自由民主党 柏市議会議員・円谷のりひと 公式ブログ

千葉県柏市議会議員 円谷のりひとの議会・活動報告、政策提言など。記事には政治活動以外の内容(雑記)も含まれます。

30歳の誕生日。20年、30年後も責任を持てる政治を。

2011年06月22日 23時40分07秒 | 政治・議会活動
 いきなり私事だが、本日6月22日で30歳になった。友人知人からは、「ついに30代だね」などと言われたりするが、人生80年(90でもおかしくない)時代、先はまだまだ長い。
 これを政治の世界でいうならば。40年、50年後に生きている可能性が高いわれわれが、責任を持って未来をつくらなくてはならないということだ。ベテランにはベテランの知恵と経験がある。しかし、ベテラン議員より、われわれの方が長く生きる。だから、若い政治家の責任は、より重い。簡単なことである。
子供たちへより良い世の中を引き継ぐ責任。自分たちが安心して暮らせる社会をつくっておく責任。自分たちでやらなくてどうする。
 初当選も難しい新人がこんなことを言ってはしかられるかもしれない。でも、引退するときに「お疲れ様です」といってもらうためには、その責任を負い続ける覚悟が必要なのだ。そんなことを考えた、30代最初の夜である。

情報発信力の強化を 柏市の放射能量に関する見解

2011年06月14日 23時53分55秒 | 政治・議会活動
 本日、とある市民から「柏市における放射能対策案はありますか」という質問をいただいた。現状では私も一市民であり、行政の一員としてのお答えはできないが、市議に立候補を予定しているものとして精一杯お答えしたいと思う。

 私は福島出身である。原発からは60キロから70キロ距離があり、深刻な被害こそないが、母も一時埼玉に避難するなど、放射能の問題は人事ではない。しかしながら、「放射能量を下げる」ことは、福島第一原発の安全確保が第一条件であり、自治体レベルでは不可能だ。そうなると、市政においてできることは、市民の不安を取り除くことだろう。

 そこでまず、前提として市の発表を信じるか信じないかという問題がある。市は数値に関して高めであるとしながらも、「問題なし」としている。国立がんセンターや東大といったしかるべき機関が測定し、専門家の見解を聞いての発表は、地に足の着いたものである。私は信用に足りると考えている。

 それにもかかわらず、市民が不安を感じている理由は、柏市が他地域よりも放射能数値が高い「ホットスポット」といわていることだ。また、マスコミでも取り上げられた一般の方が独自に測定した数値が非常に高かったことも一因である。

 この原因として、市の広報力の足りなさが挙げられる。独自測定した一般の方の発信する情報の方が、市の情報より広範囲に流布し、しかもショッキングであったら、市民が「柏って危ないんじゃないか?」と思うのは当然だ。ゆえに、現状ではまず「状況の伝わる」公表の徹底が必要である。「誰々が測定し、誰々の見解がこうですから安心ですよ」という情報を、ホームページの片隅ではなく、積極的に公表していく。あるいはテレビやラジオを使うことも手段のひとつだ。
 私の経歴はフリーのライターからスポーツ系の編集記者とメディア畑。その経験を生かし、行政の情報発信力の強化に努めていきたいと思う。

 その上で定期的な観測を続けていく。安全な数値を示し続けることは、安心につながる。また、万が一への備えにもなる。同時に、講習会を開くなど、個人レベルでできることを啓蒙していくことも大切だろう。
 単純ではあるが、現段階での柏市の行政でできることは、こうした地道な取り組みに尽きると考えている。

よみがえる記憶 東洋大、全日本選手権2連覇

2011年06月12日 21時48分19秒 | 野球(ライター時代の記事)
 12日、第60回全日本大学野球選手権が幕を閉じた。結果は、わが母校・東洋大が史上5校目の2連覇を達成。慶大に延長10回、小田裕也のサヨナラ2ランで3-1での勝利と東洋大らしい劇的な幕切れだった。

 小田といえば一昨年の春、東都リーグ・立正大2回戦の記憶が鮮明によみがえる。当時2年生だった小田は、途中出場。2対2の延長12回、満塁の場面で放ったどん詰まりのサードゴロがサヨナラ内野安打となった。あの時は本人も「運がよかった」と照れ笑い。しかし、今度は胸を張っていい。なんといってもフェンスオーバーだ。

 エース・藤岡貴裕は、同じく2年生の春シーズンを花粉症による不振で苦しんでいた。それが昨年は大学日本代表の先発の一角を担い、いまやアマチュアナンバー1左腕の呼び声高い。主将・鈴木大地も同様に、1年生のときから勝負強さに磨きをかけ、小柄ながら東都屈指の強打者と呼ばれるようになった。

 私が大野奨太(現北海道日本ハム)の取材で神宮球場に通っていたころ、彼らは大学に入りたてのグリーンボーイだった。だが、いまは最上級生として先輩たちが残した“常勝”の伝統を守った。いつも「大学野球はやっぱり4年生」と語っていた高橋昭雄監督も、きっと彼らの成長に目を細めていることだろう。
 
かくいう私も、思わず「取材に行きたかったな」ともらしてしまった。後輩たちの活躍に感動と刺激をもらった。そして、硬い神宮のいすの感触、ブラスバンドの音色、スコアブックのインクのにおい、そして魂を込めてキーボードをたたいた日々――。いろいろなことを思い出した1日だった。