今日は何の日?

昔の今日は何があったのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。

世界初のコンピュータ(?)ENIAC完成。(1946/02/15)

1946-02-15 00:00:00 | 物理系
 あなたがこのページを見ているのは、パソコンからでしょうか? そのパソコンの元祖と言うべきものの1つが、アメリカのペンシルベニア大学でつくられたENIACです。
 1939年にはじまった第二次世界大戦は戦線を拡大し、1941年にはアメリカも参戦することになりました。当時の有力な兵器の一つに、大砲がありました。しかし、大砲でねらい通りの目標を攻撃するのは、とても難しいことでした。同じ量の火薬を使っても、気温、湿度、風向、風速などに砲弾の飛距離は大きく左右されるのです。そのため、それらの条件をふまえた上で、どのくらいの火薬の量でどのくらい砲弾を飛ばせるのかという一覧表を用意し、それを見て火薬の量を調節していたのです。これを、弾道表と言います。
 弾道表をつくるためには、急いで計算しても1ヶ月程度の時間がかかりました。戦場が変わって新しい条件が必要になったときや、新しい大砲をすぐに使いたいと言うときに、この1ヶ月は非常に長い時間です。軍はこれを何とかして短縮したいと考えていました。そこに、モークリーとエッカートが真空管を使った電子式計算機を考えていることが伝わり、彼らに計算機をつくらせることになりました。これが、ENIACです。
 ENIACは17,468本の真空管を使って計算を行います。この真空管の1つでも壊れてしまえば、その時点でENIACはストップします。使われた真空管の平均寿命は2000時間程度ものだったそうですが、真空管の数が多いので計算上は6分に1度真空管が壊れることになります。その真空管を何とか長持ちさせるために、エッカートは様々な工夫を凝らし、なんとか長時間動作するようにしました。
 完成したENIACは総重量は30t。高さ2.5m、奥行き0.9m、幅24m。というとても大きなものでした。ENIAC専用の部屋が用意され、そこはとても空調が行き届いていました。なぜなら、ENIACの消費電力は140KWにもなり、発生する熱によって真空管が安定動作しなくなってしまうからです。
 そのENIACが最初に行った計算は、弾道表づくりのための弾道計算ではありませんでした。完成が遅すぎたのです。1945年に試運転されたENIACに課せられた計算は、水素爆弾についてのものでした。もしも、それまで1ヶ月間かかっていた弾道計算を行ったとしたら、ENIACはたった半日で計算できたと考えらえています。
 そして、1946年2月15日。ペンシルベニア大学でENIACの完成式が行われました。ENIACは世界初のコンピュータとして世界に知られることになりました。それから60年以上が経ち、私たちの生活の至る所にコンピュータが使われています。あなたのポケットに入っている携帯電話の方が、30tもあるENIACよりも遙かに高性能です。凄まじいスピードで進歩したコンピュータは、今後も進歩を続けるでしょう。

※ ENIACの特許を巡って1967年に起こされた裁判の判決(1973年)によって、世界初のコンピュータではないとされています。この裁判で、世界初のコンピュータはアイオワ州立大学のABC(1942年)であるとされています。また、ENIAC以前には、ABC以外にもイギリスのColossus(1943年)があったことがわかっています。しかし、ABCは連立方程式を解くための専用コンピュータであり、Colossusもドイツ軍の暗号を解くための専用コンピュータでした。私たちが使っている汎用コンピュータの元祖は、やはりENIACであると言えるでしょう。


2006/01/03 作成 TH