みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

100年

2013-03-30 | その他

100年前の1913年3月31日、歴史に残る乱闘騒ぎがありました

事件の現場はウィーン・フィルの本拠地として名高い楽友協会の大ホールです。


ウィキ・フリー画像
この写真は大規模な演奏で、オーケストラ、ソリスト、合唱団、パイプオルガンのあるバルコンにはウィーン少年合唱団が見えます。

さて、100年前の3月31日・・・
当日のコンサートでは、アーノルト・シェーンベルクが指揮し次の曲目が演奏されました。

アントン・フォン・ウェーベルン:6つの管弦楽の小品
アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーメーテルリンクの詩による歌
アーノルト・シェーンベルク:室内交響曲第1番
アルバン・ベルクペーター・アルテンベルクの詩による歌

ウェーベルンの作品が演奏されている段階で、既に笑い声(嘲笑)が起こりました。ツェムリンスキー作品では多少静まりましたが、シェーンベルクの室内交響曲演奏中は、早くも罵声や喧嘩が始まり、ベルク作品の演奏を中断したシェーンベルクは、演奏を妨害する者は警察官に「排除させる」と警告。しかし事態はどんどんエスカレートし、新音楽(現代音楽)支持派と反対派(保守派)の乱闘が始まりました
臨席の警官が「静粛」を叫び、バルコン席にいたウェーベルンは「芸術のわからんゴロツキどもを追い出せ!」と怒鳴り、主催者は「次にグスタフ・マーラーの『亡き子を偲ぶ歌』の演奏ができるように、静かに音楽を鑑賞するか、それができない人はお帰りください」と訴えましたが、混乱はますますエスカレート、とうとう警察が出動して、マーラー作品が演奏されないまま、乱闘コンサートは終りを告げました


この歴史的乱闘コンサートから100年、4月5日には同じ会場で同じ曲目による「記念コンサート」が開催されます。
今度は罵声や乱闘は起こらないことでしょうが、居眠りはあるかも



今日の蛇足

今年のイースターは3月31日、幾つかの国ではイースターの日曜と月曜が祝日です。
3月31日からサマータイムが始まるので、31日の午前2時を、いきなり午前3時にします。ヨーロッパと日本との時差は7時間となります。

バラ科果樹の花盛りの頃:西洋花見風景(誰も見ていないけど)

これもウィキ・フリー画像





75年

2013-03-28 | その他

75年前、1938年3月12日、ナチスドイツ軍がオーストリアに進駐し併合しました。

今年の3月12日にも、例年のように国会で記念セレモニーが行われました。もちろん、喜んでいるのではなく、2度と起こってはならない、2度と起こしてはならない事態を歴史的教訓として忘れず、後代に伝えるためのものです。


ヒトラー率いるナチスドイツ軍オーストリア進駐の模様


英語解説付き(一部英語字幕付き)


第一次世界大戦後、多民族国家オーストリア・ハンガリー帝国内の主要民族が独立し、大帝国はアルプス地方の小さなオーストリア共和国となりました。
ゲルマン系オーストリア人の多くは、一瞬にして大帝国から劇的に縮小した小共和国は、独立国として成り立たず、ドイツと「合併」するより生き残る道はないと考えていました。
それで、画面でも分かるとおり、ヒトラーもドイツ軍も熱烈な歓迎を受けています。
しかし、それからナチスによる大弾圧と侵略戦争による大きな犠牲、そして敗戦に至る破局を体験することによって、自意識を確立したオーストリア第二共和国は、永世中立国として独自の歩みを進めることになりました。

ところが第二次大戦後は直ちに冷戦時代となり、東西の接点にあるオーストリアは、当時のソ連とアメリカの争奪戦の目標となり、こうした下心もあってかソ連はオーストリアを「ナチスドイツ最初の犠牲者」と宣言したのです。これを拠り所に、オーストリアは長年、自らを犠牲者と称し、戦争責任を回避し続けてきました。

漸く1991年に当時のフランツ・ヴラニツキー首相が国会演説の中で、第二次大戦におけるオーストリアの戦争責任を公に認め、これから本格的に、オーストリアの戦争責任に対する批判・分析が始まりました。

ヴラニツキー首相については日本語ウィキに何ら記述がないので英語をどうぞ

1938年のドイツ軍進駐の際、当時のオーストリア首相のラジオによる呼びかけで、オーストリア側からの軍事的抵抗は一切ありませんでした。
今でも「あの時どうすべきだったか」について意見が分かれているようです。
私の友達のひとりは勇ましく「すぐ鎮圧されてもいいから抵抗すべきだった」と言います





25年

2013-03-26 | その他

たびたび紹介している動物愛護団体「四つ足」が創立25周年を迎えました。


25周年記念号表紙


「25」の数字を構成しているのは、活動分野やプロジェクト&キャンペーンなどです。

裏表紙


東欧諸国の野良犬さんのほか、オランウータンさん、クマさん、トラさんなどの救済活動。

「四つ足」は多くの国に支部があり、国際的に活動しています。犬さん猫さんなどペットのワン権ニャン権保護から、悪条件のもとで生活しているサーカスの動物の救済、野生動物保護まで、活動分野も多岐にわたっています。


最新の朗報
以前からの「四つ足」その他の動物愛護団体による働きかけが実って、EU圏内では、今年の3月11日から、動物実験によって生産された化粧品が全面的に禁止されました。それだけでなく、動物実験を行った化粧品のEU諸国への輸入も禁止されています。



下の動画は2012年の活動のひとつ



サーカスのトラさん2頭が、無責任なサーカスの経営者によってマルセイユ郊外に置き去りにされました。管轄当局が薬で安楽死させようとしたところ、ブリジット・バルドーの動物保護団体によって救出され、結局「四つ足」が南アフリカで運営しているライオンロックに放されることになりました。数週間の準備の後、セルビアで悪条件のもとで暮らしていたライオンさん3頭とともに、フランクフルト空港からヨハネスバーグ空港へ。更にライオンさんトラさんが自然状態に近い環境で暮らせる「ライオンロック」へ。



みみずボログのこれまでの「四つ足」記事
救急病院
地域犬ビデオ
犬と人その後
犬と人
幼児販売
その他





旧市街点景

2013-03-24 | 旧市街

ダブル「コタコタ」の前、友達と旧市街のレストランで昼食後、ちょっと散歩したときの恒例ピンボケ写真を恒例羅列いたします


1)ちょこっと脇道:こういう脇道を歩くのが旧市街散策の醍醐味


2)ケルントナー通りの老舗ロプマイヤー


3)カプツィーナ教会


日本風に言えば「ハプスブルク家の菩提寺」で地下にカプツィーナ墓所があります。

4)ちょっとキザで目立つ「帽子男の家」

1901/02年に建てられたキザなユーゲントシュティル

5)ぼけぼけアップ


銅像の人物が帽子をかぶっているので「帽子男の家」(原語:Herrnhuterhaus)

6)上の教会や帽子男の家がある広場


7)


8)脇道のお店


9)レストラン「3人のフザール」の看板


10)脇道から振り向いたところ


11)レストラン「白い煙突掃除」の看板

下のランタンの色がステキ

12)以前にアップした通りのひとつ手前の通りから見た・・・


13)・・・シュテファン寺院の尖塔


14)シュテファン寺院前で集会らしい


15)ダライラマの顔があるので、多分チベット支援のイベントでしょう



ここから地下鉄で帰宅しました




花薄香

2013-03-22 | ことば

たいへん長らくご無沙汰いたしました

2~3日で終わった「コタコタ」の後、すぐ別の「コタコタ」が続きまして・・・


      

そろそろ桜の季節ですね そこで・・・

はなうすこう、かはくこう というお香を焚きましょう


      


・・・というのはウソで 「はなうすか」 と読みます

ウィーン12区にある通りの名前Hanauskagasse(ハナウスカガッセ)に勝手な当て字をしただけ


矢印の通りです

(アップできるよう加工したら、やや不鮮明になりました)


以前に、日本語の得意なオーストリア人の知り合いから「日本人だと『何じゃ、そりゃ!』とビックリする地名」として聞いたものです。
いや、この頃は多くの日本人が地球上の色々な土地を訪れているので、ビックリされる方も少ないのではないかと思います。

手持ちの地名事典によると、この通りは1904年からハナウスカガッセと名付けられたもので、マイドリンク地区の司祭であったレオポルト・ハナウスカ(1815~1899)に因んだ名前だそうです。

プロハスカという人名は多分日本にも比較的知られていて、チェコ起源と聞いていますから、花薄香さんもチェコ出身の家系なのかも知れません。

実は、まだ行ってみたことはないのですが、多分、普通の通りだと思います



      


またセッセと更新していこうと思いますので、どうぞ宜しく でも乞無期待




根競べ

2013-03-15 | ことば

え~、ちょっと時間がなくて「根競べ」をアップしました

カトリックの総本山バチカンで新法王が選出されるコンクラーヴェ。
私は、どうしても「根競べ」と思ってしまいます

これは、コンクラーヴェの手順を簡単に説明したもので、ドイツ語ですが、別に言葉抜きでも分かります。



私の住んでいるのはカトリックの国なので、カトリックのラジオ放送があります。コンクラーヴェが始まる前のミサや枢機卿の入場などを実況放送し、白い煙が上がった時点から又1時間半ほど実況放送がありました。今まで聞いたことはなかったのですが、今回仕事をしながら(上の空)、聞いていたら疲れました

Wikipedia:コンクラーヴェ


 またちょっとコタコタ(ゴタゴタほどでない)で間があくかも・・・
こんなみみずボログですが、どうぞ宜しく・・・乞無期待 





山羊格

2013-03-13 | おきにいり

またまたCare2から拾った動画

仔山羊さんが猫さんと遊んでいます


山羊さんの動き方が猫さんや犬さんとは違うので、猫さんもちょっと戸惑い気味?

この頃、山羊さんはなかなか奥行きが深い、と言うか、人格ならぬ山羊格がしっかりしていると思うようになりました。

この本を読んだからでもあります


鳥取環境大学というユニークな大学の先生(人間動物行動学)が著者で、大学ヤギ部の「部員」であるヤギコさん、シバコさん、クルミさんとミルクさんの母娘、コハルさんとコユキさんの母娘が登場して、彼女たち「しっかり者」の愛らしく愉快な行動が紹介されています。

「ヤギはヒツジより気が強いので、ヒツジの群れにヤギを1頭入れておくと、危険が迫った場合にもヤギを中心に結束する」と、どこかで読んだ覚えがあります。
やっぱり角のあるヤギさんは、その分強気なのでしょうか?

アルフォンス・ドーデの「風車小屋だより」に収録されている「スガンさんのヤギ」の勇ましいヒロイン、ブランケットも、オオカミと一晩中戦います。
「スガンさんのヤギ」だけを子供用絵本にしたものもありますが、やはり「風車小屋」収録の全文に深みがあります。

アマゾンにありますよ
なぜヤギは、車好きなのか?
「風車小屋だより」は、色々な出版社から出ていますが、アマゾンを見ると、どの版も目下絶版のようです
でも、名作ですから、そのうち、新たな版が登場するだろうと思います






うにきゃん3

2013-03-11 | そこらへん

うにきゃん1うにきゃん2に続き、やっと最終回でございます


まずうにきゃん見取り図から・・・



私が歩いたのは、一番下のゲートから入り、見取り図の1、2、7、6の順で、うにきゃん1と2は一番大きい1の部分、以下は2、7、6から別の通りへ出るまでのピンボケ写真です。

1)これは、まだ1の部分だったかな?


以下は2か7・・・ちょっとウロウロしながら撮ったので順序どおりではありません。

2)


3)


4)本来はMQに置かれている「屋外家具」

夏はベンチとして人気が高いのですが、寒い雪の日が続き汚れています

5)こういう「通路=抜け道」が沢山


6)これは見取り図6のところにある円筒形の建物


この円筒形の建物は、皇帝ヨーゼフII世時代の1784年にオープンした最初の精神科病棟で、当時市民からは「Narrenturm阿呆の塔」と呼ばれていました。精神科の病気に対する一般の偏見が反映しています。別のニックネームは「ヨーゼフ皇帝のグーゲルフップフ」でした。19世紀後半には、精神神経科が一般病棟に組み込まれるようになり、この建物は医師や看護士の住まい、病院の保管室などとして使われ、1993年からは全館が病理学・解剖学博物館となっています。

7)旧ユダヤ教礼拝堂


総合病院時代、ユダヤ教徒の入院患者のために建てられた礼拝堂でしたが、ナチスの時代に破壊され、修復・改装の後、漸く2005年から記念碑として保存されています。

8)次の通りへ出る小路


9)途中にあった可愛い家


10)もうすぐ向こうの通り


11)市電通りの向こうにはフランス大使館文化部


12)この通りを少し行って左へ曲がるとAAI

AAI(アフリカ・アジア研究所)がアラビア語コースの会場


  

うにきゃんホームページ(英語)
Wikipedia:Narrenturm(英語)
Wikipedia:AKH(国立総合病院)(英語)





うにきゃん2

2013-03-07 | そこらへん

前回うにきゃん1(ウニヴェルジテート・キャンパス)の続きです。

大学キャンパスにしては人が少ない・・・まだ寒いし土曜の午後だからです。


1)公園のようなキャンパス

病院時代には患者さんが散歩を楽しんだことでしょう

2)向こうに見えるのはキャンパスに隣接する国立銀行


3)スクーター遊びの子供たち


4)ゼンメルワイスの記念碑


ゼンメルワイス王朝時代の医学者で、ハンガリー人ですが、主にウィーン大学医学部、国立総合病院(つまり、この写真の場所)で勤務、産褥熱防止のため消毒法を導入し、産後の女性の死亡率を大幅に減少させた功労者です。

5)別の通りへ面したゲート


6)通りの側から見たところ


7)


8)


9)白く見えるのは残り雪


10)アイスサロン、まだ営業していません

後方の建物はオーストリア国立銀行

11)トイレもあります

もちろん建物の中にトイレがあるわけですが、これはキャンパス利用者用

12)院生・研究生センター


13)子供の遊び場もあります

大学職員や外来者のほか、子持ち学生にも便利

私が大学へ行っていた頃、ときたま赤ちゃん連れの学生もいました。交替で赤ちゃんの世話をしながら夫婦揃って大学生なんてのもあるようです。犬連れで授業にくる学生もいました。

14)まだ寒くても日が照れば外で頑張る人たち


夏になると、このキャンパスには沢山カフェテラスがオープン、大学関係者だけでなく、一般市民にも愛用されています

以前、イスタンブールをウロウロした時、昔陸軍省だったイスタンブール大学のキャンパスを見物しようとしたら、入り口に門衛がいて、学生証所持者のみ中に入れていました。つまり、私は入れませんでした
大学は、国や社会の共有財産で、誰もが出入り・利用できるべきものです
但し、トルコは長年クルド人との紛争があり、テロ防止策だったのかも知れません


 ちょっと急ぎの小さな仕事がありまして、それが終わったら「うにきゃん3最終回」をアップいたします。仕事は2~3日で終わる予定・・・ でも乞無期待 





液体分別

2013-03-05 | その他

わたくし、仕事の都合で、しょっちゅうネット検索をしておりまして色々発見します

今回もその一例


廃棄物の分別は世界各国で励行されていますが・・・

液体の分別は難しい

ベルリンのレストランでは「簡単な廃液分別」を考えました

左からビール、ワイン、水、シュナップス

もちろん、これはジョーク(Wikipediaフリー画像です)

分別用容器は国ごとに違いますが、ウィーンの場合


コンテナ方式の良い点は、いつでも捨てられること。コンテナの中身は定期的に回収されますが、住民は「××ゴミの日」なるものを気にする必要がありません。

実は私の住んでいるビルのコンテナは「何でもコンテナ」で、回収後に清掃局の方で分別してくれるため、何でも放り込めます。何故「何でもコンテナ」なのかは知りませんが、とっても便利
以前に住んでいたところは「何でもコンテナ」ではありませんでした。


以前のみみずボログ記事
ゴミのイメージ