志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

翁長知事に「一日も早く埋め立て承認撤回を」!

2015-02-28 21:47:39 | 沖縄の過去・現在・未来
翁長さん、埋め立て承認撤回を早くしてください!同じ思いです! Peace Philosophy Centreからの転載です! Peace Philosophy Centre, based in Vancouver, Canada (est. 2007), provides a space for dialogue and facilitates learning for creating a peaceful and sustainable world. ピース・フィロソフィー・センター(カナダ・バンクーバー 2007年設立)は平和で持続可能な世界を創るための対話と学びの場を提供します。欢迎来到和平哲学中心!我们来自加拿大温哥华,我们致力于促进对话及建立可持续发展的和平世界。欢迎您留下宝贵的评论。To contact us, email us : info@peacephilosophy.com / Follow Twitter: @PeacePhilosophy / "Like" Facebook: Peace Philosophy Centre . . . 本文を読む

『性を装う』シェイクスピア・異性装ジェンダーは、沖縄の伝統芸能の「女形」を考えるときも参照できる。

2015-02-28 15:02:46 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題
少年たちがなぜ女装して女を演じたのか?セクシュアリティーが潜んでいる。沖縄の場合、女形の登場は、薩摩侵攻の1609年以降の時勢の変動tも関係しているように思える。18世紀から政体ががっちり作られて行った近世の過程があるのだろう。 . . . 本文を読む

久しぶりに那覇の町、桜坂劇場前の夜桜です!映画をみるゆとりがない日々!

2015-02-27 19:33:30 | 自然の景観
夜桜におもわずハットしました。こんなところに桜が咲いているのです。桜坂とはよく言ったものですね。桜坂劇場ですからここは昔から桜の名所だったのですね。そういえば目の前のl公園には桜が咲いているのでした。でも夜だから、よく見えなかっただけですね。 . . . 本文を読む

③「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治

2015-02-27 09:18:26 | 環境・Ecology・環境文学
亀井さんの最後のページです。「軽薄に自他の文化の差異を根拠として、「隔離型」差別を公然と煽動する新聞コラムの出現。文化を語ってアパルトヘイトを成立させた歴史を忘却し、あるいは隠蔽することで、その再来すら予期されうる今日の状況。こうした事態を、改めて文化人類学徒のひとりとして批判するとともに、通俗的かつ固定的な文化観に基づいた隔離への潮流にうっかりと共感してしまわない慎重な姿勢を、読者のみなさまに呼びかけたい。」 同化型と隔離型 の差別構造、マイノリティーとマジョリティーの関係性のあり方など、なるほどです。沖縄のマイノリティー性とマジョリティーの関わり方も参考になりますね。同化と隔離です。同化の差別もありますが、沖縄の場合絶えず異化作用がありましたね。今でも。同化と異化のバランスが必要かもしれませんね! . . . 本文を読む

②「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治

2015-02-27 09:14:47 | 環境・Ecology・環境文学
亀井さんの続きです!うなずかせますね!学問が差別を擁護してきたわけですね!勝手に転載ですが、いい論稿は拡散でいいですね、亀井先生!琉球諸語復活の運動にも参照できます。日本語、ウチナーグチ、英語、中国語、スペイン語と多言語性のありようが問われていますね。言語は社会の軸です。ウチなーグチの場合、わたしは主に集合的無意識の想像(創造)としての 沖縄演劇(組踊、沖縄芝居、現代演劇)を対象化しているのですが、その中に古典音楽、民謡、古典舞踊、雑踊り、創作舞踊も入ってきます。その根になるのが音楽そしてことばですね、それは主にウチナーグチ(首里・那覇語)です。その継承は重視すべきですね。日常で語り合う空間も必要です。一方でグローバル知と感性を手繰り寄せるための英語なり中国語なり、他の言語の習得も要求されていますね。 . . . 本文を読む

①「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治

2015-02-26 12:41:04 | 真実の在り処
亀井伸孝 / 文化人類学、アフリカ地域研究のブログからの転載です。興味のある方は直に亀井氏のサイトをクリックしてください。以下の論稿の続きもあるようです。曽野綾子さんの発言がこのグローバル社会では、受け入れられないということです。コスモポリタンとしての私たち地球市民感性にはナショナリズムや民族主義のファナティックな面はもはや受け入れられないのです。人類としての同じビジョンもまた問われています。個々の歴史、文化的伝統や位相の違いを認識(了解)しつつ、人類としてつながりえる未来が目標です。 . . . 本文を読む