しっかりブロブは書きましたが
昨日は疲れて一日中布団の中で過ごしました。
うつらうつらと寝てばかり。
その合間に久々に読書しました。
少し前ですが、ASAHI新聞の朝刊で佐藤愛子先生の〈ー語るー人生の贈り物〉と言うエッセイが連載されていました。
何を隠そう、昔から佐藤愛子先生のエッセイの大ファン、幾冊も幾冊もたくさん読んできました!
ですので愛子先生の人生は知り尽くしておりますから、連載されていた内容はほとんど知っている事ばかり
なのにやっぱりとても面白く、毎日毎日楽しみに読みました。
文章のテンポ、熟語の使い方、何もかもがツボにはまって笑えるんです。
本棚の一角は、先生のエッセイで占められております。
昨日は、その中から〈淑女失格〉(初版発行1990年)を取り出して読みふけってしまいました。
淑女失格は、愛子先生のおじいさまがいかに頑固で変わったお方だったか、から始まり
その息子、すなわち愛子先生のお父様である佐藤紅緑大作家が、これまたいかに癇性で我儘でがむしゃらに生きた方であったかに少しページを割いてあって
その娘であった愛子先生の歩んできたこれまた波乱万丈の人生が、例の硬質でありながら軽妙な愛子流の文章で書かれています。
布団の中で読みつつ何度声を出して笑ったか!
一部を取り出して読んでみてもあれでしょうが、ちょっと一部を抜き書きさせていただきます。
あまりにも無能であまりにも我儘な愛子先生に、お母様が仕方なく小説家になることを勧められ、文章を書きはじめられた部分からの抜粋です。
「小説とは「お話を書けばいいもの」と思っていたから、どんどん書いた。どんどん書いたが、それをどうすればいいのか分からない。
書いたものがいいのか悪いのか、これを小説と言っていいものかどうかも分からない。
父の友人である加藤武雄さんの所へ書いたものを持って行って読んでもらった。
すると、加藤先生は言われた。
「これは傑作だ!愛子さんは天才だ!」
それが傑作であるわけがなかった。だがその時の私は加藤先生がそういわれたからには、そうなんだろうと思ったのである。
もしも、あの時加藤先生がそう言ってくださらなかったら、私はその後の長い陽の当たらぬ習作時代に耐えられなかっただろう。
加藤先生は何を書いていっても「面白い!傑作だ!」といわれる。
先生は、私を励ますためにそう言ってくださったのか、友人である佐藤紅緑の娘だから贔屓してくださったのか。
常に冷徹な現実主義者である母はいった。
「傑作や傑作やて、大丈夫かいな、加藤さんは、、、。まさかボケてはるのとちがうやろね。」
何であれ、加藤先生のお蔭で私は自信をもってこの道をたどることが出来たのだ。
あの時の加藤先生の温顔を思い浮かべると、私の目はいつも懐かしさと有難さの涙に曇るのである」
長らく愛子先生のエッセイとはご無沙汰していましたが、
何と、昨年くらいから現在に至るまで〈九十歳。何がめでたい 〉と言うエッセイが非常に売れている、と、あちこちで目にしています。
さすがでございます、愛子先生(ひれ伏す私)
どうぞ、これからもお元気でご活躍お祈りしております。
(と、ファンであるように書いてしまいましたが、実は小説は4冊くらいしか読んでいません
先生、申し訳ありません)


うつらうつらと寝てばかり。
その合間に久々に読書しました。
少し前ですが、ASAHI新聞の朝刊で佐藤愛子先生の〈ー語るー人生の贈り物〉と言うエッセイが連載されていました。
何を隠そう、昔から佐藤愛子先生のエッセイの大ファン、幾冊も幾冊もたくさん読んできました!
ですので愛子先生の人生は知り尽くしておりますから、連載されていた内容はほとんど知っている事ばかり
なのにやっぱりとても面白く、毎日毎日楽しみに読みました。
文章のテンポ、熟語の使い方、何もかもがツボにはまって笑えるんです。
本棚の一角は、先生のエッセイで占められております。
昨日は、その中から〈淑女失格〉(初版発行1990年)を取り出して読みふけってしまいました。
淑女失格は、愛子先生のおじいさまがいかに頑固で変わったお方だったか、から始まり
その息子、すなわち愛子先生のお父様である佐藤紅緑大作家が、これまたいかに癇性で我儘でがむしゃらに生きた方であったかに少しページを割いてあって
その娘であった愛子先生の歩んできたこれまた波乱万丈の人生が、例の硬質でありながら軽妙な愛子流の文章で書かれています。
布団の中で読みつつ何度声を出して笑ったか!
一部を取り出して読んでみてもあれでしょうが、ちょっと一部を抜き書きさせていただきます。
あまりにも無能であまりにも我儘な愛子先生に、お母様が仕方なく小説家になることを勧められ、文章を書きはじめられた部分からの抜粋です。
「小説とは「お話を書けばいいもの」と思っていたから、どんどん書いた。どんどん書いたが、それをどうすればいいのか分からない。
書いたものがいいのか悪いのか、これを小説と言っていいものかどうかも分からない。
父の友人である加藤武雄さんの所へ書いたものを持って行って読んでもらった。
すると、加藤先生は言われた。
「これは傑作だ!愛子さんは天才だ!」
それが傑作であるわけがなかった。だがその時の私は加藤先生がそういわれたからには、そうなんだろうと思ったのである。
もしも、あの時加藤先生がそう言ってくださらなかったら、私はその後の長い陽の当たらぬ習作時代に耐えられなかっただろう。
加藤先生は何を書いていっても「面白い!傑作だ!」といわれる。
先生は、私を励ますためにそう言ってくださったのか、友人である佐藤紅緑の娘だから贔屓してくださったのか。
常に冷徹な現実主義者である母はいった。
「傑作や傑作やて、大丈夫かいな、加藤さんは、、、。まさかボケてはるのとちがうやろね。」
何であれ、加藤先生のお蔭で私は自信をもってこの道をたどることが出来たのだ。
あの時の加藤先生の温顔を思い浮かべると、私の目はいつも懐かしさと有難さの涙に曇るのである」
長らく愛子先生のエッセイとはご無沙汰していましたが、
何と、昨年くらいから現在に至るまで〈九十歳。何がめでたい 〉と言うエッセイが非常に売れている、と、あちこちで目にしています。
さすがでございます、愛子先生(ひれ伏す私)
どうぞ、これからもお元気でご活躍お祈りしております。
(と、ファンであるように書いてしまいましたが、実は小説は4冊くらいしか読んでいません

