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越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

メキシコシティは、ほんま寒い! 

2010年07月30日 | 音楽、踊り、祭り
きのうから、メキシコシティにきています。

ティファナで、テクニカルチェックのため(航空会社のいいぶん)の途中待機があり、15時間ぐらいでメキシコシティに到着。

アエロメヒコ航空に載っているのは、メキシコ人を含むラテンアメリカの人たちや中国人がほとんとで、日本人は少なかったです。

スペイン語が飛び交っていて、欧米に向かう飛行機にはないリラックスした雰囲気です。

ぼくの隣の席にすわった人も、メキシコの大学生でした。友達と中国や香港や日本を18日かけて旅したと言っていました。

なんといってもメキシコ直行便です。

これまでカナダ・トロント経由(エアーカナダ)でキューバに向かっていましたが、これからは、こちらにします。

スペイン語も耳に慣れないといけないし、メキシコだけでなく、メキシコ経由で他の中南米各地へ向かう人には、値段も安いので、おすすめです。


メキシコシティに夕方着きましたが、土砂降りの雨で、とても寒いです。

いまが夏なのを忘れてしまいそうです。まるで、ここが南半球みたいに感じられる陽気です。

皆、冬の服装をしています。

話はとびますが、


テレビのニュースによれば、メキシコ西部のシナロア州のドラッグカルテルの親分(Ignacio Villareal)が軍の攻撃に遭って死んだということです。

数年前にティファナ・カルテルの親分がFBIに捕まったので、残るはフアレスとユカタンの親分らしいです。


それはともかく、

ベニト・フアレス国際空港が様変わりしていて、驚きました。

恐ろしくきれいになっていました。

メキシコの税関員は、いつもとても気さくで助かります。

最初に、外国人が出会う人だから、その国の印象を担っているといっても過言ではないのに。

なぜか世界の税関員には、横柄な人間が多いように感じられます。

とりわけ、米国では自分たちが警察と思っているのか、取り調べといった感じです。

だから、ブッシュ大統領のときから、しばらく行っていません。


きょう、国立人類博物館に行きがてら、町を歩いてみましたが、メキシコの景気はよさそうです。

結構、若者がipodとかウォークマンやっていますし。

一方で、地下鉄では、構内でも車内でも、おなじみの物売りがいて、

一個5ペソ(45円ぐらい)のお菓子とかメモ帳とか、20ペソぐらいのCDを売っていたりするので、経済格差は確実にあります。

地下鉄は一回3ペソに値上がりしていました。前は2ペソでした。それにしても、一枚買えば、どこまでも乗っていけるので、これは便利です。

ラッシュアワーだけは、構内や車内でスリにねらわれるので、えらく緊張します。

隣の人が全員スリに見えてきて(笑)。

明日、ハバナに向かいます。

しばらくパソコンが使えません。

申し訳ありませんが、このブログは9月まで休止させていただきます。





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ラテンアメリカ映画

2010年07月30日 | 映画
アルゼンチンの映画『瞳の奥の秘密』を見ました。

インフレの時代をバックに、階級を超えた恋愛を殺人事件を絡ませてミステリータッチで扱ったものです。

とりわけ、最後のほうは、予測がつきませんでした。

どう階級の壁を乗り越えるか問うた、すぐれたボーダー映画ですが、一番階級の低い下級の官吏(ペドロというアル中の男)が重要な役を与えられているところに脚本のよさが見えました。

日本では、この夏公開される予定です。

おすすめです。 Marysol さんのブログにも載っています。http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/archive1-201003.html





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辺野古(5)

2010年07月30日 | 小説
雨が止む気配はありません。

夕方5時半から、那覇で比嘉豊光さんのシンポジウムがあります。

ゆっくりできません。

このまま帰るか、「テント村」に寄っていくか。

自動販売機で、サンピン茶のロング缶を二本買いました。

「テント村」に行って、サンピン茶を差し入れしてから、帰ろう。


「テント村」には、女性が2人しかいませんでした。

サンピン茶を差し入れです、どうぞ。

ビラなどが載っている背の低いテーブルの上に置くと、あら~、と手前にいた年上の女性が応えてくれました。


「テント村」といっても、村ではありません。ただのテントがふたつ並んでいるだけです。運動会のようなテントです。

ただ雨が吹き込まないように、背後にも雨よけがあります。

その手前に、米軍基地の写真などが展示してありました。



女性の一人、篠原孝子さんがチラシをくれて、説明を始めました。

普天間基地と辺野古案がまったく関係であること、

米軍はすでにグアム統合案を実行に移しているので、辺野古の滑走路を真剣に必要とはしていないこと、

民主党の提案しているV字型滑走路を一番喜んでいるのは自衛隊であること、

座り込みをはじめて丸6年経つこと、

地元の住民は近所付き合いの上から、声高に反対を叫びにくいこと、

そういったことを丁寧に説明していただいた。

詳しくは、ウェブでも。→「辺野古浜通信」http://henoko.ti-da.net/


その後、もう一人の女性、顔が真っ黒で、いかにもダイバーといった感じの「みっちゃん」と少し話しました。

その間にも、雨はやまず、かえって本降りになってきました。

と、「みっちゃん」がボート乗ります? と聞いてきました。湾内から米軍基地を見てみますか、と聞いているのだと解釈しました。

時間がないからね、と一度は断りました。でも、少し考えてーー

せっかくだから、お願いします、でも、5時半には那覇に帰らなきゃならないのでちょっとだけ、と念を押しました。

「みっちゃん」は、僕のために別の小屋にカッパを取りにいき、戻ってきました。

それから、雨で滑る岩場を歩いて、テント村から100メートルほど離れたところにつないであるボートまで先導しました。

ボートに乗ると、ドックの中も外もまったく波がなく平穏そのものでした。

ドックを出て行くとき、さっき見えた神社の森のそばを通りました。

沿岸沿いを走らせながら、みっちゃんが説明してくれたのは、

V字型滑走路を作る前に、すでに米兵の新しい宿舎が作られているということでした。

遠くからでも、大型のクレーンが見えました。

国や国際政治という怪物のような圧倒的な力に対して、住民の力は虫けらのような印象を受けるかもしれません。

でも、イナゴの大集団には、さすがの人間もかなわないように、虫でも負けないことがあります。

そんなこと感じながら、那覇に向かって50CCを走らせました。



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