エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




ある山間の小学校で、傷んで使い物にならなくなった机や椅子が出ると、かならずひとりの漁師が引き取りに現れた。子供のように小柄だが、髪も、顔中に生やした髭も真っ白の老人だった。かなりの高齢のようだったが、麓の海岸から、小さな漁船をひとりで引っぱりがら山道を登って、校舎までやってくるのだ。そして廊下に船を係留し、授業中でもお構いなしに、教室後方の入り口から挨拶もせずに入ってくる。そして部屋の隅に置いてある、不要になった机や椅子を船に積むと、またそれを押して海岸へと帰って行った。

漁師は、二年ほど前から、ときどき学校にやってくるようになっていた。
生徒たちは、漁師が、椅子と机ばかりを、わざわざ山奥まで取りにくるのが奇妙で、鯨を捕まえる檻を作るのだとか、海底基地を作るのだとか、面白おかしく想像をふくらませるばかりで、誰も漁師に尋ねることはなかった。漁師はいつも何かしら機嫌が悪そうで、校舎にくるときも帰るときも仏頂面のまま、会釈ひとつしない男だったので、生徒たちが気後れして尋ねられなかったのだ。担任の教師も同じだったらしく「岸で何かに使うらしいよ」としか答えられなかった。

冬のある日の授業中、二脚の机を引き取りに、数か月ぶりに漁師が学校に姿を見せて、相変わらずの仏頂面で六年三組の教室に入ってきた。
教師は、生徒に背を向けて黒板に計算式を書きながら大声で説明をしていた。漁師が引っ張る漁船の船底板と廊下の床板とが発する、鳥肌が立つような摩擦音が近づいてくるころから、教師の声が大きくなり始め、船が停泊してからも、むきになったように、ほとんど怒鳴り声で話し続けていた。

このクラスの生徒のなかに、漁師が机と椅子を使って何をするのか気になってしかたがない少年がひとりいた。卒業が間近になった今、この機会を逃すと、もう漁師に会えないかもしれない、なんとかして今、話しかけられないものかと考えた。幸い最後列の席にいた彼は、暫くためらってから、黒板に向かっている教師と、自分のすぐ後ろで机を運ぼうとしている漁師を交互に見ながら席を立って、抜き足で漁師に近づき、やっと聞こえるような小さな声で、この椅子と机は何に使うのかを尋ねることに成功した。
漁師は机を抱え上げながら、こちらを見ようともせずに、独り言のように答えた。少年が初めて聞くその声は、か細く嗄れていて、そして柔和だった。
「岩場にゃ学校がない」
質問の答えになっていなかったが、少年は、いつも無愛想な漁師が自分の問いに反応してくれたのが嬉しく、また、その返答の意味が解らなかったが、なにやら有り難い言葉のように頭に残った。
 
寒さがいっそう厳しくなり、海風が身を切るようになった頃、漁師の言葉が気になっていたその少年は麓まで下り、切り立った岸壁の上の木立のなかでしゃがみ込んでいた。そこから首を突き出すと、遥か下の岩場に、あの漁師の船が係留してあるのが見えた。船は強風に煽られて玩具のように揺れていた。
そこは、漁港からはかなりはずれた所にあって人気もなく、入ってくる船もめったにない入江になっていた。しかし、漁師の船を中心に二十組ばかりの机と椅子が、その舳先を囲むように設えてあり、教室のような体裁をなしていた。ごつごつした大小の岩の上に置いてあるので、なかには転げ落ちそうなほど傾いている机もあった。

そして、教室には十匹ほどのペンギンのような生き物が、不規則な間隔で着席していた。寒さをしのぐために着膨れして丸丸と太った人たちが、黒っぽい雨合羽を着ているので、少年の位置からはペンギンのように見えたのだ。
しかし、そのなかにあの漁師がいるのかどうかは判らなかった。
ペンギンたちは、机の上にあるノートらしいものを、風に飛ばされないように両手で押さえている。舳先には教師らしいペンギンが立っていて、何か懸命に話しているようなのだが、離れているうえに強風で、こちらにはまったく聞こえてこなかった。

この日は時化で、高波に気をつけるようにという役場からの通達も出ていた。そのため水面の上り下がりも大きく、舳先にいた教師ペンギンは何度も海に落ちそうにながら話さなければならなかった。

雨が降り始め、海も次第に荒れがひどくなった。打ち寄せる波もだんだん高くなり、ペンギンたちは全身に水を被りながら授業を受けていた。当然ノートなんか、使い物にならなくなっていたはずだ。しかし彼らが必死に机と岩にしがみついて授業を受けていたのが、離れていてもよく伝わった。
少年は、自分が安穏とした環境にいて、学ぼうという情熱もなく学校に通わせてもらっていることを考えると、申し訳ない気持と、恥ずかしい気持でいたたまれなくなった。

少年がそんな気持と寒風に耐えられず、家に帰ろうと山道を戻りかけたときだった。遠くの海が、それまでよりほんの少し高く盛り上がったと思ったら、岸で巨大な熊手を振り上げ、ペンギンたちと教室と船の上に振り下ろした。
熊手が掻き取った後の海岸には、さっきまでそこに教室があったことを示すものは何も残っていなかった。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



« 複合動詞 陸地の砂漠化... »
 
コメント
 
 
 
Unknown (X)
2008-02-23 14:07:19
パラレルワールドから甦った星新一って感じですね。

♪おふくろさんよ~おふくろさん~

それは森進一でした。
 
 
 
もう (永吉克之)
2008-02-23 14:24:06
どなたのコメントか、わずか37分で判りました。

「♪」をつけて歌にするなどの特質から明らかです。

では、正体を明かしましょう。それはXさんですねっ!
 
 
 
Unknown (X)
2008-02-25 22:56:56
世を忍ぶ仮の姿のままでいたかったものを、正体を明かしておしまいになるとは・・・。ワタクシ、もう月へ帰らせていただきます。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。