みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

もっとボブ

2015-09-29 | おきにいり

すみません、ボブ猫さんの大ファンである私は、ついに絵本にも手を出しています。

と言ってもボブ人気で紹介した本・カレンダーと同時に注文したのですが、やっと最近になって届いたのです。





迷子の仔犬ちゃんをボブ猫さんが見つけ、ちょっと冒険があって、ジェームズとボブの家で一晩過ごし、迷子の張り紙で家がわかり、仔犬ちゃんは無事に我が家へ戻る、というお話です

表紙に「本当にあった物語に基づいて」と書かれているので、似たようなことはあったのかも

大人が読むには簡単ですが、子供へのプレゼントに良いかもしれません

日本アマゾンでも扱っています。9月24日発行の出版ほやほや


以前のボブ猫さん記事はボブ人気にリンクしてあります







やすも

2015-09-27 | その他

仕事でネット検索中に見つけたYouTube。ウィーンのラッパーです
なかなかスッキリ綺麗で楽しいと思います





ヤスモ&クラングカンティーネ(Yasmo & die Klangkantine)というグループのYouTube。
音楽はフィーリングだそうです

イタリア語のカンティーナは酒場とか酒蔵(主にワイン)ですが、ドイツ語のカンティーネは従業員食堂、酒保などを意味します。クラングは音響なので「音の酒場」?



リーダーでヴォーカルのヤスミン・ハフェードについてはドイツ語ウィキしかありません。




戦後70年の読書

2015-09-25 | おきにいり

何故か直感的に「読んでみたい」と思う本が時々あるものです。
日本アマゾンで見つけ、届くと同時にあっという間に読んでしまいました


その1「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」



面白くて時々笑ってしまいました。アマゾン「日本はなぜ・・・」

歴史の謎解きは、下手な推理小説より面白いのです。
例えば「織田信長を殺した真犯人は誰か」とか「リチャードⅢ世は本当はどんな人物だったか」とか・・・こうしたテーマは推定や空想しかできませんが、この本には、私が最近気にしていることへの解答がありました。

気にしていたのは「改憲が何故いけないのだろう?改悪は阻止すべきだが、改善なら構わないのに」ということでした。

戦後70年を極度に簡略化して言えば「戦後の占領体制の基本的枠組みが現在まで継続されている」ということです。
しかし、占領軍が意地悪で、そういう風に仕組んだ、というわけではないと思います。
第二次大戦を見る角度として、この頃ようやく世界的に普及(?)しているのが「冷戦の枠組みで考える」ということです。
その枠組みで見ると、日米の関係者が、それそれの立場と情勢判断から、大いに努力していたと思われます。
日米の多くの関係者が一番恐れていたのは「日本にソ連のような共産革命が起こったら大変だ」ということでした。

世界的に知られる日本国憲法第9条の第2項は、当時構想されていた理想の国連と国連軍を前提にしていたようです。
「正義の味方・国連軍」があれば軍備無しの日本でも大丈夫という前提があったのですが、理想の国連軍はできず、第2項はそのまま残りました。

このブログに以前「第9条と同じ条項を他の国々でも採用するよう勧めたら、どの国も断るだろう」と書きましたが、第9条第1項に相当する「戦争放棄」を掲げた憲法が他の国にもあることを、この本で初めて知りました。紛争解決手段としての戦争は行わないという意味の条項を憲法に入れているのは、イタリアとフィリッピンだそうです。
どこへでも出動して助けてくれる「正義の味方・国連軍」がいないのに、軍備を持たないというのは、大半の国々では、やっぱり不可能ではないかと思います。
例外のひとつは、非武装中立のリヒテンシュタインで、軍備をスイス軍に任せています。そのスイスも永世中立国ですが軍があり、独自の兵役制があります。

日本国憲法の改善の例として「領土内には一切外国軍基地をもたない」といった条項を盛り込むことですが、もう70年も米軍基地のある状態が常態になっているので、「なくなると困る」という人々もあるのではないかと思います。

原発が止められないのも、基地の場合と同様の背景からです。詳しくは本書をお読みください(と丸投げする)。


その2「私の戦後70年談話」アマゾン



41人の学者・文化人・政治家が体験談を語っています。とても面白いです

特に感動して笑ったのはノーベル賞受賞者益川敏英教授の次の一節です。

学校ではまじめに勉強しなかった。(中略)宿題も<信念をもって>やっていなかった。ある時、母が心配して担任の先生に相談した。「先生、たまには宿題を出してください、うちの子、全然勉強しないので・・・」。すると先生は「毎日出していますが、お宅の子だけやってこないんです」・・・

ここから導き出される学術的結論は「宿題とノーベル賞は関係ない」ということです







秋祭り再び

2015-09-22 | そこらへん

以前にも紹介した近所のお祭り、また散歩のついでに覗いてみました


1)お祭り通りの西から入ります


2)お祭り期間は市電も迂回


3)お祭りホイリゲ


4)あ、バウムクーヘンのお店、買おう!と思ったのですが・・・


5)・・・買う人の行列を見てやめました


本場と言われるドイツでもオーストリアでも、めったに見かけないバウムクーヘン。
今や日本が本場かも・・・

6)いかにもお祭りらしい風景


7)いつもの教会


日本なら××神社のお祭りとかいうところですが、これは教区教会前広場のお祭り。

8)見えにくいけどトランポリンで遊ぶ子供たち


9)人が集まるところには警官が待機


10)恒例特設ステージ


11)広場のそばのベランダ


12)教会の手前から見たところ


13)ここにも、お祭りホイリゲ


もうすぐ選挙があるので左端に候補者のポスター。
幸い、ここらへんには騒々しい連呼宣伝カーはありません。

14)お祭りダーツのお店


15)ここにも待機中の警官


こういう催し物で待機している警官は、たいてい腕組みしてます。
何事も無ければ暇で手持ち無沙汰なんでしょうね。

16)ブレブレ電気自動車


17)くじ引きのお店


18)お祭り屋台の駄菓子


たまには何か買ってみようとお菓子を買いました。
右上は、くじ引きでもらった蝶々(もちろんMade in China)。



難民をめぐってハンガリーとクロアチアが喧嘩しています。
オーストリアには、この数日で2万人以上が到着。
この秋祭りと著しいコントラストです。







にやこの素

2015-09-20 | おきにいり

すみません、また勝手な省略で、ニューイヤーコンサートを略して「にやこ」
ラジオの音楽トーク番組で「シュランメル音楽はニューイヤーコンサートのUrsuppe(ウアズッペ)」という話がありました。

ウアズッペというのは、そこから最初の生命体が生まれる「原初的スープ」で、日本語では「有機的スープ」と言うようです。
「有機的スープ」が出てくるのは、ウィキの生命の起源
「味の素」風に言えば「命の素」 ここまでは脱線でして・・・

つまりシュランメル音楽こそニューイヤーコンサートへ発展する「有機的スープ」
シュランメル音楽は伝統的なホイリゲ音楽として、近年は世界的にも知られるようになっていると思います。

シュランメル音楽を紹介するYouTube



現代のシュランメル・カルテットの演奏



煩わしくなるのでリンクは付けませんが、このグループはホイリゲで演奏するのでなく、定期的にコンサートで演奏しています。この画像の撮影場所は新王宮の古楽器博物館です。


今まで考えたことも無かったのですが、改めて聴いてみると「なるほど『にやこの素』だな」と思います。
文化的伝統というのも、有機的に発展継承されていくものなのでしょう。


      


テレビで鑑賞していらっしゃる方も多いと思いますので、今更ですが「素」でない方の「にやこ」の一場面



私の尊敬するニコラウス・アルヌンクールが指揮するオリジナル版ラデツキー行進曲
手拍子無しの方が良いと思いますが、ニューイヤーコンサートの「大切り」では「手拍子入り」が恒例となっているので仕方ありません。

もともと、イタリアの独立運動を鎮圧したラデツキー将軍を称える行進曲。ワルツ王ヨハン・シュトラウスの父のヨハン・シュトラウスが、皇帝へのゴマ摺りに作曲したもので、その辺が、どうも気になるのですが名曲であることに違いありません。日本語ウィキにもあるように、今のイタリア人には、全く抵抗がないようです。それは無知からくるのではなく、今やイタリアがサミットの1国である余裕によるものでしょう。

こういうYouTubeは後で消される(つまりYouTubeサイトでのみ見られる、あるいは完全削除)という可能性もあります


 今日の蛇足(本当の蛇足です)

何人かのスイスの友達からは必ず一度「日本の時計のせいでスイスの時計産業は壊滅的な打撃を受けた」と言われたことがあります。でも、恨みがましい言い方ではなく、カラカラと笑いながら言われるのです。これも、スイスの時計産業が見事立ち直って、高級時計の分野で確たる地位を保っている余裕でしょうね。





ボブ人気

2015-09-18 | おきにいり

いやー、ロンドンのボブ猫さんの人気は凄いです
実は私も大ファンになっちゃって、3冊目のボブ本も読んじゃったりして・・・


その3冊目は「ボブからの贈り物」

ドイツ語版表紙をスキャン

2010年、まだ最初のボブ本が出版される前、まだ生活苦の著者がボブと過ごしたクリスマスの物語。
前2冊同様、ボブが賢く愛らしく、心暖まる物語です。ドイツでは、すぐベストセラーになったようです。
ボブからの贈り物とは何か、最後まで読むと分かります。

日本語版はまだ無いようですが、英語アマゾンで原語版があります。

ボブ・ファンの私はカレンダーも買ってしまいました


独アマゾンのサイトからコピー

面白いことに、英語圏のカレンダーは見当たりません。私の見落としかもしれませんが・・・
いやー、ほんとにドイツ語圏でのボブ猫さん人気は凄いですね
私は、これまでボブ出版物は全て独アマゾンで買っているのですが、今日、近所の文房具・書籍チェーン店(リブロ)へ行ったら、このカレンダーがあったのですよ。本のところを探せばボブ本もあるかも。ということは、ボブ猫さんはオーストリアでも大人気。
ボブ猫さんが健康で長生きすることを祈っています


以前のボブ猫さん記事
ボブカード
ボブ2
ボブ遅報


英語ウィキの著者紹介


 今日の難民情報

ハンガリー経由の道を絶たれた難民は、セルビアからクロアチア、スロヴェニア経由でオーストリアへ至る道を進んでいます。
ごり押し首相のハンガリーと違い、クロアチア、スロヴェニアの政府はオーストリアと連携して対処するようです。
・・・と報道されていましたが、改めてオーストリアの新聞HPを見たら、クロアチアは絶対難民を通さないという姿勢です。
事態は時々刻々変化しています。
ドイツは国境検問しながら、難民を受け入れています。



ところで、難民を受け入れられるはずの金持ち国といえば、石油産出国であるサウジアラビア・湾岸諸国も挙げられますが、これらの国々は難民を一切受け入れていません。
専制君主国とも言える、これらの国々は、難民受け入れによって社会混乱が起こることを最も恐れているのです。







ウィーンの教科書

2015-09-16 | おきにいり

ラジオで歴史学者のカール・ショルスケ(英語発音:ショースキー)が亡くなったと聞き、なんか聞き覚えのある名前だな・・・で、ハッと気づきました

「ウィーン学」を学んでいたころ、必読書と教えられてセッセと読んだ思い出の本


表紙



裏表紙


裏表紙の内容はこちらでお読みください(右下クリックで大きくなります)

いわゆる世紀末ウィーンを多分初めて本格的に分析した本で、ウィーンの深奥が解き明かされています。
英語アマゾンでは今も扱われています。もちろんドイツ語訳もありますが、絶版のようです。ショルスケの逝去で、ひょっとすると復刊があるかな
日本語版は単行本で高いですが今もあるようです。

今読んだら、どう感じるか、また読んでみようかな

ショルスケ(ショースキー)の履歴は英語ウィキをご覧ください。
本書の紹介も英語ウィキにあります。


 今日の蛇足

難民危機はまだ続き、ドイツは非常措置として国境での検問を始めました。この措置は理解できます。
先週末オーストリアを通過してドイツ入国を果たした難民は多分2万人から3万人の間ではないかと思いますが、その後も毎日1万人
100日経つと100万人に・・・なんてことはありえませんが、ドイツにとっても限界に近づいたと言えるでしょう。
ハンガリーはセルビアとの国境に「難民防止」の柵と鉄条網を設置、違法越境者は逮捕するとしています。既にハンガリー入国してしまった難民は「早く追い払え」とばかりにオーストリアに押し付け。ドイツ国境が閉鎖状態になり、オーストリアにどんどん難民が吹き溜まっています。こうした非常事態のため、オーストリアもハンガリー国境での検問を行うことになりました。
人口比で見ると、オーストリアの方がドイツより多くの難民を受け入れているそうな。ラジオのニュースで初めて知りました。難民の子供たちを学校に受け入れるための対策も立てられています。ウィーンはじめ主な都市での収容施設確保のため関係機関は多忙のようです。
事態はどんどん変化しているので、そのうち又状況レポートの予定・・・






花壇周辺

2015-09-14 | そこらへん

すみません、前々回前回の続きです。見取り図は前回冒頭ので間に合わせてください

中央花壇(パールテーレ)は宮殿からと丘の上からの「目の保養」用。その周辺のほうが、ずっと広いのです。

1)脇の並木道への入り口

右に立つのはアスパシアの像

古代ギリシャのアテナイ全盛期の政治家ペリクレスの愛人と言われ、知的で政治的・哲学的影響力ももっていたと言われています。

2)並木道はほぼ地元民専用


3)散歩の途中の休憩?


4)全く角刈りにせず上の方の枝が残されているのは雨避け・日よけ用かも


5)花の女神フローラに仕えるニンフ


6)突き当たりに偽オベリスク


偽ローマの廃墟同様、庭園の装飾あるいは位置の目印として建てられ、偽ヒエログリフで飾られています。

7)トロイアを脱出するアエネアス


父を抱き、息子を連れたアエネアス像。当時は、思いやり深い支配者の美徳を象徴するものでした。

8)自殺したルクレティアを抱くブルトゥス


ルクレティアは貞女の鑑とされ、絵画、彫刻、オペラなどの題材となっています。

パールテーレを取り囲んで32、神話や古代史の登場人物の石像がありますが、鑑賞する人は僅かです。
テレビ・ラジオ・映画・写真などなど全く無い時代には、一種の物語集だったのでしょう。
王朝時代には、王侯貴族の教養を示すデモンストレーションでもあったと思います。
その他の場所にも沢山彫刻があり、全部紹介していたらきりがないので、その他は全く省略

9)もとの場所に戻ってきました


10)美泉宮殿中央門を出て通りを渡ると下に地下鉄U4の線路が見えます


来るときは、国鉄S45と地下鉄U4を使ったのですが、歩き疲れたので帰りは別ルート

11)その隣にちんまり流れるウィーン川

殆ど暗渠で時々姿を現す日陰者

12)美泉宮殿から徒歩5分の市電停留所

58番が来たら途中乗り換え、10番なら直通

13)停留所のそばのドッグラン


14)もうひとつの入り口:広いドッグランで遠くに犬さんがチラッと見えました


すぐに10番の市電が来たので直通帰宅

美泉庭園の奥にある美しい泉は何回も見ているので、今回は省略、ウィキ・フリー画像でご覧ください



この泉は1619年、マティアス皇帝が狩猟中に発見したものと伝えられています。これは自噴泉で、建造物や彫像などは後代に造られたものです。



 今日の蛇足

難民危機はまだ続いています。
ハンガリーとの国境の町では、相変わらず警察、国鉄、赤十字に加え支援団体やボランティアが待機。
毎日何千人もの難民をウィーン経由でドイツへ送り出しています。
ドイツも通過してスウェーデンに行こうとした難民がデンマークで足止めされ、これに反対する国民が「もっと人間的な難民政策をとれ」と抗議デモ。
ハンガリー首相は難民を逮捕すると言い出したので、ここでも国民が「首相は恥を知れ!難民をもっと人間的に扱え」と抗議デモ。
イギリスでも「もっと難民を受け入れろ」と1万人のデモがありました。
ハンガリーが強行措置を実行すれば、難民と警察が衝突する危険もあります。
ネオナチなど排外主義層からは「難民ではなく侵略だ」と、難民敵視が強まっています。
今の状態では、どんな優れた政治家でも明快な解決策は提示できないと思います。

私の友達のひとりは、ボランティアでアフガニスタンの難民にドイツ語を教えています。





美泉花壇

2015-09-12 | そこらへん

前回の続きです 見取り図をもう一度載せときます



赤丸が現在位置で、その右手を少しウロウロしただけです

1)宮殿近くから見た中央花壇(パールテーレ


パールテーレは花と芝生で幾何学模様を描いた大型屋外絨毯のようなもので、本当は上から見ないと面白くありません。でも、行列に並んでチケット買うのも丘の上まで登るのも面倒だし、上からの写真はこちらでどうぞ

2)庭側から見る宮殿


3)赤白赤はオーストリアの国旗を表しています


4)


5)ここにも完璧な美の守り手


6)丘のふもとにあるのがネプチューンの泉


7)丘の上にあるグロリエッテ


私の好みではシェーンブルンの最も美しい建造物がグロリエッテです。
1775年、建築家ヨハン・フェルディナント・ヘッツェンドルフ・フォン・ホーエンベルクの設計で「名誉の神殿」として建てられました。その後は、オーストリア継承戦争七年戦争の戦没者慰霊の記念碑と定められました。それだけで、その後の戦争の戦死者が追加されることはありませんでした。
(建築家ヘッツェンドルフについては独語ウィキしか記事がありません)

8)角刈り生垣の奥にも広い庭園が広がっています


9)教科書の説明写真みたいで最も面白くないアングル


10)しつこくパールテーレ


11)真ん中奥にパンダの看板、その奥がシェーンブルン動物園


シェーンブルン動物園は自然科学・博物学に熱心だったフランツ・シュテファン皇帝(マリア・テレジアの夫)が創設したもので、現存する世界最古の動物園です。動物園中央にあるパビリオンで朝食をとるのが皇帝夫妻の楽しみでした。ヨーロッパでパンダの見られる数少ない動物園のひとつです。

12)向こうの森の中も庭園が続いています



もう一度続きます、脇役編です 乞無期待








美泉接近

2015-09-10 | そこらへん

とても気の毒で怖い話が続きましたので、ちょっと近所の風景を・・・と言っても電車で30分くらいかかります
前回の経験から、ノルディックウォーキングのポールは持って行きませんでした


1)バチカン市国4つ分と言われる敷地の一角:秋めいてきました


2)ここは関係者専用で普段は閉め切り


3)途中、オットー・ワーグナーのパビリオンがあります


4)途中で会った散歩の犬さん


5)ウィーンで一番人気の高い名所:美泉宮殿


6)中央門の中の広場にある泉水


7)左の建物の下にチケットを買う人の列(この日は火曜日)

アーチをくぐって奥へ行けば、美泉庭園に入れます(これは無料)

8)アーチをくぐったところは並木道


9)暫く行くと庭園への通路

完璧な美観を維持するために働く人たち

10)庭園に入っても、また広い並木道

遥か奥の突き当たりに偽ローマの廃墟

11)庭園の一角:ここも秋めいています


12)こんな場所も:角刈り生垣


13)脇から見た美泉宮殿


14)脇のミニ庭園


美泉というのはシェーンブルンを勝手に直訳しただけです

15)庭園の見取り図



広いので、すっかり回るのは大変 で、手前のところをウロチョロしただけです。
続く・・・恒例、乞無期待