Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

特設練習スタジオ

2009年07月12日 | 東京
 来週のワヤン舞台に向けて土曜日に練習が行われた。場所はなんと私の亡くなった祖父母の家のリビング。ソファなどを別の部屋に移動させると、スクリーンを張り、ガムラン演奏者が10名程度入って練習するのにちょうどいい広さになった。まさに期間限定の特設練習スタジオのできあがりである。特にスクリーンの置かれている場所は増築部分で、スクリーン両側に助手がそれぞれ一名ずつ座れるスペースまであり、なんだかこのスクリーンを置くために増築されたのではないかと思うほどだ。
 私がまだ生まれたばかりだった頃から、祖父母や私の叔母たちにとって初孫、初甥だった私は、この家でとてもかわいがられたという。そんな話を聞いたところでもちろん覚えているはずもないのだが、そんなたくさんの写真が残されていて、今でもそれらを見るのが少し気恥ずかしい。そしてこの部屋には叔母のピアノが置いてあって、私はそのピアノを聞いて育ったせいか、3歳からピアノを始めたという。そう考えてみると、運命の糸のようなもので、私が音楽を始めたきっかけを作った部屋に、私が音楽をもってまた戻ってきたということになる。
 隣の部屋には、かつてこの家の主だった祖父と祖母の仏壇があり、二人の写真が笑っている。近所の家はともかく隣の部屋で二人はどんな思いでこの音楽を聴いているのだろうか?台湾を第二の故郷にしていた二人のことだし、祖母はつい最近亡くなるまで自称「南方人」だったことを考えれば、南の島の音楽を遺影の写真とかわらず笑顔で聞いているんだろう。それともうるさすぎて、二人でいつもの喧嘩ができなくて物足りないかも・・・。

結婚記念日

2009年07月11日 | 家・わたくしごと
 もう二日前になるが、7月9日は結婚記念日だった。今年で結婚してちょうど20年になった。20年前のその日のことは、まだ手が届くほどほんの少し前の出来事であるかのように鮮明に記憶している。小さな会館で親族とわずかにお世話になった方だけで開いた宴で、もう出席してくださった親族の数人はこの世にいない。二次会は渋谷の宮益坂から少し入ったところになったライブハウスで、これはもうガムランの祭典だった。
 サラリーマンだったはずの夫は、今は研究者、パフォーマーになって東京どころか、沖縄に住んでいるなんて、かみさんはあの時まったく予想だにしていなかったろう。そう思うと人生なんて先はわからないと思うが、と同時にかみさんを自分の生き方に振り回し続けている気がしてならない。
 花を買うことにした。わが家は息子も含め、記念日にはよく花を買う。さてどんな花にしようかと考える。ふと浮かんだのが小さなひまわり。オランダに住んでいるころ、ちょうどこの時期、どの花屋にも小さなひまわりがいっぱいで、オランダ人はよくこの花束を買い、片手運転をして自転車に乗って帰っていった。そんな花を見てよくかみさんが「きれいね」といっていたことを思い出した。花屋さんにどの花を入れるか、と聞かれたとき、ためらわずに「ひまわりをいくつか入れてください。」とお願いした。
 たまたま今年の7月9日はガムランの練習も息子の塾もなく、久しぶりに家で家族そろって食事をしたが、それ以外はいつもと何も変わらなかった(食事はちょっぴりハレのメニューだったけど)。でもそれがいい。会話もいつもと何も変わらず、おだやかだったり、急流や濁流になったりしながら、それでも前へ前へと流れている。ただそこには花かごが飾られているだけの心のハレ日。

ミスコミニカシー

2009年07月10日 | 家・わたくしごと
 このタイトルでは絶対に検索されないキーワード「ミスコミニカシー」。インドネシア語のミスコミュニケーションのこと。今日一日、大学を不在にしたが、このタイミングで大学と連絡をとらねばならない問題が生じてしまった。結果的には上司も巻き込む展開に発展した。
 タイミングがあまりにも悪かったといえばそれまでだが、その場にいればきっと解決できていたという問題。とにかくここに至るまでに、私の事務的能力の欠如から、さまざまな人とのミスコミニカシーが生じていたことが発覚する。
 東京と沖縄って、そんな遠い距離だと思って行き来しているわけではなかったのに、今日だけは朝までいたはずの場所がはてしなく遠く彼方の島に思えてしまう。これが距離なのだ。地理的には同じであっても、精神的な距離は長くも短くも感じられるもの。でも東京でジタバタしても始まらないので諦めることにする。これもまた血圧を上げないための対処法。

海ぶどう

2009年07月10日 | 那覇、沖縄
 今日からワヤンの練習で東京である。知人から海ぶどうを頼まれていて、それを大学の帰りに買おうと大きなスーパーに寄って探すが見当たらない。海ぶどうといえば沖縄観光の定番というべき品なのだが、置いていないのだ。一旦は家に戻ったもののあきらめられずに、夜遅くバイクでいくつかのショッピングセンターをまわったが、やはりどこにも売られていない。「海ぶどうありますか?」と店員に聞いても「うちには置いていない」と、まるで鸚鵡返しのような答えが返ってくる。
 考えてみれば沖縄の地元の人が海ぶどうを食べるとか、街の食堂にメニューがあるとか、その手の話を聞いたことも見たこともない。私も10年近くもここに住んでいるのに、海ぶどうを食べたのは観光客向けのレストランで、しかも数回だけだ。ようするにこの食べ物は地元の人が食べるものではなく、地元発信の観光土産であるために那覇郊外の大型スーパーには置いていないのである。食べないわけだから、置いておく必要がない。
 空港で買おうと思いつつも、やはり諦められずに「ダメもと」で家のすぐ近くにあるこじんまりしたJA(A-coop)に寄った。ところが、なんと久米島産の海ぶどうが売られているではないか!観光客なんて絶対来そうな場所ではないのに・・・。灯台もと暗しというのはまさにこのことである。それにしてもJA恐るべし。JAは全国チェーンのスーパーとは一線を画し、地元や産直にこだわっている気がする。久米島の漁協と関係があるとか?でもやっぱり地元でも買う人がいるってことなんだなと実感した。たとえば自分では食べなくても私のように、地元の人が「お土産」に買っていくみたいに。

小学校5,6年生対象「バリ島の音楽と踊り入門」

2009年07月09日 | 大学
 今月26日、私の教える大学で小学生5,6年生対象にバリ島のガムラン音楽と舞踊の半日講座を行うことになった。タイトルは「バリ島の音楽と踊り入門~きいてみよう・みてみよう・やってみよう~」である。文字通り、バリのガムラン音楽と舞踊について、講義を聴き、演奏や上演を鑑賞し、実際にそれらを体験するという半日で三つのことをやるというなかなかすごい講座であり、かつて小学生向けどころか大人向けにもこれだけ密なる講座を開講したことはない。
 話を聞くことも、もちろん上演を鑑賞することも重要だが、子どもにとって実際に体験するというのはとても大切なことだと思う。わずかな時間の経験でも体を動かした記憶は意外も長く脳裏に刻み付けられるものだ。それも日常生活で触れるものとは、全く異なる姿勢だったり演奏だったりすればなおさらである。
 自画自賛しているだけでは参加希望者は集まらず、これから締切日まで大学近隣の小学校をまわったり、あちこちに掲載を依頼したりと広報につとめなくてはならない。沖縄でガムランに小学校高学年を25名集めるのはかなりの難題なのだ。インターネットでも申し込みが可能で、もしかすると「観光ついでに北海道からこれに参加したい」なんて親子の希望があったらもう驚きである。あいかわらず途方も無い夢の見すぎであるのだが、まあ可能性は限りなく少なくてもありえない話ではないので・・・。ご興味のある方は、上記のポスターに書かれた電話番号にお問い合わせいただくか、「バリ島の音楽と踊り入門」とGoogleに入力してみてくださいね。ブログ検索をしてもだめ。このブログの記事を見つけてもグルグルまわるだけでしょう?

インパクト大

2009年07月09日 | 大学
 7月19日に上演するワヤンの大きなポスターが沖縄に送られてきた。といっても公演は山形の山間部なので、たとえ沖縄に貼ったとしても、まず集客の役には立たない。しかしせっかく送られてきたのだし、おもいきって研究室の扉に貼ることにした。
 音楽学部の建物にはたくさんのチラシやポスターが貼られているが、その大部分は「西洋芸術音楽」に関するもので、髪を振り乱して指揮をしているとか、ドレスを着た顔写真(時にはいつ撮影したのかわからないものもある)が並んでいるとか、ピアノに片手をついてにやけているといったものだ。どんな写真であれ、「個人」を露出するのが西洋芸術音楽の常道のようだ。しかしわれわれの世界の音楽で、「個人」を強調したものはほとんどない。内山田洋とクール・ファイブみたいな名前をつけているグループもまれにあるが、たいていはグループ名のみ。個人名が書かれていても顔写真が出るというのは相当に稀である。
 今回のポスター、写真はワヤンのスクリーンに映る人形である。まずワヤンを知らない人々にとって不思議な光景であり、きっと「こりゃなんだ?」と目を止めるに違いない。それだけでも十分インパクトがあるのだが、なんといっても強烈なのはこの写真の下の文字とその地の色。黄色の地に黒文字と赤文字は目に刺さるようだ。このポスターの貼ってる廊下は、数十年前の病院を思わせるような暗さで、私はここを「憂鬱の廊下」と名づけているが、このポスターが貼られている間はこの黄色が照明のようで、しばらくはここで「憂鬱な気分」に陥ることはなさそうである。

アユ・ウタミ『サマン』

2009年07月08日 | 
 2週間近くかかって、インドネシアの女流作家アユ・ウタミ『サマン』を読み終えた。翻訳出版されたのは1年以上前だが、その存在は知っていたにもかかわらず、ここまで引っ張ってきてしまった本の一冊。こんな本がたくさんあってたいへんである。この本、結構、時間軸がストレートに設定されていないし、「わたし」なる人物が章によって変わるために、時間をかけて読まないと舞台設定を見失ってしまい、頭の中で筋を右往左往してしまうことになる。しかし不思議と人間はそうした作家の手法に慣れてしまうもので、終わる頃にはそうした章ごとの変わり具合を楽しんでいる。
 それにしてもこの『サマン』だが、私には衝撃的な一冊だった。まず、今のインドネシアが、この内容を発禁にせずに出版できる国へと成長したこと、そしてこれがフィクションでありながらも小説の舞台となった1990年代にはまだ小説に書かれているような人々への搾取や政府の圧力が普通に行われていたことを想像させるからである。
 スハルト政権の崩壊のプロセスを私は自分の研究フィールドからずっと見守り続けてきた。そしてその後の国家政策や方針の転換もすべて・・・。言論の自由が認められた直後に出版されたこの本は、政府に批判的内容、それまでのインドネシア文学にはない性描写があっても、「変わっていくインドネシアの象徴」として出版されてベストセラーとなったのだろう。スマトラ、ジャカルタ、ニューヨークというグローバルな世界を描いていることも、インドネシアが閉じた国家でないことを物語る。文化論を語る研究書ではないが、インドネシア文化を研究する人々がこの本を通して考えられることはさまざまあるのではないだろうか?

七夕のジャワ・ガムラン

2009年07月07日 | 大学
 たった今、ジャワ・ガムランのサークルによる大学の中庭で野外コンサートが終了した。七夕の夜、今日だけライト・ダウンされた首里城の上には満月の月がくっきりと浮かぶ。三々五々集まってきたたくさんの人々が、思い思いに庭に座ってガムランの音色をうっとりと楽しんでいる。練習をがんばってきたメンバーたちも生き生きとバチを握っているのがわかる。
 彦星と織姫が出会うこんな日にはやっぱりバリ・ガムランよりジャワ・ガムランの方がロマンティックでお似合いだ。一年に一度の遠距離恋愛の中、バリの賑やかな音色だとせっかくの二人の会話も台無しかしら?
 ジャワとバリ、ガムランの響きは大きく違う。しかし、単に音の違いを強調するよりもむしろ、その演奏や上演が行われる場の雰囲気は、その音楽を生かすことも、殺すこともできるのだ。今日の夜、ジャワのガムランの音は空気に溶け合い、遠く彼方の二人へと届いたことだろう。

遠距離恋愛の日

2009年07月07日 | 家・わたくしごと
 7月7日、七夕である。きっと幼稚園や保育園、小学校とか駅とかには大きな笹の木が飾られていて、そこに色とりどりの夢や希望を描いた短冊が下げられているのだろう。
 それにしても織姫と彦星は、1年に一度しか会えないなんてほんとうに切ない話である。その形態の恋愛が現実に成就するのかどうかは、ひとえに本人たちの意思にかかっているわけで、「無理だ」と一笑するのは身勝手な解釈だ。しかし、この恋愛こそ究極の遠距離恋愛なわけで、そう思うとやはり星空が広がって欲しいと思うのだ。
 7月7日は遠距離恋愛の日。日本中にいるそんな二人を応援する日だ。現実離れした七夕伝説の二人を「見習いなさい」なんて教訓的なことを語る記念日ではなく、恋愛の成就を託す日ではなく、伝説に登場する二人が出会えればいいねというやさしい気持ちを持っているかどうか試される日。自分が苦しい時にも相手の気持ちが理解できるような暖かな心を持っているかどうか試される日。

屋上のガジュマル

2009年07月07日 | 那覇、沖縄
 デザインや建築関係者の中ではすこぶる有名な話題で恐縮だが、観光客で溢れる国際通りの牧志交差点に建つOPAよばれる建物は、あの安藤忠雄が設計したものだ。作られたときは「コンクリート打ちっぱなし」のビルだったが、その外観の汚れが目立つことから白く塗られてしまって、今は外からみただけでは当時のコンクリートの面影が無い。ある建築デザイナーの友人は、隣りのビルと接する壁を覗いて、そこにはまだ当時のコンクリートの様子が残っていると言っていたが、私はそれを確認したことがない。
 このビル、実はビル全体のクーラーの施設がない(個々の店は別だが)。全体的に風が入るように設計されているため、クーラーは不要だというのである。確かに屋上まで吹き抜けだし、側面もブロックで通気がいいように作られている。
 さてこのビルだが、屋上に大きなガジュマルの木があるのをご存知だろうか?もちろんこれも設計者が考えたものだが、信じられないような大きなガジュマルの木が屋上に植えられているのである。沖縄ではガジュマルは妖精キジムナーが住む場所。ある意味、沖縄の信仰を象徴するような場所のひとつである。それが屋上にドカーンと植えられているわけで、結構驚きの空間である。沖縄の観光ガイドにお勧めの観光地として書かれているかどうかはわからないが、個人的には絶対にお勧めの場所。ほとんどの個人旅行の観光客が国際通りで買い物をするわけだし、そのときにぜひ、この屋上のカジュマルの広場で買ってきたお弁当でも開いてゆっくり食べて欲しい。国際通りの喧騒が嘘のように静かな空間が広がっているのだ。特に修学旅行の皆さん、買ったお土産を友達と見せ合うなんていうのもこの場所でやると沖縄が実感できていいと思う。ただし雨が降るとびしょ濡れになることをお忘れなく。そしてガジュマルの部分には当然、屋根はないので悪しからず。