続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桃井郷の桃井塚

2023-05-08 18:13:49 | 桃井郷

朝は冷たい雨の中、貧乏カッパでお散歩です

昼間は、寒いながらも晴れました

タバサねーちゃんと南の方にお散歩です。

やっぱり晴れのお散歩がいいね

 

 

 

3月15日、三度目の榛東・吉岡方面(桃井郷)探訪、出かけました。

今回は、桃井塚・桃井城探訪です。

 

国道17号線(上武道路)を、道の駅・よしおか温泉方面に降ります。

菜の花もだいぶ咲き進んでいました

西には、怒る穂の榛名山が霞んでいます。

 

まだ、道の駅・前橋赤城がオープン前で、国道17号線の渋滞などはありませんでした。

北に霞んで見えるのは、子持山かな?

道の駅・よしおか温泉を左に出て、4年ぶりに桃井塚を目指します。

確かゴミ置き場の陰でした

今回も見落とさないように、ストリートビューをよくよく見て来ました

 

何故か表示も何もありません

この角を曲がってすぐです。

 

ありました

大小2基の五輪塔が、桃井直常夫妻の墓ということです。

いちおう大切にされているようです

 

今回は、道祖神の文字が気になります

かなり個性的です

 

修験者・無幻道人のイメージです

無幻道人は、群馬郡下野田村(北群馬郡吉岡町)の生まれだそうです。

先日、赤城歴史資料館で、かつての企画展の冊子を購入してきました。

 

説明板を確認です。

桃井播磨守直常は元弘三年(1333)足利尊氏に従い六波羅攻めに参加し、その後播磨守に任ぜられ、越中国守護に封ぜられた。観応の擾乱では足利直義方につき直義亡き後は南朝方に味方し、貞治五年(1366)足利義政と越中に戦った。直常の終焉については判然としないが桃井荘に隠棲し、ここに没しこの地に葬られたと伝えられている。

 

りっぱな経歴ですね

 

実はなんと、ひめちゃんちのある旧新里村にも桃井塚はあるのです

桐生市のHPによると、

延元3年(1338)に越前(福井県)藤島で激しい戦いとなりましたが、義貞の死によって戦乱は終わりを告げました。義貞の家臣として参戦した桃井次郎尚常は、さらし首となった主君の首級を密かに義昌寺に届け、その後、新川の大屋の地で主君の後を追い、自害したと伝わってます。

どうも別人です

 

新里では、「桃井次郎尚常が新田義貞の首を義昌寺の船田義昌に届け、その後桃井塚で腹を切った」と、ほとんどみんなが信じてます

腹を切る必要はありませんね。

出家して菩提を弔えばいいじゃありませんか。

腹を切るという発想、江戸時代のものですね。

新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんには、どうしてもこの話に納得がいきません

新里村新川に西毛からやって来た人達が持ち込んだ、桃井の記憶のような感じがします

 

向こうに見える桃井城は、4年前は整備中でした。

公園としてオープンされているようです

梅の花咲く桃井城、探訪します

 

 

(つづく)

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