エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




仏道の修行者が悟りに達するまでに経験する思念の発展段階は、大きく五つに分けることができる。

【観念】
真理を悟って仏陀にろうと、修行をする決心を固めた段階。

【阿観念】
さまざまな迷いが生まれ、やはり私はだめなのだろうかという挫折感に悩まされ始める段階。

【難出耶念】
さらに迷いが強くなり、なぜこんな辛い修行をしてまで悟らなければならないのか、と激しく自問している段階。

【那仁有転念】
迷いが熾盛になるが、迷っている自分に対して、何を言っているのだ、と叱り励ますもうひとりの自分が現れる。この段階の最終段階「耶羅那阿観念」に到ると、迷いが消えて確信が生まれ、それを行動に移すことができるようになる。

【素希耶念】
迷いから完全に脱し、嫌悪の情を去り、あらゆるものを愛することが、即ち仏陀そのものであるという真理を悟る。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
じゃあ (くう)
2006-04-27 22:09:41
これからラーメンでも食べます。
 
 
 
それは (永吉克之)
2006-04-28 00:10:19
ある程度の年齢以上の関西人しか解りまへんで、あんさん。
 
 
 
Unknown (神崎詞音)
2006-04-29 00:33:11
そうなんですか?

ラーメン・・・わからない。



フツー、1~4の前段階を行ったりきたり、になりますね。これ。

「調子こいてイイ気になる」と、出直しになるパターンが圧倒的ですね。

 
 
 
私は (永吉克之)
2006-04-29 15:14:20
3段階目のうちの「妄阿叡念」で挫折しました。

この段階では「矛理耶念」「真度意念」などに悩まされます。

 
 
 
Unknown (Jules)
2006-05-02 19:29:04
これって仏道以外のコトにも相通じる点があるような気がしました。

昔、曲作りに勤しんでいた頃、こういう階段を登っていくような感じでした。



仏道の悟りとは比較できないとは思いますが、階段(段階)を経験したことはよかったと素直に思えます。



 
 
 
そうなんです (永吉克之)
2006-05-04 00:55:49
釈尊の言われたことは、特別なことではありません。ごく当たり前のことを言っているだけなんです。ただ、われわれがその当たり前のことを実行できないだけのことなんです。

 
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