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アフリカの犯罪をアフリカで裁けるか?(3)~イセーヌ・アブレ元チャド大統領特別法廷

2015-08-24 07:30:38 | アフリカ情勢
アフリカの犯罪をアフリカできちんと裁けるのか?なぜアフリカで裁かれないのか?不処罰と正義について考えている。

第一話 不処罰とアフリカ
第二話 あすはわが身?

そういった中、前回、アフリカにおける特別法廷、裁判がようやく日の目を見ようとしている、と結んだ。それは何か?・・・「アフリカ特別法廷」('Chambre africaine extraordinaire')。被告人、イセーヌ・アブレ元チャド大統領に対する特別公判が、いよいよダカールで開廷となったのだ。

(イセーヌ・アブレ元大統領)


チャドの歴史はまた別にお話ししたいが、武力で首都ンジャメナを制圧した1979年(※)から、クーデターで亡命する1990年まで、アブレ氏は大統領の任についた。この間、激しい弾圧や恣意的な逮捕・監禁、拷問などが横行し、人道に対する罪、戦争に対する罪が問われている。殺戮は4万人にものぼったという。

(※)1980年に敗走し、82年に再度政権を奪取している。

その後アブレ氏はセネガルに亡命。長きを極西アフリカの地で過ごすこととなる。

なぜこの裁判がセネガルで開かれるのか?国際刑事裁判所が管轄しないのはなぜか?

それは本件事件に対するチャド人の7人の被害者が2000年、アブレ元大統領の亡命先であるセネガルで告訴したことに遡る。その時点では国際刑事裁判所はまだ管轄権を持たなかったのだ。

セネガル司法当局は事情聴取を始めるが程なく中断。高裁が管轄権の欠如を指摘したのだ。

これ受け、被害者グループの一人、チャド系ベルギー人がブリュッセルの司法当局に控訴。4年間の捜査の末、今度は欧州司法当局が棄却。セネガル当局がアブレ氏の身柄引渡しに応じない方針を譲らなかったからだ。

そしてこの裁判の顛末はアフリカ連合(AU)の場に移され、AUはセネガル政府に「アフリカの名において」裁判を付託した。当時のセネガル大統領はアブドゥライ・ワッド。身柄引渡しにも、公判の実施も前向きではなかった。ここにはチャドとセネガルの特別な関係も影を落とす。

そして2012年のセネガル大統領選挙でマッキー・サル大統領が就任。特に2013年9月の内閣改造で女性判事のアミナタ・トゥーレ首相を任命。国際的な信頼を重視するサル大統領は公判の実現に強い意思を見せた。

(つづく)

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