アリの一言 

オキナワ、天皇制の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

なぜ「北朝鮮の犯行」と断定できるのか

2017年02月27日 | 朝鮮問題とメディア

     

 26日夜放送された「外国人記者は見た+」(BS-TBS)で、「金正男氏殺害事件」をめぐる日本の報道について、韓国のジャーナリスト(元韓国ニュース専門テレビ局記者)がこう言いました。
 「韓国では日本ほど報道していない。(金正男氏の)”亡命”も説にすぎない。ウラがとれていない。いろいろな説や分析があるだけで、真実とは言えない

 続いて中国のジャーナリスト(経済日報東京支局長)も言いました。
 「(北朝鮮の)暗殺かどうか分からない。証拠がまだ発表されていない。日本のニュースも韓国のニュースを転載しているだけ。(真実は)誰も分からない。中国はまだ見守っている」

 ジャーナリズムとしてきわめて妥当・正当な態度ではないでしょうか。

 日本はどうでしょう。18日のブログで「推測・仮定・伝聞が『事実』に変わる異常さ」と書きました。その後「猛毒VX」はじめいくつかの「事実」が発表されていますが、「北朝鮮国家の犯罪」と断定できる証拠はいまだに明らかではありません。逆になぞは深まるばかりです。
 にもかかわらず、日本のメディアは「北朝鮮の犯行」と事実上断定する報道を強めています。

 例えば、朝日新聞は社説(24日付)で、「韓国を発信源とする不確かな情報が目立ち、実像は見えにくい」と言いながら、「北朝鮮の異様さが際立つ」とし、「『人権』で国際的な圧力を」と〝北朝鮮包囲網”を呼びかけています。

 毎日新聞の社説(24日付)も、「今回の事件で北朝鮮は国際的な孤立を一段と深めることになるだろう」と事実上北朝鮮の犯行と断定しています。

 沖縄タイムスの社説(27日付)が、本文では「北朝鮮による『国家犯罪』の様相が強まった」と断定を避けながら、見出しで「許せぬ独裁国家の蛮行」と言い切っているのは、「推測・仮定・伝聞が『事実』に変わる異常さ」の典型です。

 そもそも、マレーシア警察・当局の捜査には矛盾・ずさんさが目立ちます。

 ①マレーシア警察は当初、実行犯の2人の女性を「北の工作員」と発表したが、その後2人は約1万円で「いたずらビデオ」出演を引き受けた民間人である可能性が強まっている。
 ②実行犯の2人は「素手で犯行に及んだ」と発表したが、26日会見した保健相は「致死量を大きく上回るVXが吸収された」としており(写真左)、「素手の犯行」に対する疑念が強まっている。毒薬に詳しい沼澤聡昭和大学教授は「素手での犯行は考えづらい」と述べている(写真中)。
 ③マレーシア当局は26日の未明に防護服に身を包んで現場検証し、「空港は安全だ」としたが(写真右)、事件発生(13日)から13日間、なぜ現場検証をせず、立ち入り制限もしなかったのか。

 犯行動機も含め、ナゾは深まるばかりです。にもかかわらず、日本のメディアが事実上「北朝鮮の国家的犯罪」と決めつけていることは、たんにジャーナリズムの逸脱という問題ではすまされません。

 第1に、それは「北朝鮮の脅威」をあおって軍備増強・日米韓軍事協力体制の強化を図ろうとしている安倍政権の思うつぼです。

 第2に、日本の朝鮮侵略以来今日まで続く朝鮮(朝鮮人・在日)に対する差別・ヘイトクライムを助長するものです。

 「過去も現在も、朝鮮史の真の姿が国民に見えることを不都合とする日本の支配権力の意図が働いており、そのような意図から作られた歴史観が国民によって自覚的・無自覚的に再生産されてきた」「日本人と朝鮮人との間の、不条理に充ち、複雑にもつれた関係の、初発の原因が日本側の侵略と差別にあり、現在の我々ひとりひとりと無関係でないことは、明らかである。現に私たち日本人が加害者なのである」(梶村秀樹氏『朝鮮史』講談社新書)

 北朝鮮に対し、差別と偏見を排し、あくまでも事実に基づいた判断を行うことは、メディアの責任であるとともに、私たち日本人1人ひとりに求められる歴史的な責務ではないでしょうか。


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「埋立承認撤回」に県民投票必要なし、直ちに実行を

2017年02月25日 | 沖縄・翁長・辺野古

       

 辺野古埋立承認の撤回をめぐり、23日の沖縄県議会代表質問で翁長雄志知事に代わって答弁に立った謝花喜一郎知事公室長は、与党議員(「オール沖縄」)の質問に対し、「県民投票を実施し、民意を問うことは意義があると考えている」(24日付琉球新報)と答えました。

 「承認撤回」を問う県民投票については、新基地に反対する市民や識者の一部からも実施を主張する声が出ています。

  しかし、「撤回」を行うための県民投票は必要ありません。たんに必要ないだけでなく、現時点における「県民投票」論は、事実上「撤回」の先送りにつながり、翁長知事の「撤回棚上げ」に口実を与える危険性があります。
 いま必要なのは「県民投票」ではなく、翁長氏に直ちに「撤回」を実行させることです。

 「県民投票」について、「埋め立て承認の撤回根拠となり得る『県民投票』」(24日付琉球新報)など、あたかも「撤回根拠」のために必要なものであるかのような議論がありますが、これは誤りです。

  第1に、「撤回」は知事の決断によって直ちに可能であり、それを妨げる法的制約は存在しないというのが多くの専門家の共通した指摘です。

 例えば、「撤回問題法的検討会」(仲地博沖縄大学長、新垣勉弁護士ら)は翁長知事に宛てた「意見書」(2015年5月1日、写真中)で、「沖縄県知事が行う埋立承認の撤回が公益適合性を有すること、撤回以外に沖縄県民の公益を保全する道がないことは、明白であるから、沖縄県知事が撤回判断をなすことにつき、法的障害は何ら存しない」と明言しています。
 その後、琉球新報、沖縄タイムスに掲載された専門家・識者の提言もその点で共通したものは枚挙にいとまがありません。 

 第2に、繰り返し指摘してきたように、翁長氏自身が知事選で「撤回は、(埋立承認にー引用者)法的な瑕疵がなくても、その後の新たな事象で撤回するということですが、知事の埋め立て承認に対して、県民がノーという意思を強く示すことが、新たな事象になる」(20134年10月21日の知事選政策発表記者会見。同22日付しんぶん「赤旗」)と公約したのです(写真左)。
 そして、当選後の県議会でも、「知事選で示された民意は埋め立て承認を撤回する事由になる」(2014年12月17日の県議会答弁。同18日付琉球新報)と言明しました。
 いまさら「根拠」云々は、こうした公約・言明を棚上げするための口実にほかなりません。

 もちろん、「撤回」しても安倍政権はそれに唯々諾々と従うことはなく、「代執行」を強行し、ふたたび法廷闘争になるでしょう。「撤回」が正当かどうかは県民・国民注視の法廷で争えばいいのです。

 百歩譲って、1年前なら「県民投票」も選択肢の1つになったかもしれません。しかし、今はそういう情勢ではありません。仮に「県民投票」を行うとすれば、「県内市町村の協力などさまざまな手続きを必要とする。少なくとも手続きに4カ月以上かかる見込み」(24日付琉球新報)だといいます。冗談ではありません。安倍政権によってすでに埋立工事は強行されているのです。これからの「4カ月間」でどれだけ工事が進行してしまうでしょうか。

 工事が進行するということは、それだけ辺野古の海が取り返しのつかない状態になるだけでなく、「工事が進めば進むほど裁判になったときに、撤回の効果は薄れ撤回の有効性の全否定もあり得」(仲宗根勇氏=元判事、9日付沖縄タイムス)るという危険な状況になるのです。

 情勢は猶予なりません。翁長氏に直ちに「撤回」させる、知事選の公約・言明を実行させる。今求められているのは、その世論の強化です。


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「安倍首相の妻が名誉校長」だけで大問題

2017年02月23日 | 安倍政権と民主主義

      

 学校法人「森友学園」(大阪府豊中市、籠池泰典理事長=日本会議大阪運営委員)が4月に新設する小学校(瑞穂の國記念小學院)の予定地(国有地)が、評価額の14%で払い下げられた(評価額9億5600万円、取得額1億3400万円)問題が国会で追及されています。

 この小学校の「名誉校長」が安倍晋三首相の妻・昭恵氏であることから、破格の国有地払い下げの背景に安倍氏や昭恵氏も絡んだ政治的圧力があったのではないかという疑惑です。

 疑惑は徹底的に追及される必要があります。しかし、同時に強調しなければならないのは、たとえ土地払い下げに不正はなかったとしても、見逃せない重大な問題があることです。それは、、「首相の妻」である安倍昭恵氏がこの小学校の名誉校長であること自体が、憲法や戦後民主主義に照らして絶対に許されることではないということです。

 籠池氏はメディアのインタビューで、昭恵氏に名誉校長就任を依頼したのは、「教育的な事項で賛同していただいている」からだと述べています。(写真中)。
 また昭恵氏も、同小学校のHPで、同校が「優れた道徳教育を基として」いることを評価しているとして同校に期待しています。(写真右)
 両氏が認めている通り、昭恵氏が名誉校長に就任したのは、同校の「教育事項」とりわけ「道徳教育」を評価しているからです。

 ではその「道徳教育」はどのようなものでしょうか。

 同校のHPにある「教育理念」の中の「教育の要」は、「天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ」などとともに、こう記しています。「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)」
 さらに、「各教科の目標」の中の「特別活動」の項には、「海上自衛隊・陸上自衛隊見学」などとともに、「道徳(教育勅語)」と明記しています。

 この小学校の「教育理念」とりわけ「道徳教育」の中心は教育勅語なのです。
 森友学園が運営している幼稚園(塚本幼稚園、大阪市内)ではすでに園児に教育勅語を唱和させています。

 昭恵氏が同校のこうした「教育理念」「道徳教育」を評価して名誉校長に就任したということは、昭恵氏自身が教育勅語を評価・賛美していることにほかなりません。

 教育勅語は、天皇主権の大日本帝国憲法制定の翌年(1890年)に、明治天皇の言葉として発せられた、「国家神道の聖典」(村上重良氏『天皇制国家と宗教』講談社文庫)というべきものです。「我が皇祖皇宗」から始まり、非常事態に際しては「義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」として、「道徳を天皇と国のためにすべて捧げる行為に収斂し…『八紘一宇』の侵略主義の思想的原点」(村上氏、同)となったものです。

 だから戦後いちはやく教育勅語は廃止され、代わって国民主権の日本国憲法施行の年(1947年)、教育基本法が制定されました。「教育基本法はあえて異例の前文をおき、『憲法の精神を徹底』するとともに、『他の教育法令の根拠法』となるべき性格をもたせた」(中村政則氏『戦後史』岩波新書)のです。「憲法と教育基本法は一体不可分のものという理念があった」(同)からです。

 天皇主権の大日本帝国憲法と一体の教育勅語。その歴史的教訓から、国民主権の日本国憲法と一体不可分で制定されたのが教育基本法です。
 教育勅語の賛美・教育現場への導入は、たんなる時代錯誤ではなく、国民主権の日本国憲法を蹂躙し、天皇主権の大日本帝国憲法に引き戻そうとする改憲策動と一体です。

 「総理の妻」はけっして私人ではなく、外交などで首相と行動を共にする公人とみなされています(そのことの良しあしは別として)。現に森友学園(日本会議関係法人)はHPで昭恵氏を「安倍晋三内閣総理大臣夫人」と紹介し、その公的立場・肩書を最大限利用しています。

 教育勅語の賛美・復活は絶対に許されません。
 「首相の妻」である安倍昭恵氏は名誉校長を直ちに辞任すべきです。


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「天皇退位」-「立法府の総意」という名の翼賛国会化

2017年02月21日 | 天皇制と憲法

     

 「天皇退位」をめぐって、「国権の最高機関」(憲法第41条)である国会の自殺行為ともいえる重大な事態が進行しています。

 衆参正副議長は20日、この問題で各党・会派からヒアリングを行いました。終了後、大島理森衆院議長は、「立法府の総意」を探し「国会の見解」を3月上中旬にまとめると述べました。(写真右)

 これは安倍首相の要請を受けたものです。安倍氏は1月24日、衆参正副議長を訪ね、有識者会議の「論点整理」を手渡し、「与野党論議の促進」を求めました。大島議長は「国会の見解」をまとめると約束し、安倍氏は「立法府の総意はしっかり受け止める」(1月25日付中国新聞=共同配信)と応じました。(写真中)
 大島氏はその後の記者会見で、「他の政策とは違うとの共通認識の下、立法府は総意を探る努力をしていく」(同)と述べました。

 第1に、「首相が立法府のトップを直接訪ね、議論を求めるのは極めて異例」(1月25日付中国新聞=共同配信)です。なぜなら、それは立法府が行政府の下請け機関化することであり、三権分立の憲法原則に反するからです。

 第2に、「法案策定前に与野党が意見調整するのは極めて異例」(1月24日付中国新聞=共同配信)です。「各党とも国会審議で主張が対立し、紛糾する事態を避けたい思惑は共通している」(同)とも報じられています。
 言うまでもなく、法案の是非を議論し、最後は多数決で決するのが議会制民主主義です。ところがいま行われようとしていることは、事前に与野党が水面下(密室)で擦り合わせをし、異論が出ない法案をつくって国会に出そうというわけです。これでは何のための国会=「唯一の立法機関」(憲法第41条)=「言論の府」でしょうか。

 なぜこうした異例・異常なことが横行しているのでしょうか。

 安倍首相は年頭の伊勢神宮での記者会見(1月4日)で「天皇退位」問題を「政争の具にしてはならない」と述べました。それ以来、施政方針演説(1月20日)や国会答弁で繰り返し強調しています。
 「天皇」にかかわることで各党は争ってはいけない、「政治家は良識を発揮しなければならない」(1月25日参院代表質問の答弁)というわけです。大島氏が「他の政策とは違う」と言うのも同じ意味です。

 これは「天皇タブー」を利用した言論・異論封じであり、「天皇」の名による国会の翼賛化・翼賛議会化に他なりません。

 重大なのは、憲法原則に反するこうした異常な事態に対し、異を唱え、抗議して大島氏らのヒアリングを拒否する政党・会派が1つもないということです。それどころか、すべての政党・会派が、安倍氏が敷いたレールの上で「立法府の総意」づくりに協力しようとしているのです。国会の翼賛化はすでに深刻な事態に至っていると言わねばなりません。

 そして、こうした翼賛体制づくりに最大限利用されているのが「天皇」であり、そこに国家権力にとっての「天皇(天皇制)」の存在価値があることを銘記する必要があります。

 


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「万引きビデオ」の公開と「共謀罪法案」

2017年02月20日 | 民主主義・人権

     

 先日、都内の眼鏡店が監視カメラに写った「万引き犯」の姿(モザイク)をホームページで公開して話題になりました。
 その前にも複数のコンビニ店が、はやり「万引き犯」の写った監視カメラをプリントアウトして店に張り出すということがありました。

 いずれも公開した店側に対する批判は少なく、むしろ拍手を送る風潮さえ感じられました。これはきわめて重大なことです。

 そもそも店(私人・私企業)がある人物を「犯人」と特定し、その映像(写真)を公開することは、法的に許されません。
 憲法第31条(適正手続きの保障)は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、またはその他の刑罰を科せられない」と規定し、適正な法的手続きによらないリンチを禁止しています。店による「万引き犯」の画像の公開は、この規定に抵触する人権侵害と言わねばなりません。

 問題はそれだけではありません。監視カメラ自体の問題を見過ごすことはできません。

 「防犯」や「テロ対策」を口実に、いまや町中に監視カメラがあふれています。しかし、通行人を無差別に撮影し記録すること自体、プライバシーの侵害であると捉える必要があります。
 その上でさらに問題なのは、監視カメラの映像の「利用」については、法的規定・規制が現在まったくないことです。「万引き犯」の公開はその不備を示したものです。
 法的規定・規制がないのは「一般市民」だけではありません。メディアや警察(国家権力)も同じです。監視カメラを何にどう利用するかは警察のやりたい放題になっているのです。これは直ちに改められなければなりません。

 しかし、監視カメラを肯定する風潮は社会に蔓延しています。「刑事ドラマ」やメディアのニュース報道がそれを助長しています。「万引き犯画像」への反応もその帰結です。これはきわめて危険な状況です。

 安倍政権はいま、「テロ対策」を口実に「共謀罪法案」の制定を目論んでいます。
 「共謀罪法案の本質的危険性は、犯罪が成立する要件のレベルを大幅に引き下げ、国家が市民の心の中まで眼を光らせる監視社会をもたらすところにある」(海渡雄一弁護士、18日付中国新聞=共同配信)のです。
 「また、共謀罪は人と人との意思の合致によって成立する。その捜査は会話、電話、メールなど日常的に市民のプライバシーに立ち入って監視する捜査が不可欠となる。…警察が市民生活のすべてを監視する事態は目の前に来ている」(同)

 監視カメラの生活への浸透、その利用への無意識・無抵抗・容認は、その「監視社会」に直結するものです。

 「共謀罪法」は「現代の治安維持法」だと言われます。天皇制国家権力が侵略戦争遂行のため市民の目、耳、口をふさぎ、抵抗者を弾圧した最大の武器が治安維持法(1925年制定)でした。その稀代の悪法を支えたのが、「隣組」による市民同士の「監視社会」であったことを忘れることはできません。


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