ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

コンゴとベルギー(前編)

2014-01-22 07:30:30 | アフリカ情勢
先週末、二日間にわたりコンゴ民主共和国の英雄記念日が続き、このンボテブログでも特集した(L.D.カビラパトリス・ルムンバ)。ここで少しコンゴと旧宗主国たるベルギーとの関係について見て行きたい。


先日、とあるコンゴ人関係者に、当方で新たにコンゴに関わることになった同僚を紹介しにいった時の話。この同僚がブルキナファソでの駐在経験があると紹介すると、彼はこういった。

「そうか、ブルキナファソは仏語圏の兄弟国だ。コンゴのこともきっと早く理解してくれるに違いない。期待している。」

彼の言葉はここで終わらなかった。「しかしいいか、コンゴはブルキナファソとは違うんだ。」

ー彼は続ける。
「ブルキナファソ、コートジボワール。キンシャサの対岸のブラザビル、コンゴ共和国もそうだ。植民地の憂き目を見たのはわれわれと同じだが、違うのは彼らがフランスが宗主国であったということだ。もちろんフランスにも功罪ある。しかし彼らはインフラを整え、教育を整え、アフリカに大学教育を行なった。リーダーとなるべき人材を育て、本国議会にも代議員を受け入れた。そして独立の準備を進めた。」

「フランスだけでなく、イギリスもそうだった。ケニア、タンザニアを見ればわかる。彼らも独立の基礎が最低限整えられていた。」

「しかしベルギーはそうではなかった。資源を搾取し、労働を搾取し、教育を与えなかった。些細なことでわれわれの手を切断し、人権を否定した。大学教育を受けたものはこれっぽっちもおらず、もちろん政治に参加するなどということもない。それで独立ががうまくいくはずがない。言って見れば子供に車の鍵を渡し、ほら運転してみろ、といっているようなものだ。」

「ベルギー人がコンゴ人に教えたもの。それは掃除と車の洗車。それからベルギー人がやりたくない、きたなくてきつい仕事。それだけだ。」

(写真:1955年、ベルギー・ボードワン国王のベルギー領コンゴ訪問。ルルアブール(現東カサイ州カナンガ)の軍事教育施設にて。Wikipédia en françaisより。)



私がコンゴに身を置いた際にも、しばしば旧宗主国のベルギーに対する批判、しかもかなり辛辣なものも耳にした。

いわく。「フランスは善ではないが、強くて賢い。超大国だ。しかしベルギーはヨーロッパの田舎の小国だ。コンゴの60分の一に過ぎない。資源もない。そんな小国がワロンだ、フラマンだといがみ合い、その構図をコンゴにも持ち込む。そんな国に、コンゴが治められるはずもない。。。。」


2008年7月21日、ベルギー建国記念日。キンシャサのベルギー大使館では、政府高官や外交団、在留ベルギー人などを招いてレセプションが開催されていた。そこでのベルギー大使の挨拶は実に30分近いものであったが、その大半が自国において政府が組閣されないことについて、コンゴ在留のベルギー人への釈明に割かれていた。

長いスピーチにコンゴ人からは次第に舌打ちとブーイングが聞かれた。
「だからベルギーは・・・」
「何がコンゴはガバナンスがなっていないだ。自分たちはどうなんだ。」
「自分の国も収められないで大国コンゴに関与できる訳がない。」
「ベルギーはいまでもコンゴの資源で食っているようなものだ。」
「汚職対策支援?汚職はベルギー人がコンゴに教えたんじゃないか。」
社交の場にも関わらず、歯に衣着せぬ表現が続くのだった。

(写真:キンシャサでのレセプション。記事で述べたベルギー大使館主催のものではありませんが。。。)


(次号に続く)


◆あわせて読む
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きのうはコンゴ民主共和国独立記念日!
おとといはコンゴ民主共和国独立記念日!
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