレートトラバース3」です。プロのアドベンチャー?田中陽希が歩いて日本の300名山を踏破するというものですが、今朝は琵琶湖畔の伊吹山の放送でした。そんなに高くはない1377メートルかな、の山です。

伊吹山ではなく、その前に放送された比叡山が思いで深いこともあって懐かしかったですね。なんかこの頃はすべて昔物語が多くなっているように感じますが、まあこれは仕方がないですね、加齢に伴う死への準備とでもいうようなものなのかもしれません。そのための一環としての昔の回想というものが、もしかしてあるのかもしれません。

    

昔の楽しかったことをいっぱい回想することによって、心に平安が訪れ、安らかに死を受けいれられるのかなあ~。死んだことがないので何とも言えませんが、生きている自分はそんなことを考えたりしているのですね。愚かなことと思わないでもないです。(こうして回りくどいことを書いてしまう。悪い癖です。)

というか、今日のブログを書こうとして、何を書こうかなと思ったときに、きょうの一日を振り返ってみたりするわけですが、何かを書き始めるとついつい両手はキーボードをたたきながら昔のことを語り始めるということになってしまうのですね。

   

時の流れに身を任せていると、思考はかってに昔のことに飛んでしまうことが多いですね。またこの頃は成り行きに任せているというか、あえて軌道修正しないで徒然なるままに書き続けてしまうということになってしまうようです。

と、読んでいる人からすればどうでもいいようなことをこうしてこのように長々と書き連ねていく、これが私の流儀なのだとわかってくれるものやらどうか、そもそも流儀として割り切ってもいいものかどうか、分かりません。

 

話しは比叡山です。比叡山は最澄が真言宗を開いた神聖な場所ですね。昔むかしここにも行ったことがありました。もちろん関西(といっても西宮の甲子園、浜甲子園です。)にいたころの独身時代のことです。

甲子園といえば、春の選抜野球、どうなるのでしょうか。ここにも新型コロナウイルス肺炎が大きく影を落としていまして、暗雲が垂れ込めています。毎日新聞や高野連は開催するかどうか、開催するとしてどのように開催するか、悩み抜いているところです。11日に結論を出すのだと言っていましたか。宮城県からは仙台育英学園高等学校が選ばれて出場することになっていますが、果たして試合ができるのかどうか、何とも言えません。

昔々は、蔦の絡まる甲子園球場を横に見ながら阪神電車で阪神甲子園駅から大阪(梅田)へ通勤していたものです。梅田からは地下鉄御堂筋線に乗って本町で降りました。甲子園球場はとっても広くて、初めて入ったときには、球場を出てから独身寮に戻るのに道に迷ってしまって難渋しましたっけ。

  

比叡山です。どういう経路で行ったのか、まったく思い出せません。日記を探してみてみれば分かると思うのですが、どこに日記があるのか、それが分かりません。量が多すぎていろんなところに分散していますから。

大学ノートで680冊くらいだったかな、4年位前に日記形式はやめて、同じ大学ノートを使って雑記帳としまして、新聞等の切り抜きから、その日あったこと思ったこと等を書き連ねています。馬鹿なのでしょうね、何かに書かないと、書き続けないと不安というか、生き続けられないような気さえしています。

これも身近に迫った痴呆症対策というか、物忘れを何とかしよう、少しでも遅れさせよう、そのために記録し続けようという健気な、自分なりの周りに配慮した結果ではないかと思うのですがどうでしょうか。こうやってまたどうでもいいことを書き連ねてしまっています。

 

比叡山は、大木がたくさんあり、鬱蒼としていた記憶があります。そんなに高い山という感じはありません。大きくて広ところですが、根本中堂には行った記憶があります。荘厳かつ頑丈そうな建物だったか。

比叡山の後、たしか坂本へ行ったと思います。明智光秀と関係のある坂本城です。今放送中のNHKの「麒麟・・・」にはまだ出てきません。そうそうケーブルカーがあったかな。そして坂本では、山城だったから結構高いところにあり、そこから谷底(というには大げさかな)に向かって瓦の平べったい盃みたいなものを投げる”かわらけ投げ”をした記憶があります。なかなかうまく狙った方角には飛んではくれませんでした。琵琶湖も見えてたはずです。

比叡山では親鸞や日蓮も修業したそうですが、一か月かそれ以上前にCS放送で見た日本映画、題名は「空海」だったかな、最初から見たわけではなったですが、見始めたらやめられなくなり、とうとう最後まで見てしまいました。3時間前後の長い映画でした。

中国にわたって高僧の下で厳しい密教の修行をし、日本人ながら高弟として認められ、たくさんの経典をいただき、苦労して日本に帰ってきたわけです。いわば当時の仏教の最高知識を取得しての帰国だったようです。そして高野山に天台宗を寺院を建立するわけですが、空海の前に最澄も中国にわたり、仏教、密教の奥義を窮めんとしたようなのですが、空海と比べると修業の序の口のところで日本に帰国してしまったようです。同じ密教でも密度が全く違うようなのです。

空海の方が全国的にも有名になり、ここが最澄の偉いところなのでしょうが、空海に比べてまだまだ未熟だと悟っている最澄が高弟とともに高野山を訪れるわけです。そして空海に教えを乞うわけですね。空海の下で、いろいろな経典を見せてもらって勉強をするわけですが、その結果最澄の一番の高弟が空海の下で勉学させてくれと最澄に頼み込むようになってしまい、最澄は一人比叡山に帰っていきます。

映画では空海役は北大路欣也でしたか。最澄と空海のやり取りの場面は迫力がありました。重みが違います。密教の奥義の窮め方の差異は大きかったようです。来る者は拒まぬという懐の深さのなかに有無を言わさぬ信念みたいなものがあり、言うことの一つ一つが重みをもつのです。いかに空海がすごい人であったか、あらためて実感した映画でした。何か最澄が気の毒なようにさえ思ってしまいました。

 

 ここまで読んでいただきましてありがとうございます。

 

 


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