続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)の記憶

2024-10-04 14:33:54 | みちのく紀行

タバサねーちゃんが緑内障を発症してから、2年近く経ちます。

最近では、ほとんど見えないようで、足腰も衰えています。

去年の今頃は、ひめちゃんと一緒にお散歩出来ました。

 

 

タバサねーちゃん、今度の冬も生き抜こうね

 

 

 

 

多賀城跡管理事務所で100名城スタンプをゲットして、まっすぐ南に下ります。

彼岸花の開花、上野国山上と変わらないかな

この道は、さっき2人連れの超歴女(?)のおばさん達が上ってきた道です。

大きな建物が見えます。

説明板を確認です。

このころには、多賀城に鎮守府(鎮兵を指揮監督する軍事担当の役所)がおかれており、その仕事などがおこなわれていた場所と考えられています。~(中略)~発掘調査では、官衙全体に火災を受けた痕跡が見つかっており、宝亀11年(780)の伊治呰麻呂の覧により、政庁と同じくほぼ全焼したと考えられます。

 

ここも伊治呰麻呂の記憶です

 

ここが朝廷の東北経営に対する軍事の拠点だったんですね

 

床を張った建物があったのですね。

 

鎮守府のメインの建物です。

 

屋根は瓦葺きだったんですね

 

 

政庁跡を臨みながら、鎮守府跡の高台を降ります。

ここから100名城スタンプのある多賀城跡管理事務所を目指したおばさんたち、地元の人かな

 

大路を南に下ります。

壺のいしぶみ(多賀城碑)を通ります。

多賀城南門、どうしても正面に回れません

 

 

あやめ園を通って戻ります。

さっきは気になりませんでしたけど、築地塀の跡が復元されています。

去年はなかったぞ

櫓もあったのです。

湿地の中で大規模な盛り土をして造られていたのです

たくさんの労力が必要とされたことでしょう

 

さて、歌枕・浮島の浮島神社に寄ってから国府多賀城駅に戻ります

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