みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

新学期

2013-09-29 | おきにいり

ここらへんは9月から新学期が始まります。私の「ヘタの横好き」アラビア語コースも9月半ばから新学期が始まりましたが、最初の日は忙しくて行けず、2回目から出席、3回目に新しい教科書をもらいました。


これまでの教科書

第3、4教程とあります(小学校中学年用でしょう)

新しい教科書

初等学校6年生用

練習帖


教科書と同じ表紙ですが1ヵ所だけ違います。どこか探してみてください


私は、アラブ婦人協会主催のアラビア語コース唯一の上級者ですが(これまで一緒のクラスだった人は仕事などの都合で来られなくなった)、それでも小学校の国語教科書で「間に合う」レベルなのです
で、でも、やっと6年生になったよ~ん。しかもマンツーマンで個人教授みたい

これでも、ダマスカスに4年続けて毎回1ヵ月滞在、集中コースを受講した頃(10年くらい前)は大分喋れたのですが、もうすっかり忘れました。今はダマスカスに行きたくても内戦で行けません。落ち着くまで、10年以上かかるだろうと思っています

人間社会は、極く少数の過激派が暴れれば簡単にメチャメチャになりますが、一度混乱した社会を立て直すには長い歳月がかかります。ちょっと原発事故みたい


シリア関連みみずボログ記事
シリアの顔
日々の思い
焼失
ロバ勲章余談
ふん、くだらん
小さな手
その他色々


今日の蛇足

9月29日は国政選挙です。

2週間くらい前に来た通知:表側

宛名は消してあります

裏側

「投票する者だけが国政に参加する」とあります

この通知の両脇と上の点線に沿って縁を破ると中に諸注意と投票所が印刷されています。






OBの声

2013-09-27 | おきにいり

ウィーン少年合唱団は世界的に知られていますが、OBのその後の進路は殆ど知られていません。大半のOBは音楽以外の道を進むからです。それでも、OBの一部はOBによる合唱団コルス・ヴィエネンシスのメンバーとなり、少年合唱団と共演します。歴史上名高いOBは作曲家シューベルトですが、現在は若手のスターとして活躍するOBがいます。

アン・デァ・ウィーン劇場シーズン予約の最初のオペラに、そのOBが登場。
カウンターテノールマックス・エマヌエル・ツェンチッチが、アレクサンダー大王(アレッサンドロ)を演じました。

ツェンチッチは、少年合唱団時代「最高のボーイソプラノ」と評され、この時代に、コロラトゥーラの難曲「夜の女王のアリア」を歌っています。

YouTubeに録音がアップされています。


ツェンチッチのCD

CDは他にも色々あります

アン・デァ・ウィーン劇場のプログラム


ツェンチッチによる「アレッサンドロ」のCDもあります。その一部がYouTubeにアップされています。




      

私の独断と偏見
私は、女声は全ての音域が好きですが、テノール(男の鉄切り声)が好きでなく(例外はある)、バリトンとかバスの方が好きです(低音ほど良い・・・だからバイオリンよりチェロが、フルートよりクラリネットが好き)。
例外的にカウンターテノールは大好きです。女声でない中性的な高音は透明感があり、天使(大人の姿の天使)は、こんな声かなと思ってしまいます。
バロック時代のオペラの多くでは、主役のヒーローをカウンターテノールが歌います。アレクサンダー大王は若く急逝したので、上のYouTube画面のように、少年のような姿で描かれることもありますから、カウンターテノールの声質が相応しいと考えられたのかもしれません。
「アレッサンドロ」(ヘンデル作曲)はシーズン予約の最初のプログラムで、事前に
ネット検索したら、ツェンチッチ主演とわかりました。
カーテンコールでは、沢山の花束が投げ込まれ、初めて「へえ、人気あるんだねぇ」と認識。


なかなか再登場しないドイツのぴんぼけ写真、いつか出てきます、と思います




人道的勇気

2013-09-23 | その他

すみません、追記入れます↓

すっかり遅れてしまいましたが6月26日付けNZZ(新チューリヒ新聞)の記事。
時期遅れにならない永遠に貴重な記事です。

「両親や祖父母の逃亡経路を辿ってリスボンへ」というタイトルです。

第二次大戦中、ナチスに追われたユダヤ人のため、本国ポルトガル(当時ドイツ寄り)の指示に従わず、ビザを発行し続けた領事がいました。助かった人々の子供たち・孫たちが「両親や祖父母は、どうして逃げられたのか?」と調べ始め、この領事のおかげであることが分かったのです。

その人の名はアリスティデス・デ・ソウザ・メンデス

ポルトガルの杉原千畝さんです!

NZZの記事


写真部分をちょっと拡大


アリスティデス・デ・ソウザ・メンデスは、第二次大戦中、フランスのボルドーにあるポルトガル領事館の領事でした。ドイツ寄りのサラザールによる独裁政権のポルトガル政府からの指示は「帰国できない者にはビザを発給してはならない」というものでした。ナチスドイツから逃げる人たちは、帰国できないわけですから、この発禁対象者になります。しかし、メンデス領事は3万人に上る「帰国できない人たち」にビザを発給、たちまちポルトガル政府から呼び戻されましたが、帰国の途上でもビザを発行し続け、逃走中のユダヤ人を自分の車に乗せたり、ポルトガル国境でもユダヤ人逃亡のため尽力しました。帰国後、彼は懲戒免職・弁護士資格剥奪の上、家族全員が迫害の対象となり、1954年貧窮のうちに世を去りました。

サラザール政権が終り、民主化したポルトガルで、漸く1988年にメンデス領事の功績が認められ、更にビザを受けた人々の子孫がメンデス領事の「救いの手」を発見、今では、子孫によるツアーも組まれ、旅の最後にはメンデス領事の生地を訪れるそうです。

杉原千畝さんの「六千人」よりメンデス領事の救った人数が遥かに多いのは、ナチスドイツ占領下のフランス・ボルドーという位置から、亡命のためのビザを求める人数も、リトアニアより遥かに多かったためと思われます。
外交官であるにもかかわらず、本国の指令に抗して、独自の判断で、人道的立場から勇気をもって人々を助け続けた2人の功績は永遠に輝く星のようです

重要追記
杉原千畝さんのことを初めて知ったのは、十数年前、ドイツの週刊新聞「ディ・ツァイト」に1ページ全面の大きな記事が載ったからでした。その記事は今でも保存してあるはずですが、どこにあるかなぁ
「ディ・ツァイト」は「デァ・シュピーゲル」と並ぶドイツの代表的な週刊メディアで、世界的に読まれています。
六千人の命のビザ」は今も入手可能です


みみずボログのユダヤ関係記事
生還者
どなめろ
読めない図書館
改宗
その他沢山




かか・あ

2013-09-17 | ことば

長らくご無沙汰してすみません
過去1週間、出掛けることも多く、急ぎの細かい仕事が続いて・・・(今も続いてます)

その外出のひとつで、例の辞書の先生を訪問(ご招待)
先生ご夫妻も私も一切アルコールを飲みません(蛇足)

先生は「対訳サザエさん」の大ファンです。日本語も読めるのですが、何と言っても、一般的に何らかの外国語を学ぶ場合、一番難しいのが「くずした喋り言葉」
先生が幾つか分からないところに付箋をしてあって、私が説明(会話はドイツ語)。

そのひとつに「かかあ天下」がありました。
先生は「かか・あ」と分けて何だか分からなかったのです。

「それは『かかあ』で、もっぱら自分の奥さんに使う俗語であり、『あなたのかかあ』などと使ったりはしません」と説明。

そのあと、先生が奥の部屋で和英辞典を調べて仰るには・・・

かかあは・・・

my old woman
・・・と載ってるよ。


江戸時代の若い棒手振なんかも「オレのかかあ」なんて言うと思うんですけど・・・

先生のところには色々な和英辞典があるので、どの和英辞典だったかは知りません。



       

もうちょっとで、急ぎの細かい仕事が終わる予定。そしたら大幅遅れのドイツぴんぼけ写真残りを、由良の助より遅れて順次アップの予定のつもり・・・

いつものように乞無期待





一石館

2013-09-09 | おきにいり

ドナウ運河のほとりに、ちょっと面白い建物があります


昼景


夜景


いずれもWikipediaのフリー画像です

この建物はウラニアと呼ばれ、1897年に設立された国民教育協会のためにユーゲントシュティルで建てられ、1910年オープン、様々な講演会や講習が開催されました。講演を行った人々の中には、アルベルト・アインシュタインも含まれています。

Einsteinは直訳すれば「ひとつ石」なので、タイトルは「一石館」

ほかには、トーマス・マンヘルマン・ヘッセアルトゥール・シュニッツラーフーゴー・フォン・ホフマンスタールなどが講演しています。

国民教育用の天文台があるのでウラニアという名前なのでしょう

今は国民大学の様々なコース会場となり、映画館、人形劇場もあり、天文台も見学できます
私は、映画を見に行ったり、コースに行ったりしたことはありますが、天文台と人形劇場には入ったことがありません
確か、黒澤明の「夢」は、ここで友達と見ました

ドナウ運河(英語)
施設としてのウラニア(英語)
設計者マックス・ファビアーニ(英語)


      

ドイツのぴんぼけ写真の残り、まだ整理できていません

近々アップの予定のつもりみたいな気分であります 乞無期待 



     

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夢50年

2013-09-04 | その他

久々にNZZ(新チューリヒ新聞)の紙面です。

2013年8月28日は、歴史的な50周年の日だったのです。その合言葉は・・・

I have a dream

新聞第一面


写真を少しアップ:歴史的な「夢」演説をするM・L・キング牧師


7ページの全面記事


写真を少しアップ:リンカーン記念堂前の群集


この歴史的出来事は、新聞発行地チューリヒ(スイス)とは直接関係がありません。時事ニュースでもありません。それでも、基本的人権の実現(まだ完全に実現していない)のため極めて重要な史実として、永遠に色あせないよう、50周年記事として第一面を飾ったのだと思います。

追記:M・L・キング牧師の夢というのは「肌の色など外見でなく、全ての人が、ただ、その人の人格によってのみ評価される、そういう社会が実現する」ことです。当時に比べて今は、少なくとも5センチかそこらは進歩していると思います。


  

マーティン・ルーサー・キング
公民権運動
ワシントン大行進
「夢」演説
I have a dream(演説の英語全文)


        

またまた急に短期間「コタコタ(ゴタゴタほどではない)」しております
それで、この記事も簡略になっています

こんなボログですが、ぽちぽち覘いてやってくださいませ 乞無期待ね



     

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帰り来たれ

2013-09-02 | おきにいり

子供の頃、イタリアのカンツォーネやナポリ民謡に凝っていた時期がありました。すっかり忘れていましたが、忘れな草を思い出したついでに、特に好きだった曲を思い出し、ドイツ・アマゾンで見つけました
(日本語題名しか憶えていないので、試聴画面のタイトルから推定→クリックで確認)




フランコ・コレッリのオペラ・アリアと歌曲を集めたCD4枚のセットで、その4枚目に、その曲がありました
テノールは好きでないのですが、コレッリの声は気に入っています。

YouTubeにもアップされていますので、お聴きください



画面のタイトルはスペイン語で「思い出のフランコ・コレッリ」となっています。
スペインの人がアップロードしたのかも

          

昔持っていたレコードの日本語題名では「帰り来たれ」というタイトルでした。当時は、言葉が聞き取れないのなんか全然気になりませんでした。旋律と音を楽しんでいたんですね。
その後、一応、ウィーン大学で第二外語としてイタリア語を勉強し、多少は分かるはずなのに、この曲は全然分かりません
ナポリ方言のせいだと思います。北イタリア(概ね標準イタリア語)の人が南イタリアの方言を聞くと、よく分からないということで、よそ者の私が分からないのは当然・・・としても悔しいのでネット捜索中ですが、まだ何ら手がかりがありません
万一内容が分かったら紹介いたします。


コレッリのCDは日本アマゾンにも沢山あります



     

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