徳富蘇峰著の「吉田松陰」を読みました。

岩波文庫
明治の元勲はすでに位高く志満ちて意欲を失い、今や維新の大業はなかば荒廃した
と表紙に書かれている「危機感」の中で、徳富蘇峰が、講演と雑誌連載をもとにまとめた松陰伝です。
特に面白かった文章をほんの少し書き出します

鎖国時代の悪影響を述べた個所
国民的観念は、相対的の観念なり。外国と接触しきたりて、始めてこの観念は発揮するものなり。(中略)封建鉄網細工の成功は、日本国民をして精神的の侏儒たらしめき。然りといえども識者の眼識は境遇の外に超逸す。熊沢蕃山の如き、その一人なるなからんや。彼はびっこの駝鳥なれども、なお万里の平沙をはしらんとする雄気あり。
松下村塾を評した個所
松下村塾は、徳川幕府転覆の卵を孵化したる保育場のひとつなり。維新革命の天火を燃やしたる聖壇のひとつなり。笑う勿れ、その火、燐よりも微に、その卵、豆よりも小なりしと。
吉田松陰を評した個所
彼は弾丸の如し、ただ直進するのみ。彼は火薬の如し、自ら焚いて、しこうして物を焚く。彼はつねに身を以って物に先んず。
吉田松陰の刑死を評した個所
刑場に赴くや、新郎の新婦の筵(えん)に赴くほどにゆかざるも、猛夫の戦場に出るが如く、勇みたりしなり。







もう随分以前アップしたことがある平家物語、日本人なんだから原文のままでも読めるはずだ、と思って読んだら、本当に読めたのです。もちろん、現代的表記にしてあります。
なぜ、日本人だから読める、と思ったかと言うと、それより以前、ペンギンブックスでシェークスピアを読んだからです。ペンギンブックスのみならず、現代発行されているシェークスピア戯曲は、古い英語に関する脚注が豊富で、本文と脚注の行ったり来たりがちょっと面倒ですが、誰でも読めるのです!それなら、自国の古語なんか読めるはずだ!と、古い本を読むようになりました。万葉仮名とか漢文のままの原典は無理ですが、そうした古典も、今では現代表記で出版されていますから、誰にでも読めます!
徳富蘇峰の文章は、明治特有の、現代から見れば仰々しい表現が多く閉口しましたが、吉田松陰の姿は、かなり良く浮き彫りにしています。
吉田松陰の尊皇攘夷論には全く賛成しませんが、当時の状況の中での松陰の立場は理解できる、と思っています。何より印象的なのは「至誠にして自ら欺かざる」と徳富蘇峰が評した松陰の純粋さでした。
本書には、松陰が獄中で記した留魂録全文や、松陰から妹への手紙も載っていて、大変印象的です。
逆に日本というものを深く考えるというのはよく聞きますよね。
古典はいまと意味が違う言葉があるから、私は読めるかどうか
不安ですが、旧仮名遣いの本は、読み始めは違和感があっても、
やはりその時代、そういう風に書いたものというのは旧仮名のほうが
すばらしく感じるというのはあります。
オリジナルの言語で. . . というのは時代も、言語もそのほうが
よさそうだなあと思うので、ななみみずさんのように言語のエキスパートの
かたはうらやましいです。世界がとても広いんじゃないかしらと。
活字中毒だから、余計にそう思います。
読者登録ですが、ひょっとしたらななみみずさんちの「読者登録」マークをおしたら多分私のがあるので、そこでも互いに登録ができるようなんですよ。(うちでできないから、できないかもしれませんが. . . )
私の場合、日本史が好きで、その後、大学で西洋史を専攻したので、以前から日本を外から見ていたのです。いや、そのつもりでした。その後ヨーロッパに来るときは、もう西洋史は飽きた、これからはアフリカの時代だ!なんて思ってたのですが、来てみたらヨーロッパも面白く、ユダヤ文化を発見、更に喜んで奥に進んでいったら突き抜けてアラブ世界に出てしまいました。
近年、日本の古典を読み始めたのは、アマゾンで本を買うようになったからです(送料高いけど
で、こちらで買える本は日本から高い送料払って買う必要ないので、日本語でしか読めない本を選ぶことになります。漫画はその代表的ジャンル(少しは翻訳されている漫画もあります)。
そして、今になって、日本史が又面白くなり、前にも書いたように歴史小説は、あまり好きじゃないので、じゃ原典を読もう・・・というわけで
気に入った本は数ヶ国語で読んだりします。サンテグジュペリの「人間の土地」は大好きな愛読書で、フランス語が一番良いのは当然ですが、ドイツ語訳と日本語訳(堀口大学訳)を比べると、日本語の方が原典に近く詩情があるように思います。ドイツ語訳は何でも理屈っぽくなる傾向があります。
本を読むには、落ち着いた時間が大切ですよね
読者登録、まだ良く分かりませんが、ぼちぼち勉強します。