Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ダランの友

2009年07月25日 | 
 ワヤンの人形遣いのことをダランという。ダランは一人で人形を操るだけでなく、あらゆる人形のセリフをしゃべり、歌も歌い、人形箱を右足でたたきながら効果音も出し・・・といろいろな演劇的行為を行う、といったことがたいていの解説書に書かれている。自分だってあちこちにそう書いているのである。しかし、本当のところ実際には一人でワヤンを上演することはできないのだ。もちろんそこには音楽を奏でる演奏家が必要であるのだが、人形操作だけでも一人では決して上演できないのである。
 バリのワヤンをみたことのある人は、ダランの両脇には二人のダランの助演者が鎮座しているのをご存知だろう。この二人のせいで、人形を操る側からスクリーンを撮影しようとしても彼らが邪魔になってなかなか写真がとれないし、ダランの人形操作もよく見えないので鑑賞者にとってはすこぶる邪魔な存在なのである。しかしこの二人もまたダランなのであって、ある意味、物語や用いる人形の大半を知り尽くしている。そして、常に次の場面を考えてダランより先に話を展開させ、ダランが用いる人形を次々に準備してすばやくダランに渡しているのである。
 この二人をバリ語でクテンコンketengkongという。トゥトゥタンtututanという言い方もあるのだが、トゥトゥトtututというバリ語は「従う」とか「従属する」といった意味で、これでは「ダランに従う」といった力関係が読み取れてしまうから私は嫌いである。クテンコンはダランとの従属関係で存在しているのではなく、同格でありいわゆる「友」といった関係である。この「友」という表現は、南タイの影絵芝居ナン・タルンで用いられる表現で、タイ語でこの影絵芝居の演奏者のことを「人形遣いの友」とよぶ。クテンコンもまさにダランの友である。私のワヤンのクテンコンはいつも写真の二人。はっきり言うと彼らなしではワヤンの上演は不可能である。時にはさまざまなアドバイスをもらい、影の映り方をチェックしてくれる「先生」でもある。
 先週のワヤン上演のため、彼らと現地の練習会場に到着して楽器や道具を運んだ直後、二人が始めたのは卓球。なんだかもう童心にかえったように無邪気な叫び声を上げボールを追っている。「あのー、歳を考えましょう。明日のワヤンでぎっくり腰なんていやだよ。」と言う前に一人はフロアーで回転レシーブ。ちなみに翌日、体が痛いとぼやいていたのもこのうちの一人であった。不慣れな運動なんてするから筋肉痛である。皆さん、ワヤン終了まで慎重に体調管理をしましょうね。皆さんなしではワヤン上演ができないわけですから。もちろん前日のアルコール摂取の必要性とUNOで盛り上がることについては十分に認識しておりますので・・・。