みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

ヨハン大公

2015-05-30 | おきにいり

前回の民俗衣装から連想したのか、ヨハン大公を思い出しました。
彼は、トスカナ大公レオポルト(後の皇帝レオポルトII世)の第13子として生まれましたが、一般市民の生活を愛し、郵便局長の娘と結婚したため、帝位継承権を放棄させられました。本人にとっては特に重要なことではなかったでしょう。
工業、農業、鉱山業、学術文化などあらゆる分野でシュタイアマルク州の近代化に決定的な役割を果たしています。
ハプスブルク一族の中でも、最も人気の高い人物のひとりでしょう。
「ヨハン大公のヨーデル」は日本でも良く知られていると思います。大公が深く敬愛されていたことの証とも言えるでしょう。
ヨーデルには、ちょっと騒々しい曲が多いのですが、「ヨハン大公のヨーデル」は、穏やかで、しみじみとした味わいがあり、しかも広々としたアルプスの爽やかさがあります。
「今は亡き私たちのヨハン大公、だが大公は今も私たちと共にある」という内容から、ちょっと哀愁を帯びた旋律も理解できます。

YouTubeから2つ選んでアップしました。


その1)ヨーデル・フェスティバルといったイベントのようです。
3人のヨーデル歌手が次々に「ヨハン大公」を歌いますが、いずれも見事です。





その2)上のYouTubeの3人目の歌手がヨーデルに相応しい風景の中で歌っています。




Wikipedia:ヨハン大公 時間のある方は是非お読みください
ドイツ語ウィキを読むと、その縦横無尽の活躍ぶりが詳しく記されています
今のシュタイアマルク州の礎はヨハン大公によって築かれたと言えます。
沢山の記念碑がありますが、州都グラーツの中央広場にもヨハン大公の記念碑があります。






古い表紙

2015-05-27 | かーど&手描き

昔々、下手なくせにイラストを描いていた時期もあります


旅行代理店向け資料集の表紙


中の空白部分に色々文字が入っていたのを消しました。

この表紙を描くときは、民俗衣装の本数冊を勉強しました。
日本でも地方ごとに色々な民俗衣装があるように、オーストリアの場合も複雑で多種多様
便利な交通機関のない古い時代には、山を越えると、もう別の民俗衣装になったりします。
その多様な民俗衣装から2タイプを選び出しました。

左上の女性と右下の男性がザルツブルク、右上の男性と左下の女性がチロルです。
実は同じザルツブルク州内、チロル州内でも色々違うのですが、あまりこだわっているときりが無いので、大雑把に・・・
男性は夫々、レーダーホーゼ(革ズボン:「ホーゼン」は複数形)を着用。日本語ウィキ記事には「半ズボン」とありますが、丈も色々あります。

ウィキペディアにディアンドルという項目がありますが、この記事に載っている写真の民俗衣装は、現代的省略形です。


多様性の一例としてオーバーエステライヒ州(州都リンツ

女性の民俗衣装に合わせて被る帽子です






震災を生き延びたふくちゃん

2015-05-25 | おきにいり

以前に紹介した、うささんの絵本「ぼくは海になった」は悲しいお話でした

この絵本をアマゾンで探したとき見つけたのが、うささんが絵を担当している別の絵本です。




裏表紙


無人となった被災地で、ふくちゃんは子供を産んで育て、つくばちゃんと出会って一緒に子育てし、ボランティアさんの尽力で、被災したペットのための施設に迎えられ、仔犬たちは次々と引き取られ、遂に、ふくちゃんとつくばちゃんも、ぽてぱんちゃんの住むお家で一緒に暮らしていくことになりました。

震災で消えた小さな命は多いですが、生き延びて幸せになった命もあるのですね。ふくちゃんは、その代表です。えらいなぁ

絵本なので、犬さんたちが主役ですが、その背景にはボランティアの人たちの大きな尽力があります。どうも有難うございます



以前の関連記事
震災で消えた小さな命パート3

「小さな命」が、どれだけ大切にされているかは、その社会が、どれだけ人命を大切にしているかの反映でもあります。

一番上にリンクしてある、うささんの公式サイト、イラストも可愛いですよ



 今日の蛇足

救うべき人々」「死の海」でも紹介したように、シリアを筆頭に色々な国々での戦闘やテロの激化に伴い、このところ急速に難民の数が増えています。
オーストリアでは、新たな難民を収容するためテント村を作り始めました。人権保護の機関・団体からは、まともな住まいを提供すべきだという批判が続いていますが、空いている兵舎を難民住居に転用しようとすると、周辺住民から抗議されるという背景があります。
有名な保養地バート・ガスタインのホテル経営者が、空いている従業員宿舎を提供しようと申し出たところ、市長が反対するなどという事態も起きています。これをきっかけに、各地のホテル経営者も同じ申し出をするとともに、他のホテル経営者にも参加を呼びかけています。

他所のことだと「住民が反対するなんて、なんて非情な」と言えますが、隣に難民が引っ越してくると言われたらどうでしょう
市民としての自覚と人道主義が求められますね。







トゥットヴァニタ

2015-05-23 | おきにいり

前回の旋律をずーーーっと以前に聞いたことがあるのを思い出しました。
おお、私は本当に天才(天災)的な鈍感だ

順序から言えば、スコットランド発祥の歌が、イタリア映画の中でアレンジされ、見事に映画の雰囲気を醸成しているのです。


その場面をYouTubeで見つけました。子供たちの歌う様子が可愛いです




私がまだテレビを持っていた頃のあるとき、この映画が放送されました。孤児を集めて世話する優しい神父さまの物語でした。
面白そうだなと思って見たら、本当に良い映画でした。特に印象に残ったのが、この歌です。

タイトルは「State buoni, se potete(スターテ・ブゥオーニ・セ・ポテーテ」(出来れば良い子でいなさい)
歌のタイトルは「Vanita di vanita(ヴァニタ・ディ・ヴァニタ)」(全ては虚栄に過ぎない)
(原語のaの上の発音記号を入れると文字化けの危険があるので、記号なし)


前回書いたように、ラジオで「ジプシーオー」が放送されてアンドレアス・ショルのCDを思い出し、それから、この映画を思い出しネット検索したところ、実在の聖職者で、カトリック教会の聖人フィリッポ・ネリを描いた映画と分かりました。
フィリッポ・ネリは生涯、孤児や貧しい人たち、病人などのために尽くしたのです(映画ではドン・フィリッポ)。

もちろん映画ですから、ちょっとドラマチックなストーリーになっています。ドン・フィリッポが司祭を務める教会の向かい側に胴細工職人に化けた悪魔が住んでおり、身寄りのない少年に泥棒をさせ教会に送り込みます。ドン・フィリッポは、この少年をかばい、やがて少年は、ある少女と恋仲に・・・
数年後2人が婚約しようとしたとき、またまた悪魔が介入して、少年は殺人をしてしまい逃走。少女は修道院へ。少年は成人し盗賊団の首領となり、最後には死刑を宣告されます。が、そうした中、ドン・フィリッポの活躍で、盗賊の首領は贖罪し、爽やかな気持ちで刑を受けます。
つまり、悪魔はドン・フィリッポに挑戦するのですが、結局、敗退します。


イタリア語の歌詞はこのサイトにあります。
「出来れば善良に暮らしなさい、それ以外は全て虚栄に過ぎない」という繰り返しが印象的です。

この映画は主にヨーロッパで上映されたようで、英語ウィキにも簡単な記述しかありません。

ドイツ・アマゾンで販売しているようなので、もう一度見てみようと思います



 追加の蛇足

前回の「ジプシーオー」が収録されたアンドレアス・ショルのCD(私の持っているもの)







ジプシーオー

2015-05-21 | おきにいり

まず「ジプシー」という言葉は差別語ということで、大まかに言って世界的に使われなくなっています。
それに代わる言葉が「ロマ「シンティ」です。
しかし、やむを得ずジプシーのまま使われるものもあります。ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「ジプシー男爵」なんか、いまさら「ロマ・シンティ男爵」なんて言っても奇妙です。
今回の「ジプシー、オー」も、その一例。

定住民と非定住民の対立・葛藤は太古からあったようです。しかし、このテーマに本格的に触れようとすると、大変なことになるので無視
他方、一見自由に見える移動民に対する定住民の憧れにも長い歴史(あるいは伝統?)があるようです。

その「状況証拠」として有名なのが「The Raggle Taggle Gypsy」です。
平たく言えば「わいわいがやがやジプシー」あるいは「はちゃめちゃジプシー」で、ジプシーは単数だったり複数だったりします。
18世紀前半スコットランドを発祥の地とし、今はイギリス、アイルランド、北米などに幅広く普及、愛好されているようです。

この歌では、富裕な若い貴婦人が夫も財産も捨てて、ジプシーの仲間に加わってしまいます。


このYouTubeでの演奏が、ジプシーの魅力を良く表現しているように思います




非常に普及しているので、クラシック歌手によるCDもあります。

カウンターテノールアンドレアス・ショルによる「ジプシーオー」(ここでは複数形)


歌詞が表示されるので分かりやすいと思います

妻に逃げられた夫は馬で追いかけるのですが、やっぱり妻に肘鉄を食らいます(カワイソ

この歌の入ったアンドレアス・ショルのCDは持っているのですが、最近聴いていませんでした。
数日前にラジオから流れてきたので突然また思い出しました

このCDは日本アマゾンには無く、ドイツ・アマゾンでも残り2点、amazon.comにまだあるようです(試聴もできます)
カバー写真は私の持っているCDと違います。






六部手と泥大根

2015-05-19 | ことば

前回は深刻な話題だったので、気分転換です


その1)ろくぶての話


上の、可愛いけど使いにくそうな手袋は、フランスの人種差別反対運動の手袋。
「みんな同じじゃないけど、みんな対等平等です」

現代のスマートなチルドレンは知らない遊び(いたずら)ではないかと思いますが・・・
小学校の頃、「てぶくろの反対は?」と訊かれて「ろくぶて」と答えたら、ペシペシと6回叩かれました
わたしは「ろくぶ・て」と解釈したので、何のことか分からないまま、あれから幾歳月
ずーーーーっと「六部手」と信じ続けて不思議だったのですが
極く最近やっと「ろく・ぶて」と区切ることを発見 
こんなに鈍いのは、殆ど天才(天災)的と言えるのではないでしょうか


その2)大根足の話


この、むさくるしい足(脚)は、なんと、オーストリア郵便局のイメージ画像なのです
この足(脚)に魅了されて郵便局に出掛ける人はいないと思うのですが・・・
頼もしいイメージなのかな
「泥付き大根脚」で健康的なのかな・・・どうも分かりません。



お口直し(お目直し)に魅了されてください

インターネットで拾ったキュートな仔猫ちゃん、どこで拾ったかは、もう不明



 今日のちょっと心配な蛇足
近年はリフォームハウス(健康食品や安全日用品のお店)で昆布を売っているので、出汁用に使っていましたが、この間近くのバイオマーケットに無かったので、電車に乗って別のお店に行きました。ところが、ここでも無かったので、お店の人に尋ねたところ「ヨード含有量が多いので販売禁止になりました」と言われました。日本料理の「うまみ」の重要な主役のひとつ昆布を安全に調理に使う方法がないものでしょうか。あるいは日本人にはヨード過剰摂取免疫があるかも・・・

ネットで見つけた、これに関する情報







救うべき人々

2015-05-17 | その他

今回の写真は全てWikipediaからのものです。

2012年11月のこと、ニーダーエステライヒ州の難民収容施設の人々が、劣悪な待遇に抗議するためウィーンまでデモ行進し、このブログに繰り返し登場する教会前の広場に抗議キャンプを張りました。

当時の様子

教会側から撮影された写真

この抗議キャンプは12月28日に警察によって撤去されました。それでも抗議を続けるため、63人が、いつもの教会(ヴォティーフ教会)に避難しました。

その様子

教会内の温度は3度前後

彼らはハンガーストライキも行いましたが事態は膠着し、2013年3月からヴォティーフ教会に近いセルヴィーテン教会に引き取られました。この間、27人の難民申請が却下され、8人はパキスタンに強制送還されました。
裁判も始まり、数人は「不法難民輸送」の疑いで起訴されました。大衆新聞は「悪質な犯罪組織」と書き立てましたが、別の新聞が起訴書類を点検したところ、そうした内容はありませんでした。
この事態はまだ続き、明快な収束はありません。抗議行動を起こした人々に対する扱いは、カトリック教会の慈善団体カリタスや人権保護団体などから批判されています。

特にノーベル文学賞受賞作家エルフリーデ・イェリネク
この事件をテーマに「Die Schutzbefohlenen」という戯曲を書きました。
この題名はアイスキュロスのギリシャ悲劇「救いを求める女たち」に依拠したもので、直訳すると「保護を命じられた人々」となります。

難民抗議キャンプに関する出典はドイツ語ウィキです。

この戯曲は、何故か先ずドイツで初演され、ドイツの数都市で上演された後、去年の秋からブルク劇場で上演され、私も11日に見てきました。
ギリシャ劇の形式を用い、出演者はコロスを形成しています。

難民の中には、博士号をもつ学者や医者その他専門職の人々もいるのに、戦争や独裁政治などの理由から故郷を逃れたとたん十把一絡げに「難民」になってしまうのです。

従って彼らはギリシャ劇のように仮面であらわれます


劇の進行とともに彼らは個人となります

舞台一面に張られた水は地中海を表すものでしょう

劇の後半で突然、豪華な舞台衣装の女性がアリアを歌い・・・

・・・すぐに上手へと消えます

この場面は、ロシア出身の名高いソプラノ歌手が、国籍申請と同時にオーストリア国籍を授与されたことを示唆しているものと思います。「ああ、あの歌手」と思いつく方々もあると思いますのでリンクはしません。

戯曲の最後に難民のコロスが

私たちは、やって来た。だが、私たちは存在しないのだ

と2回繰り返し舞台が暗くなって幕となります。



       


4月にはリビア沖で重大な難民船遭難事故が起こりました。
シリアの内戦を始め戦闘の続く様々な国から難民が急増しています。
欧州連合では加盟各国に割り当て人数を設けようという話が出ていますが、反対する国々もあります(これらの国々は、僅かしか難民を受け入れていない国々です)。逆に、ドイツ、オーストリア、スイス(スイスは欧州連合メンバーではありませんが)は、想定割り当て人数より多くの難民を受け入れています。
この難民割り当て方式に、オーストリアでは緑の党が賛成し、ネオナチ党は難民受け入れそのものに反対しています。
難民受け入れに反対する人たちは「彼らはヨーロッパで生活手当てをもらって楽に暮らそうとする偽者だ」あるいは「難民を装って潜入しようとするテロリストだ」と言いますが、そういう「難民」は極く一部だろうと思います。

既に死の海で紹介したように、地中海はヨーロッパを目指す難民の主要ルートです。地中海に長靴状に突き出すイタリアは、難民受け入れ最前線です。2013年10月から2014年10月まで、イタリア独自の難民救出プロジェクト「マーレ・ノストルム」では15万人の難民が救出されています。このプロジェクトが1年間で終わりになったのは、ひとつには予算の問題だろうと思います。その後、欧州連合による境界警備プロジェクト「トリトン」が始動しましたが、救済を主眼とした「マーレ・ノストルム」とは違い、出来るだけ難民を入れないよう欧州連合の領域を守ると言うのが主旨です(難民追っ払い作戦)。
上にリンクしたトリトンに関するSWIの記事は非常に良い記事だと思います。お時間が有れば是非お読みください

そもそも、この記事に関する基本データとして、諸国の難民受入数や難民申請数を紹介しようと思ったのですが、ちょっと探しただけでは整備されたデータは見つかりません。もし見つけたら追加しようと思います。





イベントの前

2015-05-14 | 旧市街

前々回のミツバチ前回の中庭に続き、市庁舎前公園です


1)木の向こうの市庁舎は写したくなる光景


2)前にも書きましたがウィーンは公共ベンチの多い街です


3)スパニエルさんがいました

背後の彫像は画家ヴァルトミュラーの記念碑

4)大きなプラタナスの幹


5)ここにも芝生人が・・・


6)ついつい又木々の向こうの市庁舎


7)ついつい又ベンチ群

ベンチに横になって本を読んでいる人

8)噴水


9)公園の見取り図


10)市庁舎前にセセッションの金のキャベツのコピーが・・・


11)イベントの準備中ですね


12)木々の向こうのブルク劇場


13)かなり広々と立ち入り禁止


14)Wはウィーン芸術週間のシンボル:後方は国会議事堂



さっきの立ち入り禁止区域はウィーン芸術週間オープニングの準備か・・・と思ったのですが、今年の芸術週間オープニングは、シェーンブルン庭園にウィーン・フィルが登場する無料のオープンエア・コンサート。とすると市庁舎前のイベント準備は何のため?

実は今や世界的に知られるライフ・ボールの準備でした。(ドイツ語発音だとライフバル)
毎年5月はウィーン芸術週間とライフ・ボールの月ですが、今年はユーロヴィジョン・ソング・コンテストもあって何だか盛り沢山。

芸術週間は5月14日から6月21日まで:演劇、パフォーマンス、展覧会のほか音楽祭もあります。
ライフ・ボールは5月16日:布の使用量が少ない大胆奇抜なコスチュームが多いので知られています。
ユーロヴィジョン・ソング・コンテストは5月19日から5月23日まで。会場はシュタットハレ

昔はウィーン芸術週間の演劇を色々見に行ったものです。RSCの公演のほかにも印象的な舞台がありました。この頃は横着になりましてご無沙汰
もともと人混みが苦手なので、ライフ・ボールは行ったことがありません。むしろ避けてます。ユーロヴィジョンも同様の理由から回避対象


みみずボログの
ライフ・ボール紹介記事:かげき
セセッション紹介記事:金のキャベツ





市庁舎の中庭

2015-05-12 | 旧市街

前回に続いて市庁舎の中庭ピンボケ写真です


1)中央中庭への途中で見たドア

細かい木彫りの模様がステキ

2)中央中庭後部の塔


3)前部の塔

ウィーン市庁舎中央の一番高い塔を中庭から見たものです

4)窓の花


5)


6)鉢植えも飾られています


7)中庭の一角


8)


9)大きな木もあります


10)噴水を見る子供たち

後のハート形ベンチではお母さんがオシメの交換

11)ちょっと見にくいですが「岩登り」する女の子


12)来たのと反対側の通路から外へ


13)市庁舎を出ると正面にいつもの教会後陣


14)市庁舎を出て左手にあった建物


15)市庁舎横建物の外回廊


16)市庁舎前公園の方へ出てくると・・・

いつもの教会前部と大学本館後部

右側にある建物は全部まとめて大学本館です。



すみません、まだ市庁舎前公園へ続きます 乞無期待






ミツバチの日

2015-05-10 | 旧市街

5月8日、市庁舎中庭で「ミツバチの日」というイベントがあったので見てきました
恒例、ピンボケ写真の羅列です


1)幾つか中庭を通って中央中庭へ


2)今通ってきた通路を振り返ったところ


3)これが中央中庭です


4)「ミツバチの日」の看板


5)ステージ

色々講演やビデオなどがあったようですが、ちょうど休憩時間でした

6)ウィーン市内には2000のミツバチ集団が生息しています


7)養蜂箱の一例


8)別の例

いずれの場合もハチさんが出てこないように出入り口は閉めてあります

9)8の養蜂箱を上から見たところ


趣味の養蜂を志す人たちのための情報色々
10)養蜂箱を重ねたところ


11)内部の構造


12)ミツバチのためになる花類


13)


14)これは何でしょう

虫さんのホテルの「建材」です

15)出来上がった「虫さんホテル」

植物の成長に役立つ虫さんのための「住まい」

16)ミツバチさんの作品


17)粉ではありません:この中にミツバチさんに有害なダニがいます

虫眼鏡で見られます(もちろん、もう生きていません)

18)普通のハチの巣:蜜蝋ではなく木の皮などで建造されます


19)消防署の人たち

公共空間のハチの巣、スズメバチの巣を除去するのは消防署の仕事

もちろん、養蜂家の直売スタンドも沢山ありました。以下その数例。

20)


21)


22)




「ミツバチの日」イベントは、ここまでですが、ピンボケ写真は続きます でも乞無期待



 今日の蛇足
1945年5月8日、前日のドイツ軍無条件降伏によって、第二次世界大戦ヨーロッパ戦線の停戦が発効しました。
このため、ラジオ、新聞で次々と「戦後70年」の特集があります。
オーストリアにあったマウトハウゼン強制収容所は5月5日、アメリカ軍によって解放されています。