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ガリレオ・ガリレイ、木星の衛星を発見 (1610/01/07)

1610-01-07 00:00:00 | 地学系
1610/01/07

地球には、月というたったひとつの衛星があります。
木星は、2005年現在で63個の衛星が確認されており、太陽系で最もたくさんの衛星を持つ惑星です。この木星の衛星を最初に発見したのはガリレオ・ガリレイです。
1910年1月7日、ガリレオはオランダ人の発明した望遠鏡を改良し、30倍の望遠鏡で天体観測中、木星をとらえました。そして、木星の両側に、小さいけれどもきわめて明るい3つの星を見つけたのでした。後のガリレオの著書『星界の報告』では、次のように述べています。

「当初、わたしは恒星だと信じていたが、黄道に平行な直線にそって並んでおり、等級もほかの恒星より明るいという事実に、かるい驚きを覚えた。木星に対するそれらの星の配置は、次の通りである。

E   *    * ○  *    W

東には星が2つ、西には1つあった。一番東と西との星は、もうひとつの星より大きく見えた。木星との距離については、気にとめていなかった。いま述べたように、恒星と考えていたからである。」

翌日、ガリレオは再び木星を観測すると、その配置が全く違っているのを発見しました。3つの星はみな、木星の西側にあり、等間隔で並んでいたのです。その後も彼は継続してこの星の観測を行い、これらは恒星ではなく、木星のまわりを回っている星であると確信したのでした。
ここでガリレオは3つの星を記していますが、その後の観測で、これは4つであることを確認しています。
たぶん、このときは2つの衛星の角度が小さかったために分離して見えなかったか、あるいは視野に入っていなかったのではないかと考えられます。
この時代は、「地球をはじめとする天体はすべて、神が人間のために創造したもの」というキリスト教の教えに反するものは、宗教裁判にかけられました。コペルニクス地動説を公然と支持したイタリアのジョルダン・ブルーノが火あぶりの刑に処せられたのは、ガリレオが36歳の時でした。地動説を信じていたガリレオにとって、この発見はその有力な証拠のひとつでした。しかし彼は、ローマ教会から個人的にも「地動説を公然と主張してはいけない」と警告を受けていたのです。それにもかかわらず、ガリレオは「天文対話」を著わし、地動説の正しさを説いたことで、宗教裁判にかけられてしまいました。

このガリレオの発見した4つの衛星は、ガリレオ衛星と呼ばれ、木星に近い方から、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストという名が付けられています。双眼鏡や低倍率の小望遠鏡で見ることができるので、木星のまわりを回っている様子を観測するのもいいでしょう。

2005.12.10 作成 KS