詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

1-2 凌辱 Georges Brassens : Le Gorille

2010年11月18日 22時40分48秒 | シャンソン歌詞の男目線

福本和也という航空推理小説の分野で大活躍した作家がいた。読んでいると、コクピットの中で機体を操縦しているような仮想体験が出来るので、福本氏のほとんどの航空小説は読了した。ひとつだけ気になったのは、どの作品においても、女性の愛に対する不信が根強くあり、主人公と女性との行為も甚だ復讐的匂いに充ちていた事だ。なにかトラウマがあったのだろうか?
 Brassensには、そのようなトラウマはなかったと思うし、また女性にももてたと思うのだが、男から自由を奪うワナのような肉体的存在としての女性に対して、やはり嫌悪感があったのではないかと思われる。塚本邦雄氏のBrassens贔屓は、この辺への共感に起因するところ、実は大ではなかっただろうか。塚本氏でなくとも、Brassensファンは日仏両国にも世界中にも圧倒的に多い。だから多くの先哲の方々からお叱りを受けるかもしれないが、Brassensの「ゴリラ」について一度女性の側からの感想を、蛮勇を持って述べてみたい。
 たとえ諧謔の歌と解しても、この歌詞は一般的に女性にとっては、実は充分に不快な内容なのだ。逃げ遅れた老婆と若い判事を嘲笑の対象にしているところは、歌詞としてその質において、貶し漫才ドツキ漫才と同一次元だ。笑いを目的とするならば、決して相手をその対象にしてはいけない。良質な笑いは自分を哀れな被害者にして、自分自身に失笑を向けなければならない。 
 蒲田耕二氏の「聴かせてよ愛の歌を」(清流出版2007年9月刊 P.360&P.361)によると、「この曲が慎ましく訴える、死刑廃止のメッセージに気づく者は少なかった」とある。若い判事を笑いものにしている最後の部分がそのメッセージのつもりなのだろうか。だとしたら、フォーク的メッセージソングとしても、その質は小学生以下の出来だと言わざるをえない。男性も女性も人間の扱いは当時はこの歌詞のような認識でも、平気だったのかもしれないが。だとしたら、なんと鈍な時代だったのだろうか。(注:実際ラジオでは1950年前半、3年間ほど放送禁止になっていたが、それは、猥褻と言う観点からであって、決して凌辱と言う観点からではなかった。信心深いBrassensの母もこの曲を嫌ったが、同じ理由からだった。)
 私の亡き友人のJacquesによると、これは死刑制度反対、それ以外何のつもりもない歌らしいが、そうだとすれば、重たい議論なのに何の説得力もない。なにしろ気の毒な目にあった判事を嘲笑するだけなのだから。(注:死刑廃止に関するシャンソンならむしろJulien ClercのL'assassin assassiné,歌詞Jean-Loup Dabadie、作曲Julien Clerc,をいつの日か取上げてみたい。)
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それでは、ざっと歌詞を検討してみよう。
1.おばはん達が、若く美しいゴリラと、ゴリラの肉体のある一部を、ものほしそうに眺めていました。という出だし。この歌詞からして、トラの、否ゴリラの威を借りた一般男性の日頃のトラウマの解消のような気がする。これだけでもLadyが聞いたら卒倒ものだ。そうとは気づかないかも知れないが、すでに凌辱は開始されている。
2.ゴリラの檻が突然開いて、ゴリラが出てきて「今日は童貞を捨てるぞ」とのたまう。主役の雄ゴリラの登場。おばはん達は既に下位の引き立て役である。
3.巡回動物園の経営者が出てきて「ゴリラは女を知らない」と叫び、それを聞いた人間の雌ドモは「せっかくのチャンスを利用しないで」逃げる。人間の雌ドモが、ゴリラの童貞をありがたがる?という今ならセクハラまがいのことが前提として歌われる。誰ですか、そこで「なかなか、面白い歌詞だな」って言ってるのは!それはあなたが、男性だからですよ。
4.もの欲しそうに眺めていた女ドモが逃げるのは、自己欺瞞だ。ゴリラは人間よりいいのだから、怖がって逃げるなんて、馬鹿げていると、多くの女が言うだろう、ときたもんだ!ゴリラは人間よりいい等と、女は馬鹿だから思っているだろうという推量。どこまで愚弄したら気がすむのだろうか。
5.若い判事とヨレヨレのばあさんが逃げ遅れる。ゴリラはノッシノッシと二人に近づいていく。どちらを笑いものにしようか、という極めて趣味の悪い作者(Brassens)の快感の挿入。
6.まさか、よれよれの私に来るこたぁないわいな、と期待しつつもばあさんは思い、まさか僕を雌ゴリラと間違うわけはあるまい、と若い判事は考える。続きを見れば、この男の判断が間違いなのだが、と歌われる。(ここから死刑廃止論か?)判事が間違う者として登場するわけ?判事を笑いものにするための伏線。inespéréの訳をどうしようか時間をかけたが、同じ予想外でも肯定的に使用される場合が多い語なので、望外の、と訳した。セクハラここに極まる。
7.あなたがゴリラの立場だったら、どちらを選びますか?と聞いて、万一僕がゴリラだったら、そりゃばあさんの方だ、とBrassensのお言葉が入る。単なる結果の意外性を引き出すための伏線に過ぎない。ゴリラに弄ばれるのは、果たしてどちら?不幸に陥った人達をちょっといたぶり過ぎ。この歌を聴きながら酔いがまわって気分のいい男性の聴衆は「ばあさんだ」「判事だ」等と口々に茶々を入れるのだろう、楽しい歌ですこと!この時点で、判事に向かうことは、ほとんどの者が予測できる。でないと歌にならないからだ。
8.大方の予想を裏切って(嘘)、ゴリラは木々の中へ若い判事を引っ張り込む。年老いた女はゴリラですら相手にしない?否、そんなことは言ってない?ゴリラの選択に関して、趣味が悪いとか、エスプリがないとか、理由付けをしているが、このゴリラの選択こそが、この歌の凌辱クライマックスである。また、もし死刑制度反対のための歌詞なら、はじめから判事を攻撃するつもりなのだ。死刑を言い渡す胸糞の悪いこの若い男と、二者選択をするためにブラッサンスが提示したのが、ヨレヨレの老婆。お分かりですか?ヨレヨレの老婆は、胸糞の悪い判事と、同程度に胸糞が悪いと言うブラッサンスの思いがここで露呈しているのです。
9.それからが味な話、そして少し笑ってしまう、が続きは口には出来ません、と言いながらも、「判事はクライマックスで『ママ』と叫んでよよと泣いた」と、被害者を情け容赦もなく嘲笑する。そのありさまは、その判事がその日死刑台で死なせた男の最後と同じでしたよ、で歌は終わる。これが、死刑廃止のメッセージ?単に逃げ遅れた者達を終始嘲笑・冒涜する、不快な歌詞だと思うのだけれど。そして何より女性と言うものに対する100%の冒涜・凌辱の歌詞であると、私は告発する!

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〔追記〕 Brassensや「ゴリラ」が一番好きなシャンソン歌手、シャンソンだとおっしゃる男性は多い。ドボジデ?歌唱力が抜群だから?(ノン)、歌詞が文学的だから?(ノン)、メロディーラインが素晴らしいから?(ノン)、笑わせてくれるから?(?)それともあなたが死刑廃止論者だから?(?)はたまたトラウマの解消が出来るから?(ウイ)、ゴリラによる敵討ち?(ウイ)
 この曲をご存知ない方にも上記の記述に共感を寄せていただくために、インターネットでこの曲が聞けるアドレスを紹介しておきます。
http://brassenswithenglish.blogspot.com/2008/02/le-gorille_16.html 又は
http://www.youtube.com/watch?v=JHXVsTGCCxk
 そうなんです。こんな曲なんです。なのに大人気なんです。以下のアドレスをアドレス欄にいれると、英語の訳の他にフランスの他の歌手を初め、Brassens以外の7人の歌手達がスペイン語、ロシア語、イタリア語、スウェーデン語などでこの曲をカバーしている歌声が少し聞けます。
http://www.georgesbrassens.fr/brassens-atrad.htm
 さらに以下のアドレスに行くとフランス語、イタリア語、ミラノ方言イタリア語、英語、ギリシャ語、スペイン語、ロシア語、ペルシャ語、ラテン語に翻訳された「ゴリラ」の歌詞を読むことが出来ます。
http://www.antiwarsongs.org/canzone.php?id=6854&lang=en
 そのペイジのThe Video of the song is availableの下のShow/hide detailsをクリックするとそれぞれの語でフルに歌われる「ゴリラ」の動画を6種類聴くことが出来ます(注:You Tubeの「Ojo al Gorilla」スペイン語版のみが削除されています)
 事実このように信じられないくらいの不滅の人気曲なんです。楽しげに聞いたり歌ったりされている世界中の殿方に水を差すようで申し訳ないですが、そろそろこの辺りで女性側からの感想を、逆襲を覚悟しつつも一言、申し上げておくべきだと思うのであります。 



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