みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

スポーツの秋

2014-09-29 | そこらへん

ここらへんの新学期は秋からです。
アフリカ・アジア研究所のアラビア語コースも新学期が始まりました。

コース2回目の9月27日、帰ってきたら、駅前広場がにぎやかで、一角には剣道着の人たちが、たむろしていました 以下恒例ピンボケ写真です


1)剣道着の人たち


2)別の角度から


3)特設舞台でスポーツがなんたらかんたら…


4)観客席


5)スポーツ週間という垂れ幕


あなたの好きなスポーツを見つけて健康のためスポーツしましょう、というイベントらしい

6)プファードフィンダー(ボーイ/ガール・スカウト)のテーブル


7)


8)


9)


工芸品の出店もありました。

10)MA48(市清掃局)もゴミを減らそう宣伝


11)民族衣装の人たち(出番のある人たちのようです)


どこの民族衣装かは不明ですが、オーストリアのものでないことは断言できます。スラブ系と思われますが、チェコ、スロヴァキア、スロヴェニア、クロアチア等々数多く、特定はできません。

12)剣道の紹介


13)


まだまだ、説明と模範演技が続きましたが、うまく撮れないので途中で切り上げました


解説の人が「昔は侍の武術であったが今はスポーツとして普及している」と話していました。

この人たちが何流であるか気になりましたが、多分、解説者は分かっていても、観客のため細かいことは省略しているのでしょう。

例えば、キリスト教圏外では、十把ひとからげに「キリスト教」で、せいぜいカトリックとプロテスタントの違いがあるくらい。
本当は同じカトリックでもベネディクト会、フランチェスコ会、シトー会、ドミニコ会、イエズス会その他色々な修道会があります。
イスラムも同じで、スンニとシーアだけではなく色々複雑です。仏教や神道でも、ただひとつだけではありません。
しかし、ここらへんの人たちにとっては「侍の伝統を受け継ぐスポーツ剣道」とした方が分かりやすく理解しやすいだろうと思います。



みみずボログの以前の武道記事






そばの公園

2014-09-26 | そこらへん

「風立ちぬ」を見た映画館のそば、水族館(元高射砲塔)まわりの公園です


1)映画館前の通り


2)水族館の下の部分「海洋を救おう!」


3)てっぺんの「ミッキーの耳」用途不明


4)ガラス部分は水族館になってからの増築部分


5)映り込み


6)水族館入り口


7)壁面ではロッククライミングができます


8)上のほうの人


9)地面から近い人


10)上のほうの人


11)周辺の公園

エステルハージ公園という名前です

12)木漏れ日にも秋の気配


13)


14)船の形をした遊び場


15)船形の両側は滑り台


16)映画の後、地下鉄駅のある通りへ戻りました

マリアヒルファー・シュトラーセというショッピング街



 以前のみみずボログ記事      

映画館までの道
「風立ちぬ」DVD発売のお知らせ







「風立ちぬ」ポエム

2014-09-23 | おきにいり

前回の映画館で「風立ちぬ」を観ました。非常に詩的な映画だと思いました つまり宮崎アニメとしては「静か」です。
宮崎アニメ代表作のダイナミックなアクションやファンタジー、激しい戦闘場面などを期待した人は、期待はずれでガッカリしたことと思います。
宮崎監督は始めから、戦争映画、反戦映画とは全く違う映画を意図したのではないでしょうか。そういう枠をはみ出した、もっと抽象的な、哲学的とも言える内容です。
私の独断と偏見によれば
創造という名の狂気を静寂の中に詩的に描き出した映画なのです。

「創造という名の狂気」なら、主人公は高村光太郎でもミケランジェロでもベートーヴェンでも他の芸術家あるいは科学者でもいいのかも知れませんが、宮崎監督の終生の夢が「飛行」だからこそ、主人公が零戦の設計者だったのでしょう。映画は堀越二郎堀辰雄に捧げられています。
しかも、この雰囲気はアニメならではのものです。実写映画だと生々しく「肉々しく」なり過ぎて、風のような透明感が出せません。

映画から私が勝手に受容したイメージを集約したような音楽作品はショーソンの「ポエム(詩曲)」です。

バイオリンの神様のようなヤッシャ・ハイフェッツの演奏

長いですが、クラシック作品としては短く13分ちょっとです



      



「風立ちぬ」が紹介された9月11日付けのNZZ(新チューリヒ新聞)


映画の画面の部分を少しアップ

タイトルは「巨匠最後の飛翔」

紹介記事の要点
アニメ映画の巨匠宮崎駿は去年9月、引退することを表明した。続いてジブリも閉鎖されるかの噂が流れたが、幸いジブリは存続するようであり、宮崎監督も引退を前に、もう一度、その比類ないアニメ芸術を私たちに見せてくれた。これはアヴィアティック愛好家のための大きな喜びである…作品には関東大震災の光景も含め当時の日本社会が丁寧に描かれている。主人公の夢の中には飛行機設計者のカプロニが繰り返し登場し、様々な警告をしている。技術的な発明は遅かれ早かれ軍事目的に悪用される、というのもそのひとつである。主人公がサナトリウムに菜穂子を訪ねる場面でも、あるドイツ人が、ドイツと日本は、ともに破局に向かうであろうと予言する。サナトリウムの場面はトーマス・マンの「魔の山」を想起させる。戦争批判が不十分であるという批判もある。カプロニの語る「全ての創造者にとって絶頂期は10年であり、何としても、この期間に全てを懸けねばならない」という言葉を実践する中で、菜穂子さえ犠牲となる。こうした点について宮崎監督は「夢には狂気の要素があり、美しいものへの憧れは何かを破壊することもある」と述べている。

これを読んで出掛けたのですから、私の場合は「心の準備」が出来ていたわけです。コンピューターの無い時代に、主人公が計算尺を駆使する場面は「静かなる格闘」とも見えました。記事に「魔の山」が言及されていますが、私はルキノ・ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」を連想しました。
「登場人物がタバコを吸い過ぎる」という批判があるのもネットで読みましたが、当時は、本当に多くの人々が場所をかまわず喫煙したのですから仕方ないと思います。例えば「殺生は不道徳で犯罪だから描いてはいけない」などと言い出すと、多くの映画が不可能になります。宮崎アニメの代表作もダメということになります。


ルキノ・ヴィスコンティに関する以前のみみずボログ記事

「風立ちぬ」DVD販売予告の記事に、みみずボログの以前の宮崎アニメ関連記事をリンクしてあります






「風立ちぬ」いざ出発

2014-09-21 | そこらへん

DVD発売予告のあと、愛読紙NZZ(新チューリヒ新聞)にも紹介記事が載りました。もちろん高く評価されています。
いよいよチューリヒの映画館で上映というお知らせ

ムム、ウィーンでは上映してないのだろうか?とネット検索したら、すぐ見つかりました。
何故、こういうことになるのかと言うと、オーストリアに住む私が定期購読しているのがスイスの新聞で、オーストリアの新聞のHPは読んでいるものの、映画欄は見ないからです。

で、「風立ちぬ」いざ出発 今回は映画館最寄駅から映画館までの道筋なので、カテゴリーは「そこらへん」


1)地下鉄駅から地上に出たところ


2)Uは地下鉄のマーク


3)この道を進むと…


4)…こんなところに出ます

これは第二次大戦中の高射砲塔を利用した水族館です

5)水族館周囲の小公園を通り抜けると映画館が見えてきます


6)映画館の上のほう


7)映画館の入り口




映画については…続く でも乞無期待


追記:ここの映画館には個別のプログラムなどはありません。月間プログラムとか、そういったパンフが無料で置いてあるだけです。特別の映画祭などではプログラムがあります。そこで、チケットだけスキャンしました。









ごみ祭

2014-09-18 | その他

廃棄物の処理は世界中どこでも大きな問題です。生産・加工工程で「量産」される産業廃棄物も重大問題ですが、家庭ごみなど一般廃棄物も出来るだけ減らし、上手に処理することが大切。

という主旨で市の管轄局によって催されるのが「ごみ祭」。その案内がポストに入っていました。




一生懸命歌っているのは、市内に配置されているゴミ箱で、ちょっと飛び出た筒状のものはタバコの吸殻専用です。


ごみ処理の説明だけでは人が集まらないからか「客寄せプログラム」がいっぱい

48というのは部局の番号で「ウィーン市清掃局」です


気が向いたら行ってみようかと思っていますが、どうなるか…




 今日の蛇足

オーストリアの環境学者など専門家グループによる研究結果が発表され、地球温暖化の影響が特に強いアルプス地方に位置するオーストリアでは、今のままだと、猛暑や異常気象、自然災害が更に増え、氷河はどんどん消えていく、という恐ろしい予想が出されました

効果的な対応策が実行されるか、この予想が当たりませんように





登山猫

2014-09-15 | かりねこ

アルプス登山史上最も著名な登山犬チンゲルのNZZ記事には、登山猫トンバについても言及されていました
で、ネット検索で、彼の姿と生涯を知ることができました


トンバの雄姿

頑丈で意志もしっかりしている様子がわかります


登山家とともに稜線を行くトンバ



登山猫トンバの生涯

スイスの小さなスキーリゾート・カンダーシュテークからロープウェーと徒歩1時間半で山岳ホテル・シュヴァーレンバッハに到達します。海抜2200メートルにあるホテルで1988年8月7日、雄猫が生まれ、当時活躍していたイタリアのスキー選手アルベルト・トンバに因んで、トンバと名付けられました。

トンバは既に少年時代から自分で山歩きに出掛け、あるときはゲミ峠を越え、直線で10キロ離れ、800メートル下にあるロイカーバートまでワンデルング(猫だからニャンデルング)したということです。

あるときは、ホテルに泊まった3人の登山客とともに、海抜3454メートルのリンダーホルンに登頂しました。その数日後、別の登山客とともに、海抜3699メートルのバルムホルン山頂まで一緒に登りました。
これ以降、トンバは繰り返し、ホテルに泊まる登山客とともに周辺の山々を征服しました。天気の良いときは、すぐに同行者と戻らず、氷河の登り口で次の登山客を待ったということです。

トンバは登山のパートナーを自分で選びました。前夜に宿泊客のグループを見てまわり、どうやら臭いで、翌日の登山パートナーを決めていたようです。自分で登山パートナーを選ぶところが、猫さんらしいと思います。

1989年9月5日、ある登山家夫婦が、翌日の登山計画をホテルのオーナーに話し、他に登るグループがいるかどうか尋ねたところ、オーナーは「猫くらいかな」と返事しました。翌日早朝リンダーホルンに向かって出発した2人は、猫が一緒に歩いているのに気づき、前夜のオーナーの言葉の意味が分かったのです。

別の時、やはり若いカップルがトンバと一緒に登山していると、突然トンバが先に進むのを嫌がり、大きな岩陰に消えました。2人はトンバが何か発見したのかと思い、後に続きました。その直後、雪崩が起こり、岩陰の一行は難を逃れたのです。人間には分からない前兆をトンバは感知したのでしょう。
これは私見ですが、全ての猫さんが、トンバのような能力を持っているとは断定できないように思います。
トンバは海抜2200メートルで生まれ、周辺の山々を歩き回っていて雪崩の前兆などにも鋭敏だったのではないでしょうか。トンバはまさしく「山猫」だったのです


以上のエピソードなど様々なトンバの登山記録は、同行の人々によって撮影され、詳しく報告されています。

大型犬のチンゲルと違い、トンバは既に高山を出発点として登頂しているのですが、それでも、大型犬よりずっと小さい猫さんが、雪渓や氷河などを克服し人間と一緒に多くの山頂に達したのは、すごい「業績」だと思います。
(犬科の方々は耐久力で追跡猟をしますが、猫科の方々は瞬発力で狩猟し、あまりスタミナはありません)

トンバは1993年1月17日、猫エイズのため世を去りました



出典はこのサイトです(ドイツ語)
山岳ホテル・シュヴァーレンバッハのHP(英語)








ふぇち娘

2014-09-12 | かりねこ

猫さん、犬さんは履物の臭いが好きですね 世界共通のようです


ネットで見つけた、ふぇち娘です(三毛猫さんなので、ほぼ99.99%、女の子でしょう)







       



またまた急ゴタで、じっくり「手抜き記事」を書く時間がありませんでした 
これから、ちゃんと更新…の予定


でも相変わらず乞無期待






夏の映像

2014-09-09 | そこらへん

急に臨時ゴタゴタがあり、またまた、ちょっとご無沙汰ですみません


オーストリアの新聞に紹介されていたYouTube動画です。
こんな良いところに住んでいて、なんで出掛ける必要があるの?ということらしい
アップロードしてから2週間ですが6万ヒットを記録しています


ウィーンの夏というタイトル




登場するのは
ドナウ川
ドナウ運河
ドナウ水郷
シェーンブルン宮殿
シュテファン広場
プラーター
レオポルト美術館

日本語のないものは英語にリンクしてあります。日本庭園は多分、シェーンブルンにあるものだろうと思います(行ったことない


えー、これから時間があると思いますので、セッセとボログります。時たま覗いてやってくださいませ でも乞無期待ね






これから

2014-09-04 | おきにいり

何年も前に、ウィーンの映画館で宮崎駿特集があり初めて宮崎駿&ジブリ・アニメの世界に開眼した私

「風立ちぬ」のことはネットや日本アマゾンのユーザーコメントで知っていましたが、賛否両論渦巻いていて驚きながらも、当然かなと思いました。
でも、少年時代から飛行機の夢を追い続けた監督にとって、本当に描きたかった世界なのでしょう。
こちらの映画館での上映があったのかどうかは気がつきませんでした(日頃は映画を見ないのです)

私の宮崎アニメDVDは全てドイツ語版です。ドイツ・アマゾンで買ったら送料無料だし、オリジナル音声(日本語)のほかに吹き替えや字幕もあるから、こちらの友達にも見せられるし…
「風立ちぬ」はドイツ語版が見当たらないので、テーマが外国向きじゃないかな、などと思っていましたが、出ました、と言うより「これから」


ドイツ語版ケース

発売予定のカバー、6才以上


このドイツ語版は12月発売で、目下予約受付中。

それでも、既に見た人のコメントが3つ、全て☆☆☆☆☆で絶賛。
筋金入りの宮崎ファンで日本の事情にも詳しい人たちなのでしょう。「日本で右翼から左翼まで賛否両論が渦巻いていること自体も、宮崎駿の功績である」とまで書かれています。いずれのコメントにも、アニメの天才・巨匠の最後の作品に相応しいとの評価。

もちろん、ドイツ語版を見たら、この続きを書きます


みみずボログの宮崎記事
古希
メイサンせん
サンとセン
神話の世界
宮崎効果
スイスのポニョ
トトロ追加
トトロ満員



またまた数日ゴタゴタ、でも、ときたま覗いてやってくださいませ 恒例、乞無期待







女性初会員

2014-09-01 | かりいぬ

8月29日のNZZ(新チューリヒ新聞)に載った記事です

タイトルは山に捧げた犬生

その下に「グリンデルワルトの番犬チンゲルがアルプス登山史上最も有名な登山犬となるまで」とあります。


全面記事


少しアップ


飼い主はチンゲルを深く愛し、写真を撮ったり、登頂のたびにチンゲルの首輪に付ける記念銀メダルを作ったりしました。


ステキな物語なので、いいところも割愛しながら要訳。それでも長いです。

1865年の9月、イギリス人登山家ヘレフォード・ジョージが仲間の登山家とともに山岳ガイドのクリスティアン・アルマーを待っていました。彼らはチンゲル峠を経てラウターブルンネンへ出る予定でした。人々を驚かせたのは、アルマーが子犬を連れてきたことでした。アルマーは来る途中に10フランで子犬を買ったと語りました。この子犬は生後5ヵ月の女の子で、将来、有名な登山犬になるなどとは誰も夢にも思いませんでした。子犬は勇ましく登山家とともに歩き、時々助けられながら、氷河に覆われたチンゲル峠を自力で越えたのです。人々は、これを記念して、子犬をチンゲルと名付けました。

続く3年、チンゲルはグリンデルワルトのアルマーの家で番犬を務め、何回か子犬も産みました。1868年、名高い女性登山家マーガレット・ブレヴォールトと甥の登山家ウィリアム・クーリッジがグリンデルワルトに滞在、アルマーをガイドとしました。アイガー登山に失敗して落ち込むクーリッジを慰めようと、アルマーはチンゲルをクーリッジに譲ったのです。アルマーの家には、チンゲルの息子ベッロが番犬として残りました。チンゲルは数日後から新しい飼い主のクーリッジとともに、アルプスの山々を制覇し始めました。

続く歳月の登山犬チンゲルの華々しい活躍は、書いているときりがないので省略します。

1869年モンテローザ登山の帰り道で、クーリッジとチンゲルは英国山岳会の登山家たちと出会いました。彼らはチンゲルの「業績」に感嘆し、その場で「正式に」英国山岳会名誉会員に選出しました。他方、当時既に名高い女性登山家だったマーガレット・ブレヴォールトは会員になることなく、このクラブに人間の女性会員が選出されたのは、漸く1974年のことです(それまでチンゲルは最初にして唯一の女性会員でした)。

チンゲルは登山が好きで、人間に強制されなくとも、進んで登山しました。1873年にクーリッジ一行がグランド・ルイネに登山したとき、最終行程が犬には無理だろうというので、チンゲルは山頂近くのキャンプに残されました。ところが、一行が山頂に着くと、別の方向からチンゲルが現れ、大喜びで尻尾を振りながら一行に合流しました。チンゲルは自力・独自のルートで山頂へ達し、飼い主に追いついたのです。

あるイギリスの登山家がユングフラウ高速登頂を目指し、意気揚々とエッギスホルンのホテルに戻ると、電報が届いていました。

“Bow wow, I could have done it much more quickly than that. Tschingel.”
(わたしなら、もっと早いわよ、チンゲル)

もちろん、クーリッジがチンゲルの名前で送ったものでしょう。

1875年7月24日、チンゲルはクーリッジ一行とともに、ヨーロッパ最高峰モンブランの山頂、海抜4810mに達しました。下方の集落から望遠鏡で一行の動きを見守っていた人々は、チンゲルが先頭に立って登頂すると、祝砲を鳴らしました。これは、外部からの助けなしに犬が自分の足でモンブラン登頂した最初の記録とされます。

1868年から1876年までにチンゲルはクーリッジ一行とともに毎夏アルプス登山しています。そのうち53回はアルプスの最高峰に数えられる山々で、11回は初登頂、小規模の登山やワンデルングは数百回に及びます。
晩年のチンゲルは、すっかり歯を失い盲目に近い状態となったので、クーリッジは安楽死を考えましたが、それより先1879年6月15日の夜に、チンゲルは暖炉の前の自分のベッドで眠るように息を引き取りました。



チンゲルはヨーロッパ・アルプス登山史上、今日に至るまで、最も多くの山頂を制覇し、最も知名度の高い登山犬です


ウィキ・フリー画像から


左からクリスティアン・アルマー(山岳ガイドでチンゲルの最初の飼い主)、ウルリッヒ・アルマー(息子かな?)、マーガレット・ブレヴォールト、チンゲル、ウィリアム・クーリッジ(1874年)。

子犬の名前の由来となったチンゲル峠最高点

後方は別の山々


私も、ユングフラウヨッホまでは(ケーブルカーとロープウェーで)登っています。グリンデルワルトやラウターブルンネンにも行っています。アイガーの北壁は本当にえぐられたようで「よく、あんなところを登るもんだ」と呆れました。