2日目は、胎内~山形経由~秋田男鹿半島の予定行程だ。
胎内から程近い村上市は、伝統的な鮭漁と加工の町だ!
家人も二回目の訪問なのだが、再訪希望もあり立ち寄った!!
比べるべきもないのだが??!!
景勝地笹川流れを経由しようと、ルート設定したが災害復旧が間に合わないらしく通行止!!
逆にこれが幸いして、鮭漁の簗場設置の情景を👀‼️
迂回して日本海海岸ルートを行く
笹川流れの景勝は車窓で撮影無く
山形 鶴岡、酒田の維新、薩摩のゆかりの史跡探訪を目指したのだが!!
山形の道の駅で見つけた伝統菓子に早速そのゆかりを見つけた!!
鹿児島出身の筆者には、薩摩伝統の灰汁巻とよく似たものと感じた。使用材料もほぼ同じだしお土産にとも思ったが今回は日程上諦めた。
後日ネットで起源を調べたら、以下の記述が有ったので紹介する。
また一説では、薩摩藩の関ヶ原の戦いや豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、干し飯よりも美味しく日持ちする兵糧として作られていたと言われる九州の「灰汁巻き」が、北前船で北上し笹巻きとなったともいわれています。
起源、ゆかりはともかく、鶴岡に入ったとたん目についたレストランに引かれた!!
折から昼食時で予約なしで入店できるわけもなく、1時間半待ちの間に予定の史跡 松ヶ丘開墾場へ
ここは、明治維新の史跡だ。
庄内藩は戊辰戦争で唯一敗戦しなかった旧幕府陣営、奥羽列藩同盟の一翼だ。一方戊辰戦争の契機となった、江戸薩摩藩邸焼き討ち事件を起こしたのも庄内藩兵だ。
この強兵を前にした懐柔が大きな理由なのだろうが、戦後の温情処置を下したのが薩摩西郷だ。
酒田には南洲神社があり西郷隆盛を祭ってあるし、松ヶ丘開墾場周辺の民家には今でも西郷の肖像が掲げられているそうなのである。
そしてここ松ヶ丘開墾場は維新新政府、西郷の肝いりで、無禄武士救済と殖産を目的に起こされた一大事業であった。
今は桑畑を含めた規模は縮小されているが、往時の資料によるといわゆるプランテーションだ。
予算外の出費と予定外の時間超過で、酒田南洲神社参拝と今夜の食料調達を省略して、秋田男鹿市のキャンプ場へ
テント設営してホッとしたのは6時半過ぎていた。食材は山形のJAスーパーで買い置いたものが奏功した。
何とか二日目も、過ごせそうだ。
相変わらずフェーン現象は治まらず、虫蚊の襲来に蚊取り線香必須であった。
ショットは、下段の方が良いです。撮影時
だけでもマスク外した方が良かったかも。
鶴岡のレストラン高価そうですね。
空いていたのではありませんか。