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今日のいいニュース!石川真生さん文科大臣賞受賞!

2024-02-29 16:27:26 | 表象文化/表象文化研究会
  (琉球新報2月29日)
今朝の新聞記事は、ネットでも読める。とてもうれしいニュース!去年の10月、電話でお話した。とても真摯で素直な方だと思う。
石川真生「沖縄から撮りつづけること―石川真生の写真」  

以前キャンプハンセン真ん前の基地の街の内部を撮った写真集を見て、凄い女性だと思った。これでもか、と自らを、周りの米兵を女性たちをカメラで捉えていく。そのあくなき実存に拍手を送っていた。
自らのありのままの姿を、自らの生きている姿を日記のようにカメラで記録していたようにも見える、その姿は、何かを逸脱したようにも見えた。
 よく稀有な体験談を本にしてプロフィットにすることは、この社会では意外とよく目にする。自らのいわゆる普通の常識の範囲を超える人生の断片なりを書いて書籍化するのもよくあることで、特別驚かないが、真生さんの『沖縄ソウル』をはじめて手にした時、その剥き出しの姿に、女性のもつ開き直りのような捨て身の凄さを感じていた。
 意外と形を重んじるのは男性性の特性で、有史以前からの優位の歴史の現在ゆえとも言えそうだが、つまり、家父長制が貫かれている現在であるゆえに、規範のアウトサイダー、異化された立場に自らを置いて、その己を客観的にとらえる目、レンズを持っていた真生さんだったということだろうか。
 ひたすらシャッターを押す。写真の持つ力を感じさせるのは、そこに新たな発見があるからだ。誰も見たことのないような対象が、事実が、真実が浮かび上がってくるもの、それが与えるインパクトの凄さは、観た者たちを震え慄かせる。アーティストの音楽が何万もの観衆の魂を揺さぶり、生きる力を鼓舞するような、写真のインパクトがありえる。
 醜く美しい人間たちと彼女は言う。彼女の写真はそよ風が吹いているような愛らしい、きれいな写真ではない。人間を撮り、人間を表出している。
カメラによるフィクショナルな物語、歴史を造形した。あるテーマを追及するために作為的に作られたオブジェが、リアルを超えて猥雑に、それでいてクッキリとイメージを浮上させたような写真も~。
 歴史の再現のような写真、映像ではなくあくまで写真のもつ力~。
わたしは琉球民族、沖縄民族ですとはっきり言い切る真生さん。(身近で魅力的だと感じる方々はそう言い切っていることに思い至る。)
 ただ好きで写真を撮ってきたと語る真生さん、写真で沖縄を世界に発信してきた真生さん、人間は醜く美しいと語る真生さん、文部科学大臣賞おめでとうございます!
                                                                                                                                                                                                                                                                                          

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