ロケットの歴史はとても古く、さかのぼれば13世紀に中国で兵器として使われたロケット花火がスタートとされています。その頃には、そのロケットに乗って宇宙へ旅立とうなどということは、誰も考えていなかったことでしょう。しかし、人々の宇宙へのあこがれは、ロケットで宇宙へ行く可能性を開いていきました。その中で、大きな役割を果たした一人が、アメリカのロバート・ハッチンソン・ゴダード(1882~1945)です。
ゴダードは、H・G・ウェルズやジュール・ヴェルヌのSF小説を愛読していました。その中の1冊、ヴェルヌの「地球から月へ」は、人間が大砲の弾に乗って月へ行くというストーリーでした。いずれは月に行きたい。そんな思いをかき立てられたゴダードは、学生時代からロケットについて思いを巡らし、大学教授になってからは研究に専念しました。
当時は、世界各地でロケット研究が行われていた時期でした。その中で、ゴダードはロシアのツィオルコフスキー(1857~1935)の考えた液体燃料ロケットに注目し、研究を進めました。
それまでのロケットは、固体燃料ロケットというものでした。簡単につくることができてコストが安く済むのですが、一度点火したら途中でとめることができないという欠点があります。しかし、液体燃料ロケットは噴射をコントロール可能なため、ロケットの制御をする上でとても便利なロケットなのです。しかし、その分つくるのが難しいという欠点があります。
ツィオルコフスキーが考えた液体燃料ロケットは、液体水素と液体酸素を使ったものでしたが、液体水素は取り扱いがとても難しいため、ゴダードは代わりの燃料としてガソリンを使ったものを研究していきました。しかし、その研究は周りに理解されず、論文を書いてもまともに取り合ってもらえませんでした。そして資金難にも苦しみながら、1926年3月16日、ゴダードは液体燃料ロケットを作り上げ、打ち上げに成功します。
世界初の液体燃料ロケットは、飛行時間2.5秒、最高到達高度12メートル、到達水平距離56メートル、平均時速100キロメートルを記録しました。たった2.5秒ではありますが、人類の宇宙への扉が開いた瞬間でもあります。
その後、大西洋横断飛行で有名なリンドバーグからの資金援助などで研究は進められましたが、第二次世界大戦によって中断をせざるを得なくなりました。それでも、今ではゴダードの研究はとても高く評価され、近代ロケットの父と呼ばれています。
苦しみながらも夢を追いかけ続け、成功に結びつけたゴダードは、こんな名言を残しています。
「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である。」
2006/02/15 作成 TH
ゴダードは、H・G・ウェルズやジュール・ヴェルヌのSF小説を愛読していました。その中の1冊、ヴェルヌの「地球から月へ」は、人間が大砲の弾に乗って月へ行くというストーリーでした。いずれは月に行きたい。そんな思いをかき立てられたゴダードは、学生時代からロケットについて思いを巡らし、大学教授になってからは研究に専念しました。
当時は、世界各地でロケット研究が行われていた時期でした。その中で、ゴダードはロシアのツィオルコフスキー(1857~1935)の考えた液体燃料ロケットに注目し、研究を進めました。
それまでのロケットは、固体燃料ロケットというものでした。簡単につくることができてコストが安く済むのですが、一度点火したら途中でとめることができないという欠点があります。しかし、液体燃料ロケットは噴射をコントロール可能なため、ロケットの制御をする上でとても便利なロケットなのです。しかし、その分つくるのが難しいという欠点があります。
ツィオルコフスキーが考えた液体燃料ロケットは、液体水素と液体酸素を使ったものでしたが、液体水素は取り扱いがとても難しいため、ゴダードは代わりの燃料としてガソリンを使ったものを研究していきました。しかし、その研究は周りに理解されず、論文を書いてもまともに取り合ってもらえませんでした。そして資金難にも苦しみながら、1926年3月16日、ゴダードは液体燃料ロケットを作り上げ、打ち上げに成功します。
世界初の液体燃料ロケットは、飛行時間2.5秒、最高到達高度12メートル、到達水平距離56メートル、平均時速100キロメートルを記録しました。たった2.5秒ではありますが、人類の宇宙への扉が開いた瞬間でもあります。
その後、大西洋横断飛行で有名なリンドバーグからの資金援助などで研究は進められましたが、第二次世界大戦によって中断をせざるを得なくなりました。それでも、今ではゴダードの研究はとても高く評価され、近代ロケットの父と呼ばれています。
苦しみながらも夢を追いかけ続け、成功に結びつけたゴダードは、こんな名言を残しています。
「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である。」
2006/02/15 作成 TH