志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

唐十郎さんは確か復帰前に来沖している。佐藤信の黒テントは沖縄で公演したが、赤テントは来なかった!

2024-05-08 01:54:28 | 表象文化/表象文化研究会
(メモ書き)備忘録、ゆっくり対象化できない。

赤テントの腰巻お仙を観たのは1980年代。テントミュージカルの印象だった。かれこれ40年前のことで、記憶は定かではない。

アメリカでDevid Goodmanの授業を受けた。確か氏は黒テントの佐藤信について博論を書いていた。日本の現代演劇について集中講義で英語の授業を受けた。
山崎さんの世阿弥などを英語翻訳で読んだ。テキストも購入したはずでまだ本棚にあるはずだが、Goodmanは黒テントについては論稿を書いていたが、赤テントの唐十郎については多く語らなかったと思う。テントシアターも一時代の象徴だったのだろうか。
 
  ウィキピディアに以下がある。
 『世阿彌』(ぜあみ)は、山崎正和が1963年に発表した戯曲。『世阿弥』と表記されることもある。1963年9月に俳優座により俳優座劇場で初演されるとともに、同年の雑誌『文藝』10月号に戯曲で掲載された。第9回「新劇」岸田戯曲賞(現:岸田國士戯曲賞)を受賞した。
 この作品を翻訳したのが、Devid Goodmanだったのか。『実朝』も入っていた。著名な山崎正和さんの作品を英語翻訳で読んだのがはじめてだった。後で調べたい。

以前文庫になった唐十郎の作品を読んだが、それも唐十郎に惚れ込んでいた沖縄の青年の影響だった。そういえばクールだったその男性はどうしているのだろう。『ジョン・シルバー』と『少女仮面』を持ち歩いていた。留学前だった。しかし、それほど入り込めなかった。
 ウィキピディアを見ると、やはり天才的な芸術家なんですね。
膨大な作品に驚く。

20代半ばシェイクスピアやベケットに関心をもっていて、アイルランドへの留学を心に秘めていた。
 改めて自らの人生の痕跡を振り返る年になったのだと、納得する。先輩方が急いでご自分の作品をまとめて、出版するのは、晩年が主である。自らの人生の総括のようなものを余儀なくされる何かがある。

唐十郎より黒テントの佐藤信の鼠小僧などの作品が分かりやすかった。


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