きのうはあんなにいい天気だったのに、きょうは全く不安定な天気で、大粒の雨が降ったと思うと止み、霧雨模様となったり、止んで曇ってきたりとまあ目まぐるしい天気となっています。
そして気温も上がりません。車からの外気温では午後1時頃で18度でした。まだ仙台地方は梅雨入り宣言はありません。今週の天気は平年よりもやや低めかつパッとしない天気のようです。
きょう午後外出ついでに仙台朝市でバナナを買ってきました。いつもはフィリピン産のバナナですが、きょうはぐっと贅沢に台湾産のバナナです。痛んでいるようでもないのに、3本一包みの大きめのバナナが2セットで何となんとナントたったの150円でした。150円ですよ。
(これで150円)
我妻がいないときに買ったのですが、そのことを得意げに話したら何と言ったとおもいますか? 「きのう買って来たのに。一杯あるのに」と迷惑そうな感じでいうのです。 バナナは毎朝手作りジュースで使いますのでいくらあってもいいはずなのに・・・・。
しかも自費ですよ。自費(威張れるほどの金額では全くありませんが)で買ったのですからもっと慈悲の心を持ってほしかった。そう思うのは甘ちょろいのでしょうか。
私にとって、食料としてのバナナは子ども時代からあこがれの食べ物でした。よく昔は病気にでもならないとバナナは食べられなかったと言われますが、貧乏な我が家では病気になってもバナナを食べるなんてことはなかったです。
働くようになったら腹いっぱい自分のお金で買ったバナナを食べてやろう、というのが若い頃の何ともいじらしい一つの夢でしたね。 就職して西の宮の独身寮に入り、近くの甲子園の商店街でバナナの束を買って食べましたね。いやあ美味かった。文句なしです。それからもバナナはもう沢山ということはなく、現在に至っています。
バナナは朝早くからの鮎釣り大会には必需品ですよね。エネルギーをとるためにも、腹持ちがよくなるためにもバナナは貴重な食べ物です。そういう思い入れのある、思い入れの深いバナナに対しての我妻の言動は失礼ではありませんか?(なんて言ってみたりして (笑))
きょう6月12日は宮城県の防災の日、宮城県沖地震が発生した日です。1978年です。昭和にすると53年かな。マグニチュード7.4でしたか。震度5の地震が午後5時14分だったかな起きました。
(クルミです)
この日は忘れようにも忘れられません。長男の出産のため、なかなか生まれ出てくれないためにその日の午前妻が病院に入院した日だからです。仕事が終わって足早に病院に向かい、いざ中に入ろうとした時でした。急にぐらっと天地がひっくり返るかのような大きな揺れに慌てて近くの電柱か何かにつかまろうとしました。
(ウミネコ)
まったく立っていられませんでした。数十秒の揺れが収まると病院の入り口から大きなお腹をした妊婦たちが沢山外に出てきました。その時はその様子に圧倒されびっくりしました。我妻にも会えました。しばらくは外にいたのかなあ、その後病室に戻りましたが。
ガスタンクが故障し(爆発だった?)都市ガスが使えなくなりましたね。だから翌日生まれた長男は生まれてすぐの産湯が使えなかったそうです。難産の末の13日の誕生となりました。
(賽の河原?)
そういうことが39年前にありました。早いですね。その後も結構大きな地震はありました。ありましたが、その極め付きは東日本大震災で、そこからももうすでに6年以上も経過しています。
改めて過去の地震等を振り返ってみると、常に地震とともに生きて来たんだなあとしみじみと実感します。
(もうすぐ出番)
(何をしているのか?)
(草むらに絵を置いて撮影しているような・・・・)
そういう日本に50基以上もの原発があるのですね。やはり危険極まりない環境で綱渡りのような生活をしている日本に住む日本人としてこれでいいのだろうか、子孫に顔向けができるような生活をしてるのだろうかと反省させられます。
日本は素晴らしい、世界でいちばん住みよい国だと自画自賛自己満足し、嫌中嫌韓の本が巷にあふれかえっていますが、本当にそうなのですか。そんなに誇れるようなことをしているのでしょうか。ケント・ギルバートのいい加減な本が30万部の売り上げとかいう新聞広告を見たりするともう暗澹たる気持ちになってしまいます。
きのうの朝日新聞(を購読しているというだけで“反日”というレッテルを貼られるのですが)で哲学者の内田樹さんが言っていました。「政府を批判するメディアや市民のバックに、中国やコミンテルンがいると本気で信じている人もいる」と。ここまでくると愕然とします。
話しが逸れてきました。まだ東日本大震災のことを忘れていない人、忘れるべきではないと考えておられるみなさん、この本を読んでみてはどうでしょうか。しみじみと心に語りかけてくるのではないかと思います。
(表の帯)
(裏の帯)
東北の、みちのくの風俗、伝統と信仰という文化とともに書かれていることを理解できるのではないか、理解とまではいかなくても共鳴共振することはできるのではないかと思います。
(新聞の批評というか紹介本)
(新聞紹介よりもずーと前に買っていましたが、読むきっかけを与えてくれたのはこの本の紹介です。)
是非ともご一読をお勧めします。