今年も巡ってきた広島と長崎の日。
以前のボログ記事末尾にも書いたとおり、広島と長崎への原爆投下は、戦争を早く終わらせるためでもなく、戦死者を少なくするためでもなく、ソ連に対するアメリカの「攻撃」でした。
日ソ不可侵条約を結んでいたソ連を、対日参戦に踏み切らせるという意図もあったようです。
(日本が早晩無条件降伏することは明らかで、原爆は逆に全く不要の膨大な犠牲者を生み出しただけです。)
追記:「ソ連を対日参戦に踏み切らせる」とは、アメリカ軍の追加投入無しに更に日本に打撃を与えるという目的だったと思います。
ヨーロッパでは既に1945年5月ドイツが無条件降伏し、ソ連軍はドイツ東部、オーストリア東端まで進出していました。アメリカは戦後処理においてソ連の介入を許さないため、日本を単独占領しようとしていたことは確かです。他方、8月6日広島に原爆が投下されると、ソ連としては極東戦線でも自己主張するため、日本軍を攻撃する差し迫った必要を感じ取ったのでしょう。8月9日にソ連軍は日本軍攻撃を開始しました。長崎への原爆投下の日だったのは偶然だと思います。
宮崎効果に書いたとおり、私は
カリウスの「泥まみれの虎」(英訳版)を読みました。その中に書かれていた極めて印象的なことは、当時のドイツ軍兵士がソ連に占領されることを恐れ、東部戦線では必死で戦ったこと、逆に戦争末期の西部戦線では、アメリカとイギリスに占領されることを望んで、大半の兵士が殆ど戦っていないことです。カリウスはその中でも真面目に戦った少数派のひとりです。
冷戦というのは、実際の戦闘がない「第三次世界大戦」でした。
下のグラフはアメリカ(藤色)とソ連(橙色)の核兵器保有量の推移です。
本格的な戦争(戦闘)無しに、軍備拡張競争が続きました。
出典:
ドイツ語ウィキ
そもそも、アメリカ、イギリスなどがヒトラー台頭を容認していたのは、ナチス・ドイツがソ連に対する防波堤になるという思惑からでした。これに乗じてヒトラーは侵略戦争を開始しました。ヒトラーの台頭を許した本質的原因は第一次大戦・戦後処理の不備
ヴェルサイユ条約です。
第二次大戦中、アメリカのみならずドイツ、ソ連も原爆開発に取り組んでいました。日本でも核兵器開発が進められていたのです。
当時アメリカが最も恐れていたのはナチス・ドイツが原爆を獲得することでした。
上のグラフで分かるように、冷戦の一時期にはソ連の核兵器保有量がアメリカを上回りました。しかし持続的軍拡競争による両国の経済的負担は大きく、結局ソ連の崩壊へとつながりました。
上の写真は長崎ではありません。1937年、ドイツ空軍の爆撃で破壊されたゲルニカです。
フランコ軍を支援したドイツ空軍のゲルニカ爆撃も、冷戦における主導権を握ろうとしたアメリカの原爆投下も、いずれも人道的犯罪であることは明白です。
ピカソの絵画ゲルニカ
以前の長崎記事:
長崎物語
色々検索していて、非常に詳細な記事を発見しました。
長いので、核心部分のみリンクしました。
トルーマンは何故原爆投下を決断したか?
核兵器の歴史