エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 阿部サダヲ主演の映画『謝罪の王様』を観ていたら、駅のホームで、《人身事故》により電車の到着が遅れていることを謝罪するアナウンスが流れるシーンがあった。

 ああ、やっぱり東京でも謝るんだな、大阪から百三十里も離れた東京でも事情は同じなんだな。じゃ、これはもう全国的に謝ってるんだな、と思って、《謝罪》を今回のコラムのネタにすることにした。映画の方はどうでもいい。


「〇〇駅で起こりました人身事故の影響で、電車の到着が遅れておりますことをお詫びいたします」

 駅で電車待ちをしているときに、こんな構内アナウンスが流れることがたまにある。たまに、というか最近けっこうあるような気がする。

 鉄道での《人身事故》が自殺とは限らない。しかし構内アナウンスを聞いて、酔っぱらいがホームから転落したとか、スマホに気を取られて足を踏み外したとかいった憶測をするよりも、まず投身自殺を頭に浮かべる人の方が多いのではなかろうかと思う。

 無残な最期を遂げたことであろう。しかし、たとえば朝一でお得意様との商談が待っているような乗客なら、どこの誰かもわからない人間が自殺に追いこまれなければならなかった事情を忖度して冥福を祈るほどの仏心を発揮する余裕はない。

「なんてこった。よりによって俺が乗る時間帯に自殺しなくったっていいじゃないか。それに路線なんかほかにいくらでもあるんだから、そっちでやれよ」

 このあたりが、焦っている乗客が抱く正直な気持ちだろう(憶測)。


 自殺か事故かはどうでもいいのだが、私は先日、人身事故による電車の延着を詫びるアナウンスがどうにも腹に据えかねて、駅長室に怒鳴り込みにいった。

「自殺は電鉄会社のせいやないんやから、あんたが謝らんでもええやないか! それにあんたら、大雨とかで遅れても謝るやろ。あんたらが雨降らしとるんか? ラッシュの時もそうや。車内がたいへん混み合いましてご迷惑をおかけしております、とかゆうて謝っとる。自殺した奴とか混んだ電車に乗ってくる奴に謝らせたれや……とゆうわけにもいかんやろな。それに、誰かがスイマセンを言わんと、イライラ待ってる客も気持ちが治まらんやろ。まあ、結局あんたらが謝るしかないか。しかし駅員も大変やな。自分たちの落度でもないのに、気の短い客から、いつまで待たせんねん、とか詰め寄られて。まあこれからも乗客の安全のために粉骨砕身してくれたまえ」

 と、勝手に納得して駅長室を後にした。


 私はドメスティック男なので、海外の事情は知らない。だから、これは日本だけではないのかもしれないが、謝罪を意味する言葉が必ずしも、過ちを認めることにはならないのは、ご存知の通り。

 謝意を表す代表的な言葉が《すい(み)ません》と《ごめんなさい》。

 焼き肉屋で注文をするのに、「すいません、ハラミを2人前」なんて言うのは日本だけだろうか。「ごめん、こっちビールね」なんて言う場合もある。

 なんの罪も落度もない市井の民が、しかも店の売り上げに貢献しようとしているのに、謝罪するのは日本だけだろうか。

 亜米利加の焼肉屋で注文をする時、"I'm sorry, harami for two" と言うのだろうか。たぶん言わないだろう。なにしろ謝ったほうが負けの国で、そんなことを言ったら、「ハラミを注文するときに謝って罪を認めたから」ということで、焼肉店側が訴訟を有利に進めることは間違いないからだ。

(注)客がハラミを注文するときに謝ったからといって裁判沙汰になることは、なんぼ亜米利加でも起こりえないだろうから、安心して渡米してください。


 また、例えば相撲中継の終了間際に、実況のアナウンサーから、
「本日の解説には元横綱の〇〇親方においでいただきました。親方、どうもありがとうございました」と言われて、〇〇親方が

「失礼しました」

 と返すのを聞くと、ある種の危機感を抱く。

《失礼しました》は悠久の昔から使われていた正しい謙譲表現なのだが、私はこの《失礼しました》が、《~させていただく》同様、敬語の増強競争に発展することを危惧するものである。

 敬語の増強の実例。《食べる》の尊敬語は《召し上がる》だけで充分なのに、それに慣れてしまって「敬意感」(造語)が薄れたのか、どことなく失礼な気すらしてくる。そこでさらに丁寧に、《お召し上がりになる》に増強されているが、とりあえず正しい日本語だからいい。

 しかし、それでもまだ何か足りないような気がしてか、「お召し上がりになられます」なんてくどい敬語が実際に使われ始めている。この調子では、《お召し上がりにおなりになられます》なんてミュータント敬語が出現するのに、そう時間はかからないだろう。

 これの何がけしからんかというと、本来はヘビー級だった《召し上がる》の重みを感じさせなくなってしまったことである。だから、その上にスーパーヘビー級の《お召し上がりになる》を設置しなければならなくなった。しかしそれも、年月を経て萎み始めると、こんどはエクストラ・スーパー・ヘビー級の《お召し上がりにおなりになられます》を設置しなきゃならなくなるのである。もう悪夢だ。

 近い将来、「あそこの店員、《なにを召し上がりますか?》とか抜かしやがんねん。ほんま口のきき方知らんガキや。ドタマきたから店で暴れたった」なーんてことになりかねない。

 これも一種の日本語破壊だが、できるだけ丁寧な言い方をしようという気持ちから出ているのだろうから、なんとも悩ましいところであるが、結局は、学校や家庭での日本語教育に帰される問題なのかもしれない。


《失礼しました》に話を戻すが、失礼どころか相撲を興味深く観るのに貢献しているのだから、これ以上、へりくだらないでいただきたい。
 そのうち《失礼しました》では、謙譲が足りないような気がしてきて、《申し訳ありませんでした》に増強され、さらに強力に……

「本日の解説は元横綱の〇〇親方においでいただきました。親方、どうもありがとうございました」
「私が悪うございました」

 なんてことにならないように、敬語の暴走には警戒しておかなければならない。


 話を面白くするためには不都合な真実はすべて無視する、という永吉流の作法から、あえて言及を避けたが、日本国民をミスリードするわけにはいかないので、ちょっとまともなことを付け加えておく。

《感謝》も《謝罪》もともに《謝》が入っている。この字を用いた《謝する》という言葉がある。

▼しゃ・する【謝する】

1. あやまる。わびる。「失礼を―・する」
2. 感謝する。礼を言う。「厚意に―・する」

――【大辞泉】より抜粋

 詫びることと礼を言うことは、われわれ日本人の心のなかで微妙に溶け合っているようだ。


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