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初めての成田山詣で

2009-04-06 23:34:22 | 生活の中で
初めて成田山へ行ってきた。昨年亡くなった義母は元気な頃は毎年正月成田山へ詣で、子供たちにお守りを整えていてくれていました。義母が入院してからは勿論途切れていましたが、罰当たりなことに、以前のお札がそのままに成っていたのです。今日は本来仲間との月に一回の麻雀の定例日でしたが、仲間の一人が、ウォーキングの途中で写真を撮ろうとして転倒し、思いもかけない怪我を負って例会は中止になり、一日の空白が出来ました。そこで天気もよく、気候もよいので成田山へ出かけることにしたのです。奥方の心がけがよいせいか、信じられないくらい首都高は空いています。浦和南ICから載ったとき、竹橋まで20分の表示が出ていましたが、そこまで掛からず小松川から京葉道路を通り、冨里で降りた時も、時間的には一時間も経っていませんでした。時として竹橋まで一時間以上掛かるのが当たり前に思っていただけに、驚きでした。途中道を間違え、奥の院の間近まで言ってしまいました。申し訳なかったのですが今回は正面からではなく裏から境内に入らせて頂きました。おかげさまで義母から頂いていたお守りは無事納めさせていただき、夫婦二人のお守りを頂戴いたしました。 子供夫婦や孫の為には京都醍護寺で護摩を焚いていますし、厄年にあたる人には蓮華王院(三十三間堂)のお札を頂いています。お札があちこちになるのもまずいと思い、新勝寺のお札は夫婦だけにしたのです。そのとき大本堂では御護摩ご祈祷が行われていましたが、ご本尊を不動明王とするだけにその激しさには驚きました。なるほど信心なさる方も多いと納得でした。激しい嵐の中、あるいは体が解けてしまうような真夏、凍えるような真冬にも来てみたいと思わせる何かがありました。もう一度来たいと思わせるものがあります。
ちなみに寺で頂いた御縁起をここに記しておきます
「真言宗智山派 大本山成田山金剛王院新勝寺のご本尊不動明王は、嵯峨天皇の勅命によい弘法大師みずから敬刻して開眼し護摩法を修せられた尊像です。
ながく京都の高雄山神護寺に奉安されておりましたが天慶2年(939)平将門が反乱を起こすと朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正は、この尊像とともに関東に下り、下総の国、成田の地にて21日間平和祈願の御護摩を修めました。その満願の日、天慶3年(940)2月14日に兵乱は平定され、この地に新勝寺の寺号を賜って成田山が開山されました」  と、記されています
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