1843/12/11
郵便物を使った炭疽菌テロが数年前に騒がれたのは、記憶に新しいことです。
炭疽という病気の病原体が細菌であることを発見したのはロベルト・コッホで、1843年12月11日ドイツに生まれました。
ロベルト・コッホはドイツの鉱山町クラウスターに、鉱山技師の子として生まれました。19歳でゲッチンゲン大学に入学、医学の道に進み、開業医となりました。この頃、フランスのルイ・パスツールの微生物の発見に刺激を受け、28歳の誕生日に妻から送られた顕微鏡をいつも覗いていたコッホは、当時家畜を襲っていた炭疽病の研究に取り組みました。炭疽病で死んだヒツジから採取した血液を観察すると、その中に小さな棒のようなものがいるのを発見しました。コッホはこの棒のようなものをネズミに接種したり、独自のアイデアで繁殖させることに成功し、この菌が炭疽病の原因であることを証明しました。この発見は世界中を驚かせ、コッホの名が知られるようになったのは、1836年、彼が33歳の時でした。
その後ベルリン国立保健庁の研究室主任となり、研究に専念できるようになりました。
1882年には、結核菌を発見。結核に冒された臓器を、牛の血液を寒天で固めたものの上に塗り、体温と同じ温度で温めて長い間観察し、繁殖させました。3月24日は、この発見を記念して、世界結核デーに制定されています。
1883年には、インドでコレラ菌を発見。1891年には、コッホのための伝染病研究所が設立され、彼のもとに若い研究者が集まりました。その中には、破傷風菌を純粋培養し、ペスト菌を発見した北里柴三郎もいました。
これら数々の業績に対して、コッホは1905年に、ノーベル生理学医学賞を受賞しました。
今日広く行われている寒天培養法や染色法は、コッホが編み出した方法です。パスツールと並んで「近代細菌学の開祖」といわれるコッホは、医学の発展に大いに貢献した一人です。
2005.11.21 作成 KS
郵便物を使った炭疽菌テロが数年前に騒がれたのは、記憶に新しいことです。
炭疽という病気の病原体が細菌であることを発見したのはロベルト・コッホで、1843年12月11日ドイツに生まれました。
ロベルト・コッホはドイツの鉱山町クラウスターに、鉱山技師の子として生まれました。19歳でゲッチンゲン大学に入学、医学の道に進み、開業医となりました。この頃、フランスのルイ・パスツールの微生物の発見に刺激を受け、28歳の誕生日に妻から送られた顕微鏡をいつも覗いていたコッホは、当時家畜を襲っていた炭疽病の研究に取り組みました。炭疽病で死んだヒツジから採取した血液を観察すると、その中に小さな棒のようなものがいるのを発見しました。コッホはこの棒のようなものをネズミに接種したり、独自のアイデアで繁殖させることに成功し、この菌が炭疽病の原因であることを証明しました。この発見は世界中を驚かせ、コッホの名が知られるようになったのは、1836年、彼が33歳の時でした。
その後ベルリン国立保健庁の研究室主任となり、研究に専念できるようになりました。
1882年には、結核菌を発見。結核に冒された臓器を、牛の血液を寒天で固めたものの上に塗り、体温と同じ温度で温めて長い間観察し、繁殖させました。3月24日は、この発見を記念して、世界結核デーに制定されています。
1883年には、インドでコレラ菌を発見。1891年には、コッホのための伝染病研究所が設立され、彼のもとに若い研究者が集まりました。その中には、破傷風菌を純粋培養し、ペスト菌を発見した北里柴三郎もいました。
これら数々の業績に対して、コッホは1905年に、ノーベル生理学医学賞を受賞しました。
今日広く行われている寒天培養法や染色法は、コッホが編み出した方法です。パスツールと並んで「近代細菌学の開祖」といわれるコッホは、医学の発展に大いに貢献した一人です。
2005.11.21 作成 KS