今日は何の日?

昔の今日は何があったのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。

日本初のドーム型野球場東京ドーム完成(1988/03/17)

1988-03-17 00:00:00 | 生活全般
1988/03/17

 今では、めずらしくなくなりつつあるドーム型の野球場ですが、日本で最初のドーム型野球場である東京ドームはこの日完成しました。現在、プロ野球の読売ジャイアンツの本拠地であり、プロ野球を初めとして様々なスポーツやイベントの会場として使われています。

 この東京ドームですが、その建築面積は46,755平方メートル、容積は124,000,000立方メートルあり、とても広いものや大きいものを身近なものに換算する単位のようなものとして、しばし使われています。
 例えば、日本の国土は東京ドーム約8百万個分、世界のビールの消費量は東京
ドームをジョッキに見立てると121杯分、日本のビールの消費量は5杯分、といった具合です。

 さて、東京ドーム1杯分はペットボトル何本分になるでしょうか?考えてみるとおもしろいのではないでしょうか。
 一見するとぴんと来ないようなものをこのように換算してみて、広さや大きさを考えてみるのも自分なりにそれらをつかむ工夫の一つと言えるでしょう。

2006/03/27 作成 YK

青函トンネル開通(1988/03/13)

1988-03-13 00:00:00 | Weblog
1988/03/13

 青函トンネルは本州と北海道を結ぶ世界最長の海底トンネルです。トンネルの全長は53.85Kmで、始点の青森県東津軽郡今別町浜名から終点の北海道上磯郡知内町湯の里を結んでいます。トンネルの海底部分は長さ23.3Km、海面下140mの海底からさらに100m下を通り抜けています。
 青函トンネルの構想は第二次世界大戦前からありました。古くは1923年に阿部覺治という函館の海産物商人が函館市民に向けて函館の未来の姿を説いた「大函館論」の中に、そのアイデアが書かれています。その頃、すでに「日本全国縦貫弾丸列車構想」という日本列島4島を鉄道で結ぶ計画がありました。その計画のひとつであった関門トンネルは第二次世界大戦中に完成しています。
 青函トンネルの計画が具体的に進められるようになったのは第二次世界大戦後です。まず1946年に本州側と北海道側で地質調査が開始されました。しかし、終戦から間もない日本の社会では、このような巨大プロジェクトの実現はたいへん難しく、さらに詳しい調査は進めることができませんでした。
 1954年9月に青函連絡船「洞爺丸」が台風15号で沈没しました。タイタニック号の沈没につぐ大規模な海難事故になりました。この事故をきっかけに、青函トンネルの必要性が世論として高まり、調査が再開されました。そして、ついに1971年9月に起工式が行われ青函トンネルの本工事が開始されました。幾多の困難を乗り越えて、1985年3月に本坑が貫通、その3年後の1988年3月13日にJR津軽海峡線が営業を開始しました。青函トンネルが開通すると、それまで北海道と本州を結んでいた青函連絡船が廃止され、80年の長きにわたる青函連絡船の歴史の幕が閉じられました。

2006.02.27 作成 MK