前回海岸風景の続きです
先ずは海岸線をご覧ください。これも、どこだか分かりませんよね

海岸通りの一角・・・ちょっとオリエンタル

街中に移ってみましょう。

小さい画像で、見にくいですが、モダンなモスクが立っています。
弾痕とおぼしき穴の沢山あいた建物

前回、今回の画像はレバノンの首都ベイルートです 





前回の景勝地は、Wikipediaベイルートでは「鳩の岩」と呼ばれています。岩のところから真っ直ぐ海を渡って行けば、キプロス島をかすめて、ロードス島に突き当たる・・・かな
私のピンボケ写真と全然違う見事な「鳩の岩」画像はこちら
ベイルートには、地中海沿岸地方の都市に共通の南国的な魅力があります。アルジェリアの首都アルジェ同様、フランス植民地時代の影響で、フランス語だけでも不自由しません。
アラブ世界における経済・文化の重要な中心地のひとつで、多くの出版社があります。
1975年から1990年まで続いた内戦の中で、多くの国際的経済拠点がベイルートからアンマンに「疎開」したと聞いています。
内戦後、殆ど復旧していましたが、ところどころ、弾痕のある建物も残っていました。アップした画像、実は9年前のものです。
3年前の2006年、イスラエルの爆撃で再びベイルートが大きな被害を受けました
小さいけれど宝石のようなレバノンと、その首都ベイルート、これから、ずっと平和でありますように

先ずは海岸線をご覧ください。これも、どこだか分かりませんよね


海岸通りの一角・・・ちょっとオリエンタル


街中に移ってみましょう。

小さい画像で、見にくいですが、モダンなモスクが立っています。
弾痕とおぼしき穴の沢山あいた建物









前回の景勝地は、Wikipediaベイルートでは「鳩の岩」と呼ばれています。岩のところから真っ直ぐ海を渡って行けば、キプロス島をかすめて、ロードス島に突き当たる・・・かな

私のピンボケ写真と全然違う見事な「鳩の岩」画像はこちら
ベイルートには、地中海沿岸地方の都市に共通の南国的な魅力があります。アルジェリアの首都アルジェ同様、フランス植民地時代の影響で、フランス語だけでも不自由しません。
アラブ世界における経済・文化の重要な中心地のひとつで、多くの出版社があります。
1975年から1990年まで続いた内戦の中で、多くの国際的経済拠点がベイルートからアンマンに「疎開」したと聞いています。
内戦後、殆ど復旧していましたが、ところどころ、弾痕のある建物も残っていました。アップした画像、実は9年前のものです。
3年前の2006年、イスラエルの爆撃で再びベイルートが大きな被害を受けました

小さいけれど宝石のようなレバノンと、その首都ベイルート、これから、ずっと平和でありますように

きっと、安全だったらリゾート地にもなりそうなのに・・・
(-人-)ほんと・・ みんなが幸せでありますように・・・
昔はリゾート地として有名だったみたい。
ゴタゴタしたがる?のは、ほんの一部の人間なのに
誰でも気軽に旅行できるよう、レバノンの平和が続きますように