昨日、お節の煮物を仕上げたので今日はぶりの照り焼きと鶏のから揚げ、エビフライと炒り鶏を仕上げ、買って来た紅白の蒲鉾と伊達巻を加えてお重に詰めた。
29日の夜、孫娘が来たので年の瀬の仕事を経験させて、夕方、小型の三段重の御節を持たせて送り出した。
お正月はいつも子供たちが来てにぎやかだったが、今年はコロナの関係で来れなくて50年ぶりの夫婦だけの年越しになった。
来年こそはコロナが終息してくれることを願う。
昨日、お節の煮物を仕上げたので今日はぶりの照り焼きと鶏のから揚げ、エビフライと炒り鶏を仕上げ、買って来た紅白の蒲鉾と伊達巻を加えてお重に詰めた。
29日の夜、孫娘が来たので年の瀬の仕事を経験させて、夕方、小型の三段重の御節を持たせて送り出した。
お正月はいつも子供たちが来てにぎやかだったが、今年はコロナの関係で来れなくて50年ぶりの夫婦だけの年越しになった。
来年こそはコロナが終息してくれることを願う。
今年もあと4日。コロナ感染は相変わらず収束できず、今年の年末年始はどうなることでしょう。
いつもは3重の御節を2セット用意するが、今年は1セットだけにする。
今日は朝から、芋きんとんと黒豆を手掛け、花まめも水につけた。明日は午前中に食材を求め30日から本格的にやる計画だ。
仙台にいる孫娘は来るかもしれないと連絡があったので楽しみにしている。
常日頃、料理は苦手でなるべく簡単にする方だが、御節だけは母の影響で毎年心を込めてつくる。
昨日はあんころ餅を作ったが、我が家のお正月用のお餅も30日に用意しなければいけない。
こんなことをしているとコロナの事も忘れ、何とか静かなお正月を迎えられるだろうと満足している。
年賀状を作成する前に片付けなくてはいけないことが沢山あり、1週間が瞬く間に過ぎてしまった。
昨日から年賀状作成に取り掛かった。調べていくと10枚の喪中の手紙があり、自分達の高齢を強く感じた。
しかしほとんどが80歳後半から90歳のご両親で自然の成り行きかな?とも思った。
気を取り直して50枚の年賀状をつくりほっとした。
2021年のお正月はコロナのために息子家族は来ないので、今朝からあんころ餅をつくり、みかんとあんころ餅とお年玉を入れてクロネコで送った。
今年も残すところ5日、ゆっくり御節を作る支度をしよう、と思いながらテレビで放映されている全日本バトミントンの試合を夢中で観て今日は終わりそうだ。
コロナ感染予防が叫ばれている中アクトへコンサートを聴きに出かけた。10月ころ仙台にいる孫からこのコンサートがあることを聴き、チケットはインターネットで買わなければいけないので、彼女に頼んだ。
コロナも収まるころかなと思っていたが、ますます感染者が多くなりコンサートができるかも心配した。
しかしいつもと違いチケットの半券の裏に住所と名前と電話番号を記入して自分で箱の中に入れる。(万が一感染者が出たら連絡するための安全対策)
マスクと手の消毒もしっかりと行い、体温も自動で検査されるようになっていた。
どうしてもゆっくりの入場なので、ずいぶん行列もできていたが5分前に自分の席に座ることができた。密にならないように席はソーシャルディスタンスをとってあった。
ちさ子さんの軽妙なお話もあり楽しいコンサートだった。
終了しても退席は指定退席をお願いされ、みなさん順序良く密にならずに静かに退席した。
スタッフの皆さんも大変だが一日も早く普通に演奏会に行ける日が来ることを願った。
今日は出かける予定もないのでのんびり過ごそうと思ったが5時半に目が覚めて、そこから眠れないのでテレビを付けたら、中国残留孤児になって苦労をした方が「こんな苦労をするなら死んだほうが良かった。殺してくれればよかった。両親が憎い。でもお母さんに会いたい。」という言葉をを聴いて朝から心が重かった。
8時前に洗濯物を干し終わり山茶花の花びらや、ハクモクレンの枯れ葉がたくさん落ちていた庭を掃いた。
山茶花はピンクで綺麗だが、花びらの始末に苦労する。
家に入り掃除機をかける。
9時からマスクを3枚作り、パッチワークの続きを縫い、昼食後マスクのゴムを買いながら夕食の食材を買うためにマーケットへ出かけた。
1時半からテレビで全日本体操選手権を見、続けて日本音楽コンクールの記録を見、その間に洗濯物を寄せてたたみ、タンスに収納する。
外は曇り空なので暗くて5時から夕食の支度にとりかかった。
家にいてもやる事はいっぱいある。「のんびり過ごす」ということはどのような生活をすることなのかな?
6月からパッチワークの仲間に入れていただき用事がない限り毎週水曜日に参加してきた。
11月からはクリスマスの飾りをつくりはじめ、先輩の方々に布をいただいたりアドバイスをいただいて作品ができた。
我が家にはパンフラワーで出来た沢山のデコレーションがあるので、孫2人が住む仙台へみかんと共に送った。
孫たちは思いのほか喜んでくれて、作った甲斐があって良かった。
クリスマスまでにもう1セット作ろうと今頑張っている。
昨日夕方隣の空き家の玄関近くに猫が死んでいた。横たわって50センチ以上はありそうだ。
今日は朝から出かけていたので3時ころ帰ってきて猫を見に行った。
そのままにしておくわけにはいかないので区役所の総合案内に電話して事情を説明した。
まず「街づくり推進課」へつなぎ「区振興課」へつながり、区振興課の返事は(道路にあるものは処理するが敷地内は不法侵入になるから地権者同意がないと処理できない)と言われた。
(私が立ち合いでお願いしたい)と言っても(公道でなければできない。)の一点張り。そして結局、連絡ごみ受付センターへ電話して頼んでほしいとの事。
センターへ電話して事情を話したら「区振興課」と同じことを言う。ただ(死骸を道に出してくれれば専門の業者に連絡して今日中に引き取りに行きます)と・・・・・。
結局主人に頼んで大きなスコップで歩道の隅においた。あまり気持ちのいいものではない。いや気持ち悪い。
お使いから帰ったら少し暗くなっていたので、猫の姿はわからなかったが明朝処分されていることを願う。
仮に道路で死んでいたら役所の人が処理してくれるのか?連絡ごみセンターの人処理してくれるのか・・・・・疑問に思った。
毎日コロナコロナで暗いニュースが続くこの頃、久しぶりに明るいニュース「はやぶさ2」が無事カプセルを切り離してまた次の探査地である小惑星1998KY26に向かうと報道を知った。
カプセルは日本に持ち帰りいろいろ探査するそうだが私にとっては何が何だかわからないくらい難しい話だ。人類が初めて月に降り立った時は、人間はすごいことをするものだと思いながら、50年前に確か職場でテレビを見ていたような気がする。
今度はやぶさが地球に帰ってくるときは私はこの世にいないと思ったら、さみしいが致し方ない。50年の間に宇宙の基地で生活している人もいる時代を知っただけでも幸せかな?