詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

どの井戸にも底が無い IPRに関して

2014年02月18日 13時38分35秒 | 政治・経済資料

IPRをわかりやすく解説したYou Tubeを見つけた。
Discussing the Institute of Pacific Relations
(1)とあるが(2)はない。

The Institute of Pacific Relations and the Betrayal of China
The Senate Testimony of Alfred Kohlberg
まだまだ何も見えてこない。

太平洋問題調査会(1925~1961 日本語山岡道男氏
朝河貫一の名が出てくるのはこれだけ


Cordell Hull を検証する

2014年02月15日 23時04分45秒 | 政治・経済資料

Cordell Hull: 疑惑のノーベル賞


THE IMPERIAL DIET January 21, 1941

2014年02月15日 22時08分35秒 | 政治・経済資料
ADDRESS OF PRINCE FUMIMARO KONOYE,
PRIME MINISTER OF JAPAN,
DELIVERED BEFORE THE 76TH SESSION OF THE IMPERIAL DIET
Tokyo, Japan, January 21, 1941


ADDRESS BY
FOREIGN MINISTER OF JAPAN, YOSUKE MATSUOKA,
DELIVERED BEFORE THE 76TH SESSION OF THE IMPERIAL DIET
Tokyo, Japan, January 21, 1941

The Emperor's Speech

2014年02月11日 13時42分47秒 | 保守の致命的怠慢

昭和天皇独白録 文藝春秋社 1991年

2014年01月21日 11時17分02秒 | 保守の致命的怠慢
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表紙が汚れているように見えるかもしれないが、これは金粉が振られているという装丁、じっくり見るとわかると思う。画像ではわかりにくいが「昭和天皇独白録」の文字も金色で書かれている。今それを手にしている。この本の内容については以前にも紹介したが(全く反応がなかった、保守にはお話じいさんの創作だけで他はいらない、それが一貫した保守と言われるものの姿勢である)、意外と「独白録」の存在を知らない人が多い。あるいは何かの理由で、保守によって、あって亡きもののように扱われていて、事実上の焚書にでもされているのだろうか、保守がこの本を引用したり紹介したり論じたりしているペイジをめったに見ない。が、その気になって探せば、結構これを徹底的に分析した保守のサイトもあるのかもしれない。また上に紹介したこの本自体は、簡単に入手できる。1946年の記録が1991年に一般が手に取れる書籍になった、そういった背景は熟慮する必要がある。ただ単に内容だけ読めばいいというものではない。また出版背景だけでなく、歴史知識も充分に蓄えておく必要があるのは言うまでもない。
こういう立派な本があるのだから、これをまず読んで、推量・伝聞のみにより形成された鋳型のワンパターンから一日も早く脱していただきたい。これは資料なので、別にこう読まなければならないということもない。率直な感想をお聞かせいただけたら有難い。

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・・・・・追記:2013年11月18日・・・・・
ひょっとしたら、いや、ひょっとしなくても、私は今すべての保守を敵に回しているかのように受け止められているかもしれない。留まるところを知らず、の勢いで。ただTel Quelではいつものことだが、どんな貴重な資料をおいてもクリックして読みに来るようなひとはめったにいない。そして読者というのは大抵がワイワイ騒げる共感部分を探しに来るだけなので、一連の記事の意味を全く理解しないままなーんにも考えずにさっさと立ち去って行く人の方が圧倒的に多い。単に「わけわからん、面白くない」と判定されている可能性も高い。だから以下のことはじっくり読み込んでくださる極々少数の方に限定してお伝えしたいと思う。
いくら見たくないことでもいくら聞きたくないことでも、知るべきことは知っておいたほうが良い。いつまでも気づかないふりをしていては、いつかドカンとやられるからだ。つまり敵に凶器を握らせたままにしておいてはいけない。相手の手からすぐに奪い取れるような凶器ではない。ドカンと使われたら、もはや再生はない。開示して共有して、その凶器の毒性を消し去るような、理論構築をして対抗する準備をしっかり整えておく必要がある。その第一歩は覚醒、即ち真実の共有である。そのために開示しているのだ。そのへんの説明を、ヒントとなる重要部分を以下に引用する。熟考推理されたし。
参照:Saving The Throne :ここから引用する。

On May 5, former president Herbert Hoover visited Japan on a fact finding mission for Truman. Fellers told Hoover about the monologue and asked for his advice. "Because of American bitterness, material from the emperor would not be as effective now as a little later," Hoover said. He adviced Fellers to keep the document for use "the moment that an emergency justified."
・・・・・追記:2013年11月23日・・・・・
5月5日、前大統領Hooverが事実検証に来日した。Fellersが独白録の存在を告げると「その天皇の資料はアメリカ人の感情には効き目がない。もっと後でより有効に使える時がくるだろう」ということで、米国内では伏される事になった。(ドカンと使われたら、もはや再生はない。)
(この部分上記資料和文要約より、抜粋引用しました)




昭和天皇独白録 文藝春秋社 1991年ー2

2014年01月21日 09時53分02秒 | 保守の致命的怠慢
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・・・・・2013年11月25日・・・・・
P.206 & 207を偶然に開いたら、「フェラーズ准将の米内大将に対する話」(21年3月6日)が2ペイジに渡ってでてきた。どこかで読んだ内容だと思い出した。後半部分P.207の一部最重要な日本語部分がこれのP.15 & P.16の以下の部分にぴたりと一致する。
Baidu IME_2013-11-25_14-54-10Baidu IME_2013-11-25_14-57-48
It would be best to blame all responsibility on Tojo.このFellersの発言に対して、この本にはないがFellersの記録によると米内はこう答えている。「I am in complete agreement with you.」
蛇足だが東條はこれに対しこう答えている。
Baidu IME_2013-11-25_15-27-29
軍閥支配の悪の枢軸国、ファシスト国家大日本帝国誕生の日米協力根回し部分である。まさに「運命の瞬間」
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なにもいちいちマッカーサーの議会証言を借りてきて教科書に載せる必要は本来ないのだ。東條は東京裁判の法廷で「自衛のための戦争であって、国際法で裁かれるべきものではない」と堂々と述べている。
Baidu IME_2013-11-25_15-43-44
東京裁判無効の主張の際、パル判事やブレイクニー弁護人など非日本人に全面依存しかできないのは、何故なのか、この東條の堂々とした日本国無罪答弁をなぜ黙殺し続けるのか、考えてみてはいかがでしょうか?えぇ?東條などの言うことにひとかけらの真実もあるもんですかって?えぇ?自虐史観愛国保守ですって?えぇ?東京裁判容認愛国保守ですって?なるほど、原爆容認愛国保守の線で考えればいいのですね。違う?えぇ?真正保守ですって?
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昭和天皇独白録 文藝春秋社 1991年ー3

2014年01月18日 17時27分59秒 | 保守の致命的怠慢
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書籍化の前、文藝春秋に発表された記事を紹介している、New York Timesの記事
朝日、毎日、読売、産経ではどういう報道をしたのだろうか、しなかったのだろうか。
Hirohito asserts that if he had tried to stop the attack on Pearl Harbor in 1941, "it would have led to a coup d'etat" in which he likely would have been assassinated." That would have been fine," said Hirohito, who died in January 1989 at age 87. But even if he had been killed, he said, "eventually a very violent war would have developed" in which "Japan could have perished." (...)especially because they make it clear that he had a fairly detailed understanding of what the military was planning.
"Once the situation had come to this point, it was natural that advocacy for going to war became predominant," Hirohito said. "If, at that time, I suppressed opinions in favor of war, public opinion would have certainly surged, with people asking questions about why Japan should surrender so easily when it had a highly efficient army and navy, well trained over the years." It would have led to a coup d'etat," Hirohito concluded.
In the interviews, Emperor Hirohito described his own powers as weak, constrained by the Meiji Constitution that then governed Japan just as his ancestors were constrained by powerful shoguns. "It was unavoidable for me as a constitutional monarch under the constitutional polity to do anything but give approval to the Tojo Cabinet on the decision to start the war," he said, referring to Gen. Hideki Tojo, the wartime Prime Minister. "If I approve what I like, and do not approve what I do not like, I will be no different from an absolute monarch."
本からの引用より英文引用を引くのは、「昭和天皇独白録」は昭和史研究家、半藤一利氏による解説の流れの上に乗せられて提示されているからである。英文ではそれが省かれている、その分simpleでstraightである。当然のことながら「四方の海」に関する御発言も平和愛好もない。日本人の手になる補筆は邪魔なのだ。「満座粛然,しばらくは一言も発するものなし」どころか「クーデターが起こったであろう」というご自分の立場の弱さを強調されている。
40年以上昔からそしてTel Quel Japonを通しても欧米人と議論をする過程で、日本人保守が持つ情報と欧米人がもつ情報の違いにより、こちらの主張に正当な資料的根拠のないことに直面せざるを得なかった経験が何度かあった。また同胞の日本人が、ときには保守の日本人が足を引っ張る場面も甚だ多かった。保守の中に於いても議論や論拠に全く整合性がないのだ。とにかく虚言を排すること、そして国家として少なくともある程度はコンセンサスを獲得して、教育界もマスコミも政府も国民ももっと整合性のある見解を同じベクトルで発信しなければ、少なくともその準備を微かにでも整えないことには、海外発信したところで、相手に届く前に、悲しいことに同胞の(しかも保守の)日本人勢力によって、人の声はかき消されてしまうのだ。何度悔しい思いをしたことだろう。私が今虎のつもりでひとり咆哮するのはそのためだ。鯨になって体当たりするのは、いつまでも「だまくらかし」にすがりつかないで、覚醒して欲しいからだ。一日も早くワンパターンと無思考に気づいて欲しいからだ。たとえば「お話じいさん」の虚言を拝するのでなく、虚言を排して欲しいからだ。
「ご聖断は見事だった。それだけ権威のある人間でありながら何故、開戦、即ち真珠湾攻撃をやめさせることができなかったか」そのBonner Fellersの問、そしてその問いに応える意味からこの「昭和天皇独白録」はスタートしたという事実がある。日本人は「その問い」さへ思いつかない、思いつけない。「矛盾をつく目」を持ちましょうと繰り返し呼びかけるのはそのためだ。
日本人は抑圧される前に「矛盾をつく目」を持つことを、すでに国民的習性として相互監視で自制している。
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・・・・・追記:2014年1月18日・・・・・
原文と訳文を様々に読んできて、時にひどい致命的間違いを結論付ける翻訳者および読者がいることに気づいた。それは現地滞在年月とか、学歴とか、語学的知識とかによるものではないようだ。例として上の文を論じてみる。天皇陛下のお言葉は「もし真珠湾攻撃を自らが阻止したとしたら、クーデターが起きただろう。おそらく自分は軍部によって暗殺されただろう。」「殺されてもかまわないとして、たとえ殺されても、いずれにせよ戦争は勃発していただろうし、結果として日本国は滅びてしまっただろう」をはじめとして、全部が全部仮定法なのだ。日本語を母国語とする日本人は「ああそうか、止めていたら陛下は殺害されていて、それでも戦争が起こって敗北することには変わりはないのだ」と理解する。欧米人はそういう結論は出さない。なぜならそれは仮定法だからだ。仮定法は理解をする上で、歴史解釈には採用しない。ここから読み取るのは「天皇は真珠湾攻撃を知らなかった、という弁明も実はあるが、本当は知っていたのだ。そして開戦にvetoを発しなかった。勿論その証拠は開戦の詔勅である」そう認識するだけだ。歴史に「もし」はない。仮定法の連続は、まさに「言い訳の羅列」でしかありえない。「昭和天皇独白録」の英語版は日本でもアメリカでも本として出版されることはないだろう。ただし日米関係が破綻したら、真っ先に出版されることは間違いない。
日本人は日本語の本を読んで、日本人風に理解して「そんなことは、知ってるよ」と平然と言えるように、この本を読んで準備しておかなければならない。でないと、弱り目に祟り目、孤立し衰弱している日本にとって、第三の原子爆弾にもなりかねない。
参照:仮定法過去完了


昭和天皇独白録 文藝春秋社 1991年ー終

2014年01月18日 10時51分04秒 | 保守の致命的怠慢
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昭和天皇独白録 文藝春秋社 1991年ー1、に「意外と「独白録」の存在を知らない人が多い。あるいは何かの理由で、保守によって、あって亡きもののように扱われていて、事実上の焚書にでもされているのだろうか」と書いているが、この本をこうして紹介したあとでも、この本を入手して読んでみようかなどと思ったひとは、ひとりいるかいないか、というところだったようだ。読まないからいつまでもワンパターン、お話じいさんの次元の「嘘の作り話」が延々と拡散され続けるのだ。
この本文にあるようなこと、英文の資料をあたっていると普通に何度も出会う、全部英文で既に読んだ記憶がある。あちこちに出ているのだ。GHQの記録にあり、既にあちらの新聞が報道した、天皇陛下のご発言、知らぬは日本人ばかりなり。欧米人と議論すると必ずこれを持ってくる。(ありもしない軍閥が)天皇陛下のご意志を踏みにじって領土拡大帝国主義戦争に暴走した軍閥が、いるではないか、そんなことも知らないのか、中国では関東軍が暴走したではないか、原爆のおかげで、敗戦してはじめて反省し、平和と民主主義を得たではないか、違うか?(挙げ句の果てには)南京や慰安婦だって、政府も民間人も心ある人は謝罪しているではないか?何?嘘?違う?聖戦?侵略戦争をアジアの解放だと?言い逃れする気か?とくる。そばに日本人がいると、その日本人も必ず欧米人の側にたって、頭がおかしいのではないか、反省というものをしらないのか、学校で勉強しなかったのか、とくる。
やれ武士道だ、やれ「海ゆかばだ」やれ「祖国のためにみごとこの命散らせてみせます」に感激して「やはり日本は偉大だ」などと酒に酔えるのも「居酒屋の宴会」なればこそ、仲間の内々なればこそ、と知るべきだ。「東京裁判なんて、あんなものはイカサマだって、みんな知ってるよ」「そうだ、そうだ」などといっても、そんなものは歴史認識の見直しにはなんのツッパリにもならない。「南京虐殺、そんなものはなかったと保守のあいだでは、すでに自明の理だ、定説だ」などといったところで、酔っぱらいの戯言以上の効力はない。これからクリスマスに忘年会、居酒屋の宴会保守はますます気勢を上げるだろう。そして焚書などしなくても、この本を手に取る人はほとんどいない状態が永遠に続くだろう。昔にくらぶれば保守勢力は確かに増えたが、歴史認識には四捨五入して70年、全く何の変化も改善も見られない。保守の近似値100%がこの本について議論することから完全遁走しているからだ。今回はTel Quel Japonからも遁走した保守が多かったので、ちょっと愚痴ってみた。

上の書籍と並行して読んでいただきたい資料。
参照:Saving the Throne
参照:Hirohito's struggle to surrender

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あなたの論破しなければならない相手は、さらにこういう教育を受けている。
1.フランスの歴史教科書
  フランスの歴史教科書 その後
  第二次世界大戦中の日本
2.田中上奏文
  田中上奏文(2)
  田中上奏文(3) 関連プロパガンダ映画3本
  田中上奏文(4) Homer Lea
3.The Tanaka Memorial
  Why We Fight: Prelude to War
  Why We Fight: The Battle of China
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月刊「WILL」の現代史見直しシリーズ、期待はできるが、ブレーキがかかって腰砕けになる不安もかなり大きい。年季の入った特に国家の上層部につながる本格派真正保守は、いまだに東京裁判を自分たちの力量の真価・成果そのものと心得ていて、証言者を探したり、資料を検証したり、すでにある歴史ストーリーの矛盾を突いたり、何人にも決してさせまいと強い決意を持っているからだ。彼らはパル判事さえも、鬱陶しい敵対者だと見ている。「WILL」も廃刊を覚悟で取り組まねばならないだろう。
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昭和天皇独白録、P.128。
「もし本土決戦となれば、敵は空挺部隊を東京に降下させ、大本営そのものが捕虜となることも考えられる。そうなれば、皇祖皇宗よりお預かりしている三種の神器も奪われることも予想される。それでは皇室も国体も護持し得ないことになる。もはや難を忍んで和を講ずるよりほかはないのではないか」
「伊勢と熱田の神器は結局自分の身辺に御移してお守りするのが一番良いと思う。・・・万一の場合には自分がお守りして運命をともにするほかはない」
終戦の決断が半年近くつけられなかった原因は、いかにして国体(3種の神器)を守るか、ということに尽きた。ソ連を仲介とする和平交渉が不発に終わった場合、しかも最悪の場合を想定して、天皇陛下は敗戦を決断された。いっぽう軍人はその使命は戦争に勝利すること、戦争が政治の延長であった時代、政治家にとっても、その究極の使命は戦争に勝利すること。天皇陛下の鶴の一声がなければ、彼らは永遠に敗戦を選択し得なかったに違いない。
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

独白録から遁走する必要などない。年季の入った特に国家の上層部につながる本格派真正保守も、この部分を盾とした理論を構築すれば「WILL」の「現代史見直し」に堂々と参戦できるのではないか。天皇陛下の靖国参拝も、9条の改正も、教科書の改正も、国家的誇りの回復も、乗り越えるべきものを乗り越えるための理論構築を怠り続ければ、あなたがたの夢は100年たっても夢のままで終わるしかない。それどころか、今のままではあなたがたはいつの日にか逆臣になるしかない。いつまでも見ざる言わざる聞かざるで、陛下の大御心の推移の襞を知ろうとしなければ、意見の乖離に気づく術もない。乗り越えるべき障害を目に入れもせず、何事もなかったように毎日お百度を踏んでいても、歴史は歪なまま固まってしまうだけだ。


資料を置く: 靖国、9条、

2013年12月30日 10時30分07秒 | 保守の致命的怠慢

天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (4)

2013年12月06日 10時43分48秒 | 政治・経済資料

B.Fellers Memo to MacArthur Oct 2 1945.pdf:
B.Fellers Hirohitos Struggle to Surrender Foreign Service July 1947:
ご自分で翻訳されることをお勧めする。これを何度も読んだが、各自が自分で読解しなければ意味がないと思う。光のあて方、紹介の仕方、に戸惑うばかりだ。長い文章だが、ほんの少しだけピックアップする。クリックして拡大していただきたい。

天皇陛下が最初に敗戦を意識されたのは1945年2月、この日からロシアを仲介とする交渉の試みが始まる。

昭和天皇が激怒される場面である。内容が内容なので訳す気にはなれない。

大本営会議の面々を信用できないと、天皇陛下が密かに、鈴木貫太郎に心の内を吐露されている。

降伏するを知らない御前会議の出席者たちを前に昭和天皇は、、「祖国を裏切ったもの」として暗殺されるかもしれないと用心せざるを得なかった、と。

3月の東京、横浜の空襲のあと、鈴木貫太郎の頑張りもあって、御前会議の面々も平和を求めてロシアに仲介を依頼することのアプローチに渋々仮の同意を表明した。
(終戦に関してはロシアへの仲介依頼以外の発議・発案はない。)

on his own initiative,とあるように対ソ交渉は昭和天皇の主導のもとに、天皇自らのご意志で進められた。御前会議における戦争続行派の軍部を抑えて、暗殺の危機さえ感じながら、対ソ交渉にリーダーシップを発揮される。世に言う天皇陛下のご聖断、ご決断である。

連合軍と連合軍の出してきた条件を信じる。それをありのまま受け入れたい、と。

有名な「阿南よ。もうよい。心配するな。私には確証がある。」などはなく、阿南が叫びながら膝歩きして天皇陛下にとりすがる姿には驚かされる。それに対し陛下はdisdainful movementを示されるのみ。

この部分だけ突出して、Fellersの意見注入が見え見え。敗戦を受け入れ、終戦となれば、もはや武器・武力とは無縁になる。そうすれば永遠の平和を享受できる国になるだろう、とは! 敗戦→終戦→平和、と言葉を変えて、この時点では新(平和)憲法もないのに「敗戦」をすでに「平和」という語とすり替えている。
敗戦の決断は二つの原爆だと言われてきたが、終戦交渉がこのように平和を愛する天皇陛下の対ソ交渉に全依存していたとなれば、「とことんまですがりついてきたソビエトに、土壇場で裏切られ満州侵略されて、もはやそこまでと思った」=「ソ連参戦が日本のポツダム宣言受諾を決定した」という
長谷川毅氏の新説に、軍配が上がって当然となるだろう。日本の歴史認識は行事差し違えの連続である。
ご聖断の「断」は有無を言わさぬソ連による怒涛の日本人虐殺、日本人レイプ、国土侵略によってもたらされたということがわかる。
3ペイジにCarte Blancheという言葉が見える。ソ連に終戦の仲介を依頼するために近衛がモスクワに出向くときに天皇陛下が近衛に持たそうとした降伏条件である。そうなっていれば。共産ソ連や共産中国に与して、国家消滅まで英米と交戦し続けた可能性も、否定できない。近衛派遣の電報を4日間も無視して、しかも無視したままでポツダム会議にStalinもMolotovも旅立った。今から思えばそれは不幸中の幸いだったと言えるのかもしれない。

参照としてTel Quel Japonから過去記事を4本挙げておく。
World War 2 Manchuria Battle 追記多数
対ソ終戦交渉という井戸堀り
放置した二つの謎 その後:
前々から納得できなかった対ソ終戦交渉:

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対ソ敗戦交渉とは何であったか。岡部伸
1945年6月22日 の呼応:ご聖断
鈴木貫太郎の6月22日:ご聖断
対ソ連携という幻想:
(Western Communications Intelligence)
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参照:戦争終結をめぐる日本の戦略:
 
対ソ工作を中心として 庄司 潤一郎
参照:東京裁判 アメリカの最大の目的 
参照:The Atomic Bombs and the Soviet Invasion: What Drove Japan’s Decision to Surrender? :Tsuyoshi HASEGAWA
参照:敗戦後の「国体」危機と宮中の対応


天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (3)

2013年11月08日 12時24分42秒 | 政治・経済資料

昭和天皇はこの時期の回想としてこのようなお言葉を残されている。
 "Now that the new constitution is in place, perhaps it was more fortunate for the people of Japan to have lost the war than to win and become a radical, militarist country."
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新憲法公布の詔書を朗読される天皇陛下音声
1946年11月3日 東京・帝国議会貴族院本会議場


施行は1947年5月3日 ↑
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天皇陛下の大御心
即位礼正殿の儀のおことば(平成2年11月12日)
天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)
上記のお言葉の元ペイジ Tel Quel Japon過去記事
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保守には越えられない断崖絶壁がある。反省して

思考停止のワンパターンをまずやめなければならない。


Tel Quel Japon過去記事
参照:どうする日本国憲法 連続大討論 (1):
改憲はクーデターしかない、と文人三島が絶望的判断をし、成功するにせよ失敗するにせよ、その行為は腹を切る「切腹」によってしか筋を通せない、という断崖絶壁的三島由紀夫の決意をどうして誰ひとり思い出さないのだろうか?彼らの様式美的自殺は自らに課した処刑以外の何ものでもない。
(敢えて逆賊となった三島由紀夫vs
核心を議論できない保守達の居酒屋の宴会↓↑)
参照:どうする日本国憲法 連続大討論 (2):
居酒屋の初恋談義、しゃべっている本人だけが聞き手を得て高揚する、という場面の連続である。居酒屋の鍋奉行は長谷川三千子氏。

参照:どうする日本国憲法 連続大討論 (3):
・・・・・・・・・

参照:日本国憲法 & SUSUMU OKANO (4)

"Now that the new constitution is in place, perhaps it was more fortunate for the people of Japan to have lost the war than to win and become a radical, militarist country."

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原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます
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昭和天皇はこの時期の回想としてこのようなお言葉を残されている。
"Now that the new constitution is in place, perhaps it was more fortunate for the people of Japan to have lost the war than to win and become a radical, militarist country."

 

殺された私は、こんな文言の下に眠ってなんかいません


天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (2)

2013年11月02日 16時37分54秒 | 政治・経済資料

SAVING THE THRONE:by Richard Holden
(以下は翻訳要約のみ、クリックしてご自身で読解されんことを!)

1.東京裁判

独白録は昭和天皇ご自身の敗北した戦争に関する、GHQ提出用のコメントである。身近な側近5名が書きとって役立てた後は、宮中の奥深くに秘蔵されて誰の目にも触れることはなかった。寺崎(5人の側近のひとり)の娘マリコが1990年、その内容を記した文章を亡き父の所持品の中から発見し出版するまで、存在そのものが忘れられていた(45年間も!)。
昭和天皇ご自身のお言葉を記したものなので当然日本語である。しかしGHQ提出用のものであるなら英語版があるはずだ。こちらはBonner Fellersの娘Nancyが持っていた。Fellersは大学で日本人学生渡辺ゆりと知り合って、日本に興味を持っていた。1945年8月30日、FellersはMacArthurと同じ飛行機で厚木に降り立った。MacArthurは早くもこの機上でFellersに日本国新憲法制定の構想を述べている。渡辺ゆりはFellersにGHQによる天皇訴追は、米軍による日本占領を不可能にするだろうと忠告した。昭和天皇は一回目はFellersに出迎えられ案内されMacCarthurとは35分間会談した。FellersはDean Achesonと親しかったがAchesonは天皇訴追派だった。1946年3月6日、Fellersは米内光政を呼んで相談した。この時の会話は米内の日記に記されている。F-「天皇の無罪を日本側が立証する必要がある」F-「東條に全責任を押し付けるのがいい。天皇の反対を押し切ってでも戦争したかった、と証言するように、東條に頼んでみてくれないか」Y-「よろしゅうございます」ーそれを牢獄の東條に伝えた弁護士によると、東條は「心配するなと米内に伝えてくれ。恥を忍んで生き延びているのも、その役割を果たしたいからだ」と答えた。東條は裁判で、先の戦争は自衛のための戦争であり国際法を破るような侵略戦争ではないと、日本の戦争の正当性を主張した。その勢いでふと「臣民は陛下のご意志に逆らうことは断じてしない」と口を滑らせてしまう。これでは天皇陛下は開戦に積極的な意思があったとみなされる可能性がある。再度弁護士に注意され「私の開戦の決断に陛下は渋々同意された」と再度の尋問で前言を翻す。この辺は映画「PRIDE」にも描かれている。
参照:Tel Quel Japon過去記事
参照:Bonner Fellers Emperor Visits and The Memo

2.Fellersと寺崎の出会い

Fellersは以前から天皇が犯罪者なら罪状は何になるのだろうか、(それを何を根拠に否定しようか)と考えていた。渡辺ゆりに意見を求めるだけでなく、日本側の事情を直に聞いてみようと、宮中の内情を知る人物、寺崎に近づく。寺崎の妻Gwenは偶然Fellersの親戚であることもわかる。Gwenは夫と娘と共に日米戦争に関わった数奇な体験を後の1957年にNorth Carolina大学出版部から「Bridge to the Sun」というタイトルで出版した。Fellersは寺崎を信用できる人物と見て質問をぶつけた。天皇無罪を立証するためには、日本側の証拠がいるのです。事実を調べるうちに、ひとつの疑問に突き当たったのです。終戦の決断は天皇陛下の最終決断で軍部の戦争継続派をねじ伏せた。まだ本土が侵略される前に、天皇の権力でご聖断が可能だとして、では何故、そもそも開戦、真珠湾を天皇は認め許されたのかと。寺崎はその質問を天皇陛下に伝えた。「それでは説明しよう」ということで、東京裁判を控えて、日本側の証拠として、昭和天皇独白録の聞き取り書き取りが始まった。開戦に至る過程として、第一次世界大戦以後の数々の国際平和協定・国際平和条約について。そこにおいて西欧諸国が日本のアジアの領土や日本の海軍力を削ろうと制約をかけてきたこと。彼らは人種平等の理念を持たず、カリフォルニアへの今まで許されていた日本人移民を理由なく拒否したのはその一例である。これは国民を怒らせるに充分な出来事だった。その怒りを背景に軍人たちは立ち上がった。もはやその勢い、怒りを止めるのは不可能だった。「立憲君主としては内閣の決定を認めざるを得ない立場にある。仮に開戦に対して拒否権を発動したと仮定しよう。国内は反乱・騒乱でひっくり返ったことだろう。信頼を置いている忠臣たちは殺され、私自身の命も危機にさらされたことだろう。仮にそうではなかったとしても、最終的にはいずれ壮絶な戦争は引き起こされ、現実の第二次世界大戦よりも遥かに悲惨な結果となったであろう。そうなれば、日本国は破壊されつくしただろう」
昭和天皇は寺崎に翻訳英語版を作ってそれを質問者であるFellersに与えるように命ぜられた。翻訳に際して寺崎は、人種平等の部分を削り、軍人に対する天皇陛下の権限の無力を強調した。NHKは日米両文を比較して、特に英文に強調されている部分があるのを知った。
「立憲君主として内閣の決定に従わなければならなかった。1941年11月、12月に拒否権を発すれば大混乱になって、信頼できる家臣たちは殺され、自らも殺されるか、誘拐されるかしただろう。事実、天皇は囚人のような立場であり、無力であった。もしこれを言わなければ、天皇の立場がどうであったかは、誰にも知られることはなかったであろう。逆らえば、よりひどい野蛮な戦いになっていただろう。何をどうしたところで、戦争を止める力は自分にはなかった」
東京裁判は3月3日に始まった。被告人リスト29名の中に昭和天皇の名前はなかった。こうしてMacArthurの占領政策における天皇利用が確保された。5月5日、前大統領Hooverが事実検証に来日した。Fellersが独白録の存在を告げると「その天皇の資料は今のアメリカ人の感情には効かない。もっと後でより役立つ時がくるだろう」ということで、米国内では伏される事になった。
Fellersは1946年末に一旦帰国、後に28年間の軍隊人生から引退した。しかし1948年終結間近の東京裁判の法廷で再び天皇陛下の退位問題が持ち上がった。連合国側のメディアがいまもってそれを要求していたからだ。Fellersはワシントンにもどり、7月、寺崎に警告を与える。
「天皇陛下の退位は米国の占領政策に打撃を与える。新生日本のために労をなした今までのことが、すべて無駄になる。そうなると共産ロシアの思う壺だ」
1948年11月12日、東京裁判終結。同日天皇陛下はMacArthurに「退位の意思なし」を伝える。天皇の戦争責任問題も幕となる。
Fellersは日本政府から1971年に外国人としては最高の勲章、(
勲二等瑞宝章the Order of the Sacred Treasure second degree)を授与される。外務省からの文書にはこう記載されている。「Bonner Fellers氏はGHQの役人として天皇陛下が戦争犯罪者として法廷立たされる危機から、お守りし、お救いした」
昭和天皇はこの時期の回想としてこのようなお言葉を残されている。
"Now that the new constitution is in place, perhaps it was more fortunate for the people of Japan to have lost the war than to win and become a radical, militarist country."


天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (1)

2013年11月02日 13時02分35秒 | 政治・経済資料

日本を救ったとされる物語
(語り)か、隠された真実か。

次ペイジに掲載します
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その他の資料

Found in Translation : History:
A Japanese diplomat's writings about Emperor Hirohito
fill in some blanks in World War II records.
 Read

○Gwen Terasaki collected her husband's diaries from her brother-in-law, Taira Terasaki.○Gordon Berger did the initial translations.
寺崎の日記は妻→娘Mariko→孫Cole→から
Gordon Bergerの手による翻訳に至った。何年もの年月のあとで。
writings fill in some blanks in World War II records
長年未開封とされた手記が
「第二次世界大戦の記録の空白を埋める」という見出しである。
Among Hidenari Terasaki's poems, sketches and musings about his family is the only known record of Emperor Hirohito's opinions on what started the war. And the documents have added to the historical debate over whether the emperor could have intervened to prevent the fighting.
(In interviews before his death in 1989, Hirohito said he was powerless to stop the conflict.)
この手記の歴史的価値は↑上に引用した部分にある

最近アメリカが日本向けのPropagandaとして発してきた映画
この約束を、この恩をわすれるなという発信だろうか?
映画「終戦のEMPEROR」
Gen. Douglas MacArthur and Gen Bonner Fellers
landing at Atsugi :


寺崎の妻Gwenが書いた彼女の自伝はハリウッド映画になっている。
映画:Bridge to the Sun:
寺崎とその妻がハリウッド映画の主人公たり得るのはGHQのWGIPに寺崎が大いに役立ったからだ。日本の敗戦後においても寺崎の評価は高い。WGIPがGHQと特定の日本人との共同創作であるからだ。
この映画関連記事
A Tenessee Woman in Wartime Japan

Mariko Terasaki Miller (寺崎の娘)to speak
at ETSU's December commencement :
November 29, 2000
In 1981, Mariko, a book by the well-known nonfiction writer Kunio Yanagida, was published in Japan. And, on Aug. 15 that year, the anniversary of the Japanese surrender, NHK (public) Television presented a three-hour docudrama about Miller and the experiences of the Terasaki family.
1981年には柳田邦雄著「マリコ」が発売されベストセラーとなる。(柳田邦男『マリコ』 新潮社 1980年、新潮文庫、1983年)同年8月15日、NHKが寺崎一家について3時間のドキュメンタリー風ドラマ番組を放送、日本中に大反響を呼び起こした。
Mariko Terasaki Miller
寺崎英成: wikipedia
暗号名はマリコマリコ・テラサキ・ミラー

Mrs. Miller discovered the monologue of Emperor Showa (Hirohito) among the papers and diaries of her father. The monologue was published in Japan in 1991, along with reminiscences jointly written by Mrs. Miller and Ko Shioya and passages from her father's diaries.
『昭和天皇独白録、寺崎英成御用掛日記』
1991年、文藝春秋
Wikipedia:
昭和天皇独白録 寺崎英成 御用掛日記
Blog参照1 & Blog参照2
1947年3月~4月にかけて、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道雄侍従次長、稲田周一内記部長、そして寺崎英成御用掛の5人の側近が、張作霖爆殺事件から終戦までの経緯を4日間計5回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたもの
In a Memoir, Hirohito Talks of Pearl Harbor:
日本の歴史学者たちは、たとえばルーズベルト陰謀論に一切耳を貸さない、OSSの資料やVenonaの情報にも一瞥さえ与えないのは、この一文があるためだろう。以下を否定できないのだ。
 if he had tried to stop the attack on Pearl Harbor in 1941, "it would have led to a coup d'etat" in which he likely would have been assassinated.
東京裁判史観も悪の枢軸論もこれで永遠に固定される、そしてアメリカは永遠に「Remember Pearl Harbor!」を自由自在に使いまわせるというわけだ。
OSSの資料やVenonaの情報を使えば、こんなことは今は簡単に否定できる。それでも歴史学者たちも論壇人も、そのチャレンジをしようともしない。何故か、彼らの爪の垢までもが自虐史観に犯されているからだ。彼らは気の毒なことに、南京や慰安婦で書物のペイジを埋めたりTV出演したりして生計を立て、愛国保守を名乗り、人気を博し票を取りあるものは政治家に転身したりしながら、腐って腐臭を発しているGHQとの捏造「バーター物語」をあくまでも隠蔽しつつ守り続けるつもりなのだ。彼ら(保守を名乗る者)は新しい資料を活かす術をしらない。
(時間がない!)

 


Emperor Hirohito on Localized Aggression in China 他

2013年10月30日 14時57分22秒 | 政治・経済資料

Emperor Hirohito on Localized Aggression in China

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2006/07/20   【共同通信】
昭和天皇の靖国神社参拝に関するメモ」発見、波紋広がる
「私は 或る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取 までもが」「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」
・・・・・・・・・・
日本経済新聞の特ダネとして発表された「富田メモ」について
各社が社説で取りあげた。その一部を紹介しよう。
参照:コメント10番目
そのほか司馬太遼太郎や石原慎太郎を名乗る方のコメント投稿もある。
様々な意見の中で、あなたはどの意見に最も賛同しますか?
参照:コメント12:
「このメモ」が公開された時、ボクは大変残念に思いましたね。
(私の知る限り、こう発言した保守は一人もいません。)

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天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
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中央日報「天皇は過去の戦争について反省している
天皇の百済学の指南役、上田正昭教授:
天皇は2001年12月に自身の誕生日の際の記者会見で、「桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫だったと続日本記に記録されており、韓国との縁を感じている」と述べた。古代日本の皇室と韓半島の血縁関係の可能性について天皇が言及したのは初めてだった。上田教授は「2001年の発言は準備された資料にあったものではなく、天皇が突然述べたもの」と明らかにした。宮内庁が反対するかもしれないと懸念して天皇が「爆弾宣言」を行ったと解釈できる。
(天皇陛下が「宮内庁が反対するかもしれない」「爆弾発言」を行った?)
(百済學の指南役?万世一系の初まりは?公式発言?どうする日本史!)

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American History 学校で教える基礎アメリカ史

2013年10月22日 23時29分51秒 | 政治・経済資料

American History - Part 155 -
Wilson - WWI - Hero in France - Peace
American History - Part 156 -
Wilson - WWI - Senate rejects Treaty
American History - Part 157 -
Wilson - Crippled - Treaty Rejected -
American History - Part 158 -
Harding - Cars, Radios, Prospersity

American History - Part 159
American History - Part 160
American History - Part 161