その後のヨーロッパ難民事情を整理しようと思ったのですが、NZZ(新チューリヒ新聞)には2~3ページ続きの特集記事が9月後半まで続き、その後殆どルーティーン化して特集記事は少なくなりましたが、全部アップすると多過ぎるので、ちょっと特別な記事を紹介します。
「難民」というのは「遊牧民」とか「移民」などと同様、「顔の無い」集合名詞で、ひとりひとりの人生の重みが伝わってきません。
追記:
ウィキの記事「2015年欧州難民危機」もご覧ください。
希望の国へ到着:9月18日付NZZ特集記事
長い困難な行程を経てドイツへたどり着いた11人の人々が身の上を語っています。顔写真も載せるのですから、勇気と自覚のある人々だと思います。
顔が知られれば、暴力的な排外主義者やネオナチの標的になる危険もあるからです。
名前も表示されていますが、ここでは出身地と年齢だけ書きます。長くなりましたので、時間と関心がおありの方だけ、お読みください
シリア出身、42才
ダマスカスで庭師をしていた。最初はレバノンに逃れたが仕事がないので、ヨーロッパへ行くことにした。始めはヨーロッパのどの国でも良いと思っていたが、ドイツに着いてみて、本当に難民を支援してくれるのはドイツと分かった。途中の道程が危険すぎるので、妻はダマスカスに帰した。一刻も早く仕事を得て妻を呼び寄せたい。
シリア出身、27才
電気工。昨年、徴兵されそうになった。まずレバノンに逃れ、それからトルコで働き次の行程の旅費をためてヨーロッパへ向かった。スウェーデンやオランダもシリア難民に理解があると聞いたが、もうドイツにいるので、ここで暮らしたい。シリアに残っている両親にはできるだけ頻繁に電話している。
イラク出身、32才
ヤズィーディーであるためIS(イスラム国)によって殺される恐れがある。家族とともにトルコのクルド人地域へ逃げたが生活が成り立たない。ミュンヘン在住の親戚を頼ってきた。親戚は早速難民施設に来て、今後、通訳として難民認定手続きを手伝ってくれる。ISに襲われないうちに一刻も早く家族を呼び寄せたい。
パキスタン出身、27才
子供のとき親とともにパンジャブからカラチに移ったが、カラチは無法地帯で危険だった。18才で家を出て、イランで理髪師として働き、日雇いで働きながらトルコまで来て金属労働者をしていた。3000ドルを「難民輸送業者(難民マフィア)」に払い、ギリシャから「バルカン・ルート」でミュンヘンへたどり着いた。もう放浪するのでなく落ち着いた生活をしたい。ウルドゥー語のほか、ペルシャ語、英語、トルコ語が話せる。ドイツで仕事が見つからなければ、スウェーデンかノルウェーに行きたい。
シリア出身、43才
アレッポの家が爆撃で半壊した。家族は無事だったが、毎朝、子供を学校へ送り出すたびに、途中で爆撃に遭わないかと心配で、遂に戦闘地帯の生活が耐えられなくなった。経営していた工具店の全てと家財道具を売り払い一家揃ってヨーロッパに向かった。トルコからギリシャへ渡るときだけ「難民輸送業者」を利用、あとは家族一緒に徒歩、タクシー、バス、列車でドイツへたどり着いた。子供たちの教育のためドイツに住みたい。危険な道程だったが、アレッポにいれば死ぬのを待つようなものだった。
シリア出身、29才
妻と5才の娘を連れて、レバノン経由でトルコに逃れたが、仕事も支援もない。ドイツ数都市に友人が住んでいるので、始めからドイツを目的地にしていた。友達が提供してくれたお金でブダペストまで来た。それから8日間足止めされたが、ようやくドイツへ着いた。早くドイツ語を習得して大学で勉強したい。もともとシリアでは経済学専攻で、妻は法学専攻だった。
シリア出身、27才
大学で法学を勉強していたが中退して仕事をしていた。両親が残っているアレッポには電話が通じない。時々ダマスカスの知り合いに電話が通じると、アレッポの様子が少し分かる。シリアでは政府が悪いだけでなく、ISのテロリストがいる。難民として援助されて暮らすのでなく、仕事をして新しい生活を築きたい。
シリア出身、56才
家族はシリアを逃れて様々な国に住んでいる。デンマーク、オランダ、スウェーデン、更に結婚した子供が2人エジプトに住んでいる。残る家族はシリアを逃げて5ヵ月エジプトで過ごし、更にトルコに移ったが、シリア難民の生活条件は悪化するばかりで、妻と下の子供たちをイスタンブールに残してドイツへ来た。シリアではカフェの経営者だったが、子供の世話にはならす仕事を見つけて家族を呼び寄せたい。
アルバニア出身、45才
何年も前から外国に仕事を探しに行っている。アルバニアには何も仕事がない。以前には5年間ギリシャの建築現場で働き、3年間は北イタリアの農場でトラクター運転手として働いた。しかし家族を呼び寄せることはできなかった。今ようやく家族でドイツへ来たが、多分、経済難民として帰国させられるだろう。しかし、希望の無い歳月は戦争同様に悲惨だ。
ソマリア出身、20才
テロリスト集団アル・シャバブのテロから逃れるためイエメンに渡り、ドイツの難民支援プロジェクトで、大学で情報学を専攻。しかしイエメンで内戦が始まり、勉強ができなくなった。家族と親戚が3000ドルを集め、「難民輸送業者」によるルートでドイツへたどり着いた。
シリア出身、20才
既に1年来、ドイツの難民収容施設に住んで、ドイツ語コースに通い始めたが、収容施設には人の出入りが多く落ち着いて勉強できないため、語学コースを止めてしまった。自分の住まいが欲しいが、ドイツ語ができなくては住まいも仕事も見つけられない、という悪循環の中にいる。
女性はどこに?(右下の顔写真のない部分)
過去数週間にミュンヘンに到着した難民の三分の一は女性である。しかしアフリカ、中東、アフガニスタン、パキスタンなどからの全難民の70~90%は男性で過半数は40才以上である。アフリカからの難民女性は、途中の道程であった出来事を話したがらない。シリアからの女性難民は何でも話せるが、いずれの場合も、顔写真を載せるのはタブーである。
このところの難民ラッシュでヨーロッパにたどり着いた人々の大半はシリア出身のようです。
難民をめぐってハンガリーとクロアチア、ハンガリーとセルビアが喧嘩していましたが、今はどうなっているか
ドイツとオーストリアの間の連絡・連携はスムースですが、両国政府とも難民支援予算などの難問に直面しています。
日曜日に行われたオーストリアのオーバーエステライヒ州選挙では、難民排斥のネオナチ党が得票を倍増させました。
前途は多難です。