もう二日前になるが、7月9日は結婚記念日だった。今年で結婚してちょうど20年になった。20年前のその日のことは、まだ手が届くほどほんの少し前の出来事であるかのように鮮明に記憶している。小さな会館で親族とわずかにお世話になった方だけで開いた宴で、もう出席してくださった親族の数人はこの世にいない。二次会は渋谷の宮益坂から少し入ったところになったライブハウスで、これはもうガムランの祭典だった。
サラリーマンだったはずの夫は、今は研究者、パフォーマーになって東京どころか、沖縄に住んでいるなんて、かみさんはあの時まったく予想だにしていなかったろう。そう思うと人生なんて先はわからないと思うが、と同時にかみさんを自分の生き方に振り回し続けている気がしてならない。
花を買うことにした。わが家は息子も含め、記念日にはよく花を買う。さてどんな花にしようかと考える。ふと浮かんだのが小さなひまわり。オランダに住んでいるころ、ちょうどこの時期、どの花屋にも小さなひまわりがいっぱいで、オランダ人はよくこの花束を買い、片手運転をして自転車に乗って帰っていった。そんな花を見てよくかみさんが「きれいね」といっていたことを思い出した。花屋さんにどの花を入れるか、と聞かれたとき、ためらわずに「ひまわりをいくつか入れてください。」とお願いした。
たまたま今年の7月9日はガムランの練習も息子の塾もなく、久しぶりに家で家族そろって食事をしたが、それ以外はいつもと何も変わらなかった(食事はちょっぴりハレのメニューだったけど)。でもそれがいい。会話もいつもと何も変わらず、おだやかだったり、急流や濁流になったりしながら、それでも前へ前へと流れている。ただそこには花かごが飾られているだけの心のハレ日。
サラリーマンだったはずの夫は、今は研究者、パフォーマーになって東京どころか、沖縄に住んでいるなんて、かみさんはあの時まったく予想だにしていなかったろう。そう思うと人生なんて先はわからないと思うが、と同時にかみさんを自分の生き方に振り回し続けている気がしてならない。
花を買うことにした。わが家は息子も含め、記念日にはよく花を買う。さてどんな花にしようかと考える。ふと浮かんだのが小さなひまわり。オランダに住んでいるころ、ちょうどこの時期、どの花屋にも小さなひまわりがいっぱいで、オランダ人はよくこの花束を買い、片手運転をして自転車に乗って帰っていった。そんな花を見てよくかみさんが「きれいね」といっていたことを思い出した。花屋さんにどの花を入れるか、と聞かれたとき、ためらわずに「ひまわりをいくつか入れてください。」とお願いした。
たまたま今年の7月9日はガムランの練習も息子の塾もなく、久しぶりに家で家族そろって食事をしたが、それ以外はいつもと何も変わらなかった(食事はちょっぴりハレのメニューだったけど)。でもそれがいい。会話もいつもと何も変わらず、おだやかだったり、急流や濁流になったりしながら、それでも前へ前へと流れている。ただそこには花かごが飾られているだけの心のハレ日。