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今日は何の日?

昔の今日は何があったのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。

ゴダード、世界初の液体燃料ロケットの打ち上げ成功(1926/03/16)

1926-03-16 00:00:00 | 宇宙開発
 ロケットの歴史はとても古く、さかのぼれば13世紀に中国で兵器として使われたロケット花火がスタートとされています。その頃には、そのロケットに乗って宇宙へ旅立とうなどということは、誰も考えていなかったことでしょう。しかし、人々の宇宙へのあこがれは、ロケットで宇宙へ行く可能性を開いていきました。その中で、大きな役割を果たした一人が、アメリカのロバート・ハッチンソン・ゴダード(1882~1945)です。

 ゴダードは、H・G・ウェルズやジュール・ヴェルヌのSF小説を愛読していました。その中の1冊、ヴェルヌの「地球から月へ」は、人間が大砲の弾に乗って月へ行くというストーリーでした。いずれは月に行きたい。そんな思いをかき立てられたゴダードは、学生時代からロケットについて思いを巡らし、大学教授になってからは研究に専念しました。

 当時は、世界各地でロケット研究が行われていた時期でした。その中で、ゴダードはロシアのツィオルコフスキー(1857~1935)の考えた液体燃料ロケットに注目し、研究を進めました。

 それまでのロケットは、固体燃料ロケットというものでした。簡単につくることができてコストが安く済むのですが、一度点火したら途中でとめることができないという欠点があります。しかし、液体燃料ロケットは噴射をコントロール可能なため、ロケットの制御をする上でとても便利なロケットなのです。しかし、その分つくるのが難しいという欠点があります。

 ツィオルコフスキーが考えた液体燃料ロケットは、液体水素と液体酸素を使ったものでしたが、液体水素は取り扱いがとても難しいため、ゴダードは代わりの燃料としてガソリンを使ったものを研究していきました。しかし、その研究は周りに理解されず、論文を書いてもまともに取り合ってもらえませんでした。そして資金難にも苦しみながら、1926年3月16日、ゴダードは液体燃料ロケットを作り上げ、打ち上げに成功します。

 世界初の液体燃料ロケットは、飛行時間2.5秒、最高到達高度12メートル、到達水平距離56メートル、平均時速100キロメートルを記録しました。たった2.5秒ではありますが、人類の宇宙への扉が開いた瞬間でもあります。

 その後、大西洋横断飛行で有名なリンドバーグからの資金援助などで研究は進められましたが、第二次世界大戦によって中断をせざるを得なくなりました。それでも、今ではゴダードの研究はとても高く評価され、近代ロケットの父と呼ばれています。

 苦しみながらも夢を追いかけ続け、成功に結びつけたゴダードは、こんな名言を残しています。

 「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である。」

2006/02/15 作成 TH

ロケット開発者フォン・ブラウン生誕(1912/03/23)

1912-03-23 00:00:00 | 宇宙開発
1912/03/23

 第二次世界大戦の終わりごろに、イギリスやベルギーなどを攻撃したV2ロケットを開発し、戦後はアメリカに移ってロケット開発をリードした、ヴェルナー・フォン・ブラウンは、この日当時のドイツ東部(現在はポーランド)で生まれました。
 ブラウンは、ロケット開発のさきがけであるオーベルトの著作に感銘し、高校時代には苦手だった物理や数学に打ち込んで得意科目するなどして、熱心にロケット開発への夢に踏み出しました。

 大学では、オーベルトの実験を手伝いながら経験をつみ、大学院に進んでから見出され、当時のドイツ陸軍でロケット兵器の開発に携わっていたドルンベルガーのもとで研究をすることになりました。
 そのころ、第二次世界大戦の戦況は、ドイツにとって厳しいものとなりつつありました。そのため、ドイツでは戦況を打開するための新兵器として、ロケットを用いて敵国を爆撃する計画を進めたのです。このとき、ブラウンは技術者の中で中心的な役割を果たしました。
 そして、1944年にV2ロケットが完成し、ドイツからイギリスとベルギーなどの敵国に向けて数千発の爆弾を積んだロケットが打ち上げられたのです。V2ロケットを迎え撃つことは当時の兵器では不可能でしたが、V2ロケットの技術そのものの熟度が低く、戦況を大きく変えるほどのインパクトはありませんでした。
 そして、ブラウン自身も、平和的な宇宙開発の将来を語った発言が原因となって、ナチスの親衛隊とゲシュタポに逮捕されてしまいました。
 このときは、ドルンベルガーの強い説得のおかげで釈放されましたが、身の危険を感じたブラウンは、研究チームを率いてアメリカに投降し、ロケットの部品も提供したのです。

 アメリカに移ったブラウンは、平和目的の宇宙開発を訴え、ディズニー社の宇宙探検に関するテレビ映画の技術監督に参加したり、NASAでロケット開発を続けました。

 ドイツとアメリカで軍事目的のロケット開発に携わったブラウンですが、本人の本当の願いは平和的な宇宙開発だったといえるでしょう。その経歴にはさまざまな評価がありますが、時代に翻弄されながらも若いころからの夢に向かって歩み続けた生き方には感銘を受ける人も多いでしょう。

2006/04/02 作成 YK