多田銀山
2019-08-02 | 旅行
コテツと二人で多田銀山を見に行った。
多田銀銅山 悠久の館。
ここに車を停め、鉱山入り口(青木間歩)まで歩いた。
民家の前の溝にいたサワガニ。クマゼミの死体を大事そうに掴んでいた。
青木間歩。
鉱山内部。ひんやりして寒いくらいだった。湿気が高く、うっすら靄がかかっていた。
坑道。
坑道。
多田では銀と銅が採掘されていた。今回見学したエリアは、銀山地区なので、主に銀が掘られていたのだろう。採掘は、天平時代(729-749年)から1973年に閉山されるまで続けられていたらしい。
見学可能な坑道は短く、50mほど進んだところで行き止まりになっていた。
坑道を見学した後は、虫を探しながら悠久の館まで戻った。
悠久広場の堀家製錬所跡。
バッタを捕まえたコテツ。
バッタを取り続けるコテツをせっついて悠久の館に戻り、ジュースを一杯飲んでから帰路についた。
民家の軒先で咲いていたユリ。
コオニユリ。
多田銀銅山 悠久の館。
ここに車を停め、鉱山入り口(青木間歩)まで歩いた。
民家の前の溝にいたサワガニ。クマゼミの死体を大事そうに掴んでいた。
青木間歩。
鉱山内部。ひんやりして寒いくらいだった。湿気が高く、うっすら靄がかかっていた。
坑道。
坑道。
多田では銀と銅が採掘されていた。今回見学したエリアは、銀山地区なので、主に銀が掘られていたのだろう。採掘は、天平時代(729-749年)から1973年に閉山されるまで続けられていたらしい。
見学可能な坑道は短く、50mほど進んだところで行き止まりになっていた。
坑道を見学した後は、虫を探しながら悠久の館まで戻った。
悠久広場の堀家製錬所跡。
バッタを捕まえたコテツ。
バッタを取り続けるコテツをせっついて悠久の館に戻り、ジュースを一杯飲んでから帰路についた。
民家の軒先で咲いていたユリ。
コオニユリ。