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”水爆の父”テラー誕生(1908/01/15)

1908-01-15 00:00:00 | 物理系
1908/01/15

 原子爆弾、水素爆弾の開発、SDI計画の積極的な推進と、一環して、核抑止力による世界各国間の均衡を唱え続けた、ユダヤ人エドワード・テラーは、この日生まれました。

 テラーは、ハンガリーに生まれ、1930年にドイツで物理学の博士号を得ました。しかし、その後ナチスがドイツの政権をとり、ユダヤ人への迫害が日を追って厳しくなる中で、彼はドイツを離れ、イギリスを経てアメリカに移りました。そして、アメリカで、原子爆弾の開発を行ったマンハッタン計画に参加しました。
 テラーは、この計画で行った研究の中で、核分裂反応を用いた原子爆弾よりも核融合反応を用いた爆弾(後の水素爆弾)の方がはるかに強力であることに気づき、その開発を強く主張しました。しかし、当時のマンハッタン計画を行っていたロスアラモス研究所のリーダーであったオッペンハイマーを初めとして、参加者の多くの賛同を得られず、計画の中心であった原子爆弾の開発から離れ、水素爆弾の開発を続けました。
 その後、原子爆弾は実現し日本にも投下され、第二次世界大戦は終戦を迎えました。水素爆弾の開発が無意味となる思われた1946年、テラーはシカゴ大学に移り教鞭をとるようになりました。
 しかし、当時のソビエト連邦が核爆発に成功した翌年(1950年)、時のアメリカの大統領であったトルーマンは水爆の開発を進めることを決定し、テラーは再びロスアラモス研究所に戻りました。しかし、ここで水素爆弾の計画のリーダーになれなかった彼は、1952年新たに設立されたローレンス・リバモア研究所に移り、さらに水素爆弾の開発計画を進めました。
 そして、1952年太平洋中部のマーシャル諸島の中にあるエニウィトク環礁で初めて水素爆弾の爆発試験に成功、さらに1954年には、同じ諸島の中にあるビキニ環礁でも水素爆弾の爆発試験に成功しました。しかし、このとき、周辺で操業していた日本のマグロ漁船第五福竜丸に水素爆弾の爆発に伴って生じた大量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴び、船員が全員被爆する被害を受けました。この他にも周辺を航行していた多くの船には被害が及びました。
 この時期、ソビエト連邦も相次いで水素爆弾の開発に成功し、アメリカとソビエトの間の核兵器開発の競争が加速していきました。
 テラーは、核兵器開発でソビエト連邦より優位に立ち続けることが、アメリカにとって重要という考えに立っていました。一方、原子爆弾開発のリーダーであったオッペンハイマーは、自ら開発した原子爆弾の被害の大きさに衝撃を受け、戦後、その1,000倍以上の破壊力を持つ水素爆弾の開発に強く反対しました。かつてマンハッタン計画の同僚であった二人は戦後鋭く対立したのです。
 そんな中1954年、テラーは、核兵器開発に反対だったオッペンハイマーがソビエト連邦のスパイではないかと疑われた際に彼に不利な証言をしました。このことがきっかけとなり、オッペンハイマーはすべての公職を追放されました。また、一方のテラーもこのことで同僚の物理学者の強い非難を受けることになり、学術的な立場は悪くなりました。

 しかしその後もテラーは、政界、財界、産業界と深いつながりを持ちながら、核兵器開発の継続を主張し続けました。
 そして彼は、核エネルギーをより効果的に引き出した核X線レーザーの開発に目処をつけ、当時のアメリカ大統領だったレーガンにそれが活用できる宇宙空間での防衛構想を提案しました。これを受け1983年、レーガン大統領は、戦略防衛構想(SDI)(ソ連による核ミサイル攻撃からアメリカを防御するミサイル防衛システム)を進めることを表明しました。その後、SDIは、多額の軍事費を投じつつも技術的な困難を克服することができなかったことから、撤回されましたが、最後までテラーはSDIを支持し続けました。

 その後、アメリカとソビエト連邦の間では、核軍縮の取り決めがなされ、限りないと思われた核兵器開発競争に歯止めがかかりました。そして、ソビエト連邦が崩壊し東西冷戦が終結して、水素爆弾開発でしのぎを削っていた時代は過去のものになった2003年、テラーは95歳で息を引き取りました。

 テラーの業績については、評価が分かれています。極めて強力な兵器である水素爆弾を開発し、それに伴う被害ももたらされた事実は許されるものではありません。その一方で、東西冷戦の中で一方が核兵器開発をやめることは、結果として東西諸国双方の安全を脅かすものとなり得たという指摘もあります。
 テラーの業績を省みながら、科学技術と社会のあり方や科学者の倫理について、一度考えてみるのもよいのではないでしょうか。

2005/01/04 作成 YK