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祝・チャド共和国独立記念日2016〜サヘル情勢にあたってのキーとなる国

2016-08-11 07:30:35 | アフリカ情勢
8/1はベナン、8/3がニジェール、8/7はコートジボワール・・アフリカの独立記念日ラッシュが続いている。なぜこんな続き日程になってるかって?それはこちらの事情↓

アフリカの独立記念日〜それぞれの事情

実は8/5にはブルキナファソの独立記念日もあるのだが、ナショナルデーは12月11日に設定されている。これも上記過去ログに理由を書いているのでご関心の方はどうぞ。


さて、そういうことできょうはチャドの独立記念日だ。チャド人の友人諸氏に、まずはお祝いを申し上げたい。

アフリカ通でもなかなか馴染みの薄い国ではなかろうか。世界史においても、長きにわたりコンゴ盆地の熱帯雨林とサハラ砂漠に閉ざされ、暗黒大陸となってきた中部アフリカ。複雑な歴史背景と政局の中、チャドの歴史は戦いの歴史、そのものであった。


◆チャドはこんな国
チャドは人口1,200万人、面積は128.4平方キロメートル(日本の約3.5倍)と広大な領土を擁する。

南部はサバンナ~ステップ気候、そして北部にかけてその地勢は砂漠に溶け込んでいく。イスラムと砂漠が育む独特の文化と、厳しさの中に突如出現する素晴らしい自然の造形が人々を魅了する。何年か前のJeune Afriqueのチャド特集の写真には心を奪われた。

(jeune Afrique ウェブサイトより)



チャドは大陸の奥にあって東と西、南と北、アラブとアフリカを結ぶ結節点にある。語弊を恐れず言えば、いわば「地の果て」に位置してきたともいえよう。この砂漠の地を越えて文化や交易が行われ、政治的、戦略的野心が交錯した。そういったことから、この国の歴史には常にきな臭さがつきまどってきた。


◆紛争と戦いの歴史
独立にあたっては南北の衝突があった。また北に位置するリビアとは、1978年から実に10年以上にわたり戦争を重ねてきた。東にスーダン。ダルフールはチャド内戦、自国の安全と深く結びついており、スーダンとの二国間関係は常に大きな課題であった。南に中央アフリカ。政変、独裁、混乱を続けた、典型的な「脆弱国家」だ(あるいは近年では「崩壊国家」といも言われる)。

西にはニジェール。マリ危機とイスラム武装勢力の影響を受けてきた。そして、首都ンジャメナのすぐ南にはカメルーン極北州とナイジェリア北東部が隣接する。そう、ボコハラムが勢力を広げる地域だ。

チャドはそのいずれの紛争の影響も受け、そして戦闘にも関係してきた。戦いの歴史なのだ。

そしてチャドの中央部を横切る北緯15度線はイスラム主義武装勢力のフロントラインと言われる。西からモーリタニア、マリ、ニジェールを通り、チャド、ダルフール、南北スーダン国境、南には中央アフリカ。そしてソマリアに至る。しばしば地政学関係者から「不安定の弧」、「テロの弧」などと呼ばれるようになった。


砂漠の戦いに精通し、百戦錬磨のチャド軍。これまでも海外への派兵を重ねてきた。以前は、コンゴ戦争に介入した。中央アフリカには現在もチャド軍が展開する。仏軍のマリ介入に際して、砂漠の戦いを知り、鍛えられたチャド軍が動員された。


◆ガバナンス
チャド自体のガバナンスについても触れざるを得ない。トンバルバイ、イセーヌ・アブレ・・・。独裁、政変、紛争。かつての独裁者、イセーヌ・アブレ元大統領の公判は、10年越しで2015年、ようやくダカールの特別法廷が開廷。今年の6月に結審し、終身禁固の刑が言い渡された。被告側は再審を請求している。

チャドの独裁者イセーヌ・アブレ元大統領、特別法廷で判決~アフリカの犯罪をアフリカで裁けるか?(6)

2000年代に繰り広げられた内戦では、10年間に、首都ンジャメナが二度にわたり陥落の危機に直面した。市民は逃げ場を失い、川を渡り対岸のカメルーン領にも押し寄せた。

この地には以前、国連中央アフリカ・チャドミッション(MINURCAT)が展開していたが、2010年、マンデート更新にあたってチャド側が受け入れ同意を与えず撤退となった。市民や難民への保護と人道支援が懸念された。

またこの国はOPECに加盟する産油国だ。世銀は石油開発を支援するかわりに、チャド政府に対し、歳入の一定割合を、社会開発に割り当てるよう条件付けた。しかしチャド政府はこれを尊重せず、2006年には世銀とオフトラックとなった。

同じ頃、チャドはそれまでの台湾との外交を断ち、北京との関係に切り替えた。中国資本(CNPC)による油田を開発、操業が開始される。


◆国際社会の表舞台へ
2013年の仏軍のマリ介入にあってはチャド軍のサーバル作戦に帯同。戦いの歴史を歩んできたチャド軍は百戦錬磨。砂漠のサヘルでの戦いには仏も信頼がある。国際社会の異端として扱われるチャドにとっても、よい復権の機会だ。現在、仏軍作戦はバルカン作戦に再編され、参謀本部もンジャメナに置かれている。今、サヘル情勢にあたって、チャドはなくてはならない国になっている。

そんな中、2014年12月「ダカール平和・治安サミット」のハイレベルパネルでは、仏ルドリアン国防相、4カ国のサヘルの大統領が参加したが、その場でデビ大統領が吠えた。



「西側諸国(Les occidentaux)」の介入でめちゃめちゃになったリビア、どう落とし前をつけるのか。国民が決めろだって?冗談じゃない。NATOが決めるんだろ?」

ンボテも参加していた。会場にいたアフリカ人は大盛り上がり。そう、現在のリビア情勢でもチャドは大きな影響と歴史的経緯を共有する国だ。


◆新しい門出
そんな中、一昨日9日、首都ンジャメナではイドリス・デビ大統領の「5期目」の就任式が行われた。アフリカで大統領任期問題が高まる中、在任26年目の長期政権。式には、マリのイブラヒム・ブバカル・ケイタ大統領が臨席した。そう、チャド軍はマリでたくさんの血を流してきたのだ。

チャドはマリ以外にも、対ボコハラム掃討作戦に関わり、リビアと中央アフリカの混乱と隣り合わせの国。やはり今日でもきな臭さの中に存在している。ある意味チャドの安定はアフリカにおける対テロ作戦という意味では極めて重要。だからといって長期政権に目をつぶるのか?アフリカメディアでも様々な視点が飛び交う。


振り返ればそこにいつも戦いの歴史。しかしいつしか再び本来のチャドの美しい自然、砂漠の文化や生活が人々を魅了する国になって欲しい。

(おわり)

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2 コメント

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同名の町 (らすた)
2016-08-14 13:02:46
日本はインフルエンザのような気温です。滋賀県大津市に茶戸町(ちゃどちょう)という区画があります。ここの住民の方々は、アフリカに同じ名前の国があるとご存知かしら、などと思いました。オチがなくてすいません。
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Re:同名の町 (ンボテ)
2016-08-17 08:06:19
らすたさま
いつもありがとうございます。茶戸町で、チャドですか!おもしろい!愛知県には東郷町があり、トーゴと親交があります。そういえば以前、NHKの天気予報で「チャドでは雪が降るでしょう。」時いてびっくりしたら、チャドじゃなく、佐渡でした。どうでもいいオチですが笑。
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