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続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

脇屋義助の菩提寺・脇屋山正法寺

2024-11-01 19:45:55 | 新田紀行

ひめちゃんは、赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

完全にシカトして通り過ぎます

プーちゃんは、呼んでます。

アタチは今でもケンくんが好きなのです

 

岩神沼は、すっかり秋の雰囲気です。

誰もいません

誰もいないと寂しいでふ。

 

 

 

9月末のみちのく紀行の記事を先にアップしたので、記事になるのを待っている訪問地がいくつもあります

少し季節は戻りますけど、まずは、9月9日の脇屋山正法寺(わきやさんしょうほうじ)です。

 

春先、蛇川紀行でうろうろしていた時に、何気なく付近を通りました。

脇屋の地名を目にしました

そうだ脇屋の正法寺、久しぶりに訪問したいなあ

大分昔に訪問した記憶があります。

新田義貞の弟・脇屋義助(わきやよしすけ)の菩提寺です。

新里の人は今でも、新田義貞は善昌寺にいかってる(埋葬されている)と信じています

新田生まれのひめちゃんちのおかあさんは、そんなバナナ

新里の人は、義貞の弟・脇屋義助を知らないみたいです

9月9日、新田へ行くついでに、数年ぶりに立ち寄ってみました

 

 

落ち着いた雰囲気の仁王門が見えます

参道の杉の実です。

けっこういっぱいなるんだ

 

説明板があります。

元暦年間(1184~1185)には新田義重が堂宇を修理し、元弘年間(1331~1334)には脇屋義助が所領の由良鄕脇屋村及び大般若教六百巻を指針したと伝え、脇屋義助の菩提寺ともなった。

正法寺は古くは現在地の盗難1kmにある脇屋館跡(脇屋義助の館とされる)隣接地の観音免にあったといわれる。この観音免遺跡からは板樋・五輪塔・層塔などが出土しているが、現在層塔は本堂左手奥の脇屋義助公遺髪塚脇に移設されている。

ここは由良鄕の脇屋村なのですね

 

今年設置された新しい説明板です。

聖観音像が、県の重要文化財です

 

 

小さいながらも、太鼓橋を渡って聖なる世界に入ります。

 

仁王門の額は、脇屋山です。

シンプルで力強い

 

仁王様にこんにちは

 

あれ、大きなわらじも奉納されてます

足腰が丈夫になるようにの願いかな

足下に、邪気はいません。

 

大鰐口があります。

元からあった大鰐口は素晴らしい音色だったけれど、太平洋戦争に供出させられてしまったのですね

近年再建されたのです。

 

 

仁王門をくぐって、観音堂です。

元々は観音堂であるけれども、本堂消失後は、本堂とされているということです。

 

あれ、灯籠の脇に観音札所のご詠歌があります

尋ねても 祈りをかけよ さしもくさ 正しきのりの 寺をしるしに

 

帰りに庫裏に寄っていただいて行きましょう

 

 

 

(つづく)

 

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矢止めの松と耕作放棄地のハス

2024-09-14 14:34:01 | 新田紀行

今朝は少し遅めのお散歩です。

ひめちゃんは堀之内を北に出て岩神沼に到着です。

おかあさんは、少し上の高縄の摩崖仏まで足を延ばしたいのですけど、なかなか同意してくれません。

もう少し涼しくなったら、寄って行こうね

誰もいません。

あれ、誰もいないと思ったけど、黒いカモさん家族が出てきました

住んでるのかもでふね

 

堀之内に戻ると、刈り残した稲穂のそばにシラサギさんです。

こっちに出張中だったんでふね

 

 

 

8月26日、太田からの帰りにジョイフル本田・新田店に寄って行きます。

矢止めの松の近くを通ります。

ムム、奥の方に白い大きな影です。

何だろう

シラサギだ

何羽かいます。

すぐ近くのコンビニに駐車して、歩いて戻ります。

もうその姿はありません。

付近の田んぼに移動してしまったようです。

 

まあ、折角だから久しぶりに矢止の松を確認です。

 

説明の石碑はよく見えません

一般に言われていることは、「新田義貞が生品神社で挙兵した時、吉凶を占うために鎌倉方面にむけて放った矢が当たった」とか。

新田義貞の記憶・矢止めの松と冠掛の松

付近にはシラサギの姿もあります

もしかしたら松の上で、付近を見ていることもあるかな?

 

反町館へ行く時に、この先にはハスがあったぞ

確認していきます。

  

大繁殖してるみたいだけど、花は少ない

 

耕作放棄地を農地に戻すためにハスやレンコンが植えられているのです。

一度耕作放棄地になってしまうと、すぐにはお米を作れないのです

農地に戻れるといいね

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新田義貞誕生伝説地・台源氏館跡

2024-09-12 16:24:54 | 新田紀行

ひめちゃんが朝散歩に出てすぐ、目の前を何かが横切りました。

キジの雌かな?

ひめちゃん、ハンターモードです

ハンターモードのひめちゃんは、堀之内を北に出て岩神沼を目指します。

今朝は誰かいるかな?

いました、いました

何名ものシラサギさんです。

アオサギさんも目立たなく1名います。

ひめちゃんもおかあさんも、ここでこんなにたくさんの鷺(さぎ)さんにあったのは初めてです

今日は何かいいことあるかな

 

 

 

 

台源氏館跡、以前から気になっていましたけど、行けそうで行けない場所でした

8月26日、やっと訪問しました

付近をストリートビューでよくよく確認して、少し先の北之庄公園の駐車場から歩きます

 

ここが、新田義貞生誕の地という台源氏館跡です。

居館跡の土塁があったのですね。

四阿(あずまや)があるけれど、ゆっくりしていく雰囲気でもないなあ

 

細い路地の先に見える森の南は、円福寺です

 

この夏、「おおたんのスタンプラリー・スタンプ」求めて訪問した、御室山円福寺です。

この辺りが由良郷、由良城跡は円福寺南東約500mの所です

「老談記」の類いによく出てくる由良はこの辺りなのですね

 

新田氏累代の墓もあります。

横瀬氏が由良と改姓し、源氏の子孫と称したのも納得の地名です。

 

台源氏館跡から、北之庄公園に戻ります。

道路ではなく、公園内の通路を通ってみます。

百日紅(ひゃくじっこう、サルスベリ)の花がきれいです。

実も付き始まってる

駐車場の奥には遊具が見えます。

遊具も現役のようです

 

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新田義重勧請・堀口賀茂神社

2024-08-28 15:59:59 | 新田紀行

ひめちゃんは、「何者じゃあ

 

案山子が倒れてます

そんなに大雨が降ったかな

設置された最初の日は気にしましたけど、後は気にしてませんでした。

別物に見えるのかな

 

赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

プーちゃんの足が見えます。

生きてるね

小屋の前の深い穴は拡大中です

土を掘れることが生き延びるカギだね

雨雲レーダーが「30分後に降り出します」だったので、大急ぎで堀之内の西を歩いて帰ります。

 

 

 

 

堀口氏館跡のすぐ近くには、堀口賀茂神社があります。

さっき通ったけれど、駐車場がない

境内にも車両は入れそうもない

でも、せっかくだもの、何とか寄りたい

ゆっくり走行して、社務所兼地域の集会所らしき建物の横に、ゴミ置き場があります。

ちょっとの間だけ、失礼します

 

 

鳥居から参拝です。

 

鳥居の脇には、石造物です。

 

鳥居をくぐって2礼2拍1礼です

額は賀茂宮です。

 

 

さて、社殿の周りを一周してみましょう。

 

本殿は、なかなかの彫刻です

 

 

おや、社殿脇に、説明板があります。

「新田義重が京都の賀茂大神を勧請してきたと伝えられている」とあります。

新田の一族はかなり遠くにもいますけど、ここは近いです。

地方の実力者は娘を新田氏に妻に差し出して、生まれた子を新田ではなく母の実家で育てたといいます

堀口氏は新田本家の一族でしょう

 

 

さて、社殿の一周続けます。

  

竜がいっぱい

こんなに竜がいるところも、そうそうないと思います。

 

大きな彫刻は、中国の物語ではなさそうです。

 

日本の武将伝かな?

 

見事な彫刻です

 

 

社殿裏には境内社と石造物です。

 

道祖神が2基あります

神社前の道は、かつては人々の行き交う街道だったのでしょう

 

早川の出口が名字の地の堀口さんたち、もちろん賀茂神社も参拝していったことでしょう

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堀口は早川の出口(堀口氏館跡と正覚寺跡)

2024-08-26 15:40:48 | 新田紀行

昼間はカンカン照りになりました

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、お風呂場でシャワーです。

でも、朝は、小雨というか霧雨の中のお散歩でした

 

なので、今日は20年前の七海ママ・0才の秋から冬のアーカイブです。

 

ナナちゃんも、音の出るボールが大好きでした。

なんとなくひめちゃんの寝姿です

鋭い目つきです

何かあったかな?

七海0才の冬は、雪が多かったようです

痩せてちっちゃかったナナちゃん、だいぶ丸々ナナちゃんになってきました。

雪のミニドッグランで思いっきり遊びました

 

 

 

春先だったと思いますけど、ひめちゃんが二度目の朝散歩をしている時期がありました。

その少し遅めの朝散歩で、何度か行き会って話をしたおじいさんがいます。

近年、小学校の近くに引っ越してきたそうです。

そして、「ウチは堀口と言うんだよ。堀口とは、川の出口という意味だよ。新田の一族・堀口氏なんだそうだ。名字の地に、一族で行った事があるよ。」

「ええッ、それって早川の出口の堀口氏館跡ですか?」

「連れて行ってっもらったから、どこだか分からなかったけれど

「早川は、新里の山奥・奥沢から流れ出して、長い長い旅を続けて、尾島の堀口(尾島町堀口、現太田市堀口町)出利根川に合流します

そんな話をしたことがありました。

 

中島屋敷とヒマワリ畑の後、帰りがけに、ちょっと寄り道してみよう

 

かすかな記憶を辿って、何とか到着です。

 

説明板はよく見えません

石碑もあまりよく見えません

「ここには新田の一族・堀口氏館があり堀口氏開基の正覚寺があった。昭和43年に早川改修工事によって堤防が築かれ、正覚寺は浄蔵寺に合併のやむなきに至った。」ということのようです

50年前は全く違う景色だったのです

 

この南あたり・土手の向こうあたりが早川物語・最終章でしょう。

早川物語、最終章の間近の風景です

お天気と駐車場の関係で、土手を上って、早川の出口を確認してきませんでした

やはり、確認して来るべきでした。

反省

 

新里の奥沢の山奥から流れ出した早川は、長い長い旅を終えて、もうすぐ利根川と合流するのです。

早川物語番外編・早川の起点(これが本当の早川物語第一章)

ふるさと新田をを流れる早川と、新里を流れる早川は、つながった同じ川だったのです

浄蔵寺の銀杏が色づく頃、また行ってみましょう

 

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