1885/10/07
量子力学の形成に主導的な役割を担ったことで有名な物理学者ニールス・ボーアは、1885年10月7日、デンマークのコペンハーゲンに生まれました。
+の電気を持った原子核を中心として、そのまわりに-の電気を持った電子が回転しているという、教科書でおなじみの原子のモデルは、ラザーフォード(イギリス:1871~1937)が発表したもの(有核原子模型)です。しかしこれは、原子の安定性やスペクトルを説明することができませんでした。ボーアはラザーフォードのもとで研究し、ラザーフォードの考えに従いながら、さらに新しい仮説を付加することによって、原子の構造を統一的に説明できる理論を1913年に発表しました。それは、原子は飛び飛びの値のエネルギーを持った定常状態のみで存在でき、原子が光を放出・吸収するのは、それらの状態のうち2つの状態間をジャンプするときであるという理論で、これを「ボーアの量子論」と呼んでいます。これによって、水素の光学スペクトルをみごとに説明したのでした。
また、彼は1922年に周期律の理論を発表し、「原子の構造とその放射に関する研究」でノーベル物理学賞を受賞しました。
1930年代に入って、核反応に関心をもった彼は、1935年に原子核反応における複合核を考え、1936年に原子核の液滴模型を提唱しました。
第2次世界大戦下では、デンマークがナチスに占領されるとスウェーデンに脱出、イギリス・アメリカと渡り、マンハッタン計画に協力しています。彼は戦後、自らの体験や人間が核兵器を手にしてしまったという現状を踏まえて、この新たに発見されたエネルギーの平和利用の主導者になりました。1950年、彼は米政府に送った書簡集を出版し、その中で核兵器のない世界を主張しています。
彼は1952年、スイスのジュネーブにあるヨーロッパ連合原子核研究期間(CERN)の創立に助力し、北欧理論原子物理学研究所(ノルディタ)の創立も助け、1957年には、世界で最初の原子力平和利用賞を受賞しています。
2005.10.4 作成 KS
量子力学の形成に主導的な役割を担ったことで有名な物理学者ニールス・ボーアは、1885年10月7日、デンマークのコペンハーゲンに生まれました。
+の電気を持った原子核を中心として、そのまわりに-の電気を持った電子が回転しているという、教科書でおなじみの原子のモデルは、ラザーフォード(イギリス:1871~1937)が発表したもの(有核原子模型)です。しかしこれは、原子の安定性やスペクトルを説明することができませんでした。ボーアはラザーフォードのもとで研究し、ラザーフォードの考えに従いながら、さらに新しい仮説を付加することによって、原子の構造を統一的に説明できる理論を1913年に発表しました。それは、原子は飛び飛びの値のエネルギーを持った定常状態のみで存在でき、原子が光を放出・吸収するのは、それらの状態のうち2つの状態間をジャンプするときであるという理論で、これを「ボーアの量子論」と呼んでいます。これによって、水素の光学スペクトルをみごとに説明したのでした。
また、彼は1922年に周期律の理論を発表し、「原子の構造とその放射に関する研究」でノーベル物理学賞を受賞しました。
1930年代に入って、核反応に関心をもった彼は、1935年に原子核反応における複合核を考え、1936年に原子核の液滴模型を提唱しました。
第2次世界大戦下では、デンマークがナチスに占領されるとスウェーデンに脱出、イギリス・アメリカと渡り、マンハッタン計画に協力しています。彼は戦後、自らの体験や人間が核兵器を手にしてしまったという現状を踏まえて、この新たに発見されたエネルギーの平和利用の主導者になりました。1950年、彼は米政府に送った書簡集を出版し、その中で核兵器のない世界を主張しています。
彼は1952年、スイスのジュネーブにあるヨーロッパ連合原子核研究期間(CERN)の創立に助力し、北欧理論原子物理学研究所(ノルディタ)の創立も助け、1957年には、世界で最初の原子力平和利用賞を受賞しています。
2005.10.4 作成 KS