自由民主党 柏市議会議員・円谷のりひと 公式ブログ

千葉県柏市議会議員 円谷のりひとの議会・活動報告、政策提言など。記事には政治活動以外の内容(雑記)も含まれます。

感動~ナビスコ杯準々決勝・鹿島アントラーズvsサンフレッチェ広島~

2007年07月16日 03時46分38秒 | サッカー(ライター時代の記事)
前半の途中、記者席は大混乱に陥った。
台風4号接近によるあまりの強風に、あちらこちらで資料のプリントが舞った。
かくいう筆者も、缶コーヒーを入れた紙コップが風で飛ばされ(倒れたのではなく、飛ばされたのだ!)、ノート一冊をダメにした。
ほとんど丸々一本分が入っていたにもかかわらず、ふわっと空中を舞い、ひっくり返ってしまったのである。

そればかりか、風で霧状になった雨も容赦なく襲いかかる。
いくらぬぐっても霧雨がメガネを濡らす悪天候は、これまでの取材経験から編み出した「円谷流雨天セット」を用意してきた私の想定を完全に超越していた。

そんな悪条件の理由を、記者席がスタンドの最上段にあるという構造的な問題に押しつけるのは簡単だ。
だが、だからといってそれ以外のスタンドがまったく大丈夫だったのかといえば、そんなはずはない。
この日のゲームが台風直下で行われた試合であることは確かなのだから。

朝からひっきりなしに台風情報が流れるような天気にも負けず、スタジアムには8千人の観衆が集った。
カシマスタジアムの収容人数は4万人。
それを考えると「わずか」と感じるかもしれないが、そう決めつけるべきではない。

確かに数字の上では収容人数の4分の1にも届いていない。
だが飛行機や新幹線はおろか、在来線も動いていない状況での試合である。
アウェイサポーターの動員は当然見込めないし、そもそも警報が出るような暴風暴雨のなかサッカー観戦に出かける人が、どれくらいいるだろう。
おそらく、よほどのサッカー好きかあるいは若輩のフリーライターくらいなのではないか。

そんな状況にもかかわらず、鹿島のゴール裏が真っ赤に染まった。
アウェイで0-1の敗戦を喫してむかえたナビスコ杯準々決勝第2戦。
アントラーズの12番目の選手たちの存在感は最後まで衰えなかった。

主審が笛を吹くまでは。自分の脚が動く限り。
選手たちをそう鼓舞するべく、ゴール裏からの歌声は、耐えることなく鳴り響く。
まるで、雨雲を追い払うかのように。

広島サポーターだって負けてはいない。
どうサバをよんでも50人しかいないような少数精鋭だが、彼らは叫び続けた。

なぜ?
建て前でも偽りでも、一応中立の立場で試合を見ようとする記者の目には、その姿はあまりにも健気に映る。
アジア杯で佐藤、駒野の2枚看板を欠き、若手のホープたちはU-20での激戦を終えたばかり。
それでも彼らは、サンフッレチェの勝ち抜けを期待しているのである。

これが、Jリーグ15年の歴史だ。
誰もが自分がサポートするクラブを心の底から応援しているのだ。
たとえそれが開催すら危ぶまれるような状況だったとしても、それは変らない。

それを目の当たりしたこの試合に限っては、選手や監督のコメントも、試合経過のリポートも必要ない。
そこには、アントラーズを信じるパワーがあった。
サンフレッチェに託す想いがあった。
カシマには、サッカーを愛するサポーターがいた。

それを報告することが、その場にいたサッカーライターとしての責務だと私は思う。
今日は自信を持って言おう。
「代表戦は燃える。海外サッカーも面白い。だけど、Jだって捨てたものじゃない」と――。

邂逅~三浦知良の4年前~

2007年07月06日 09時55分19秒 | サッカー(ライター時代の記事)
アジアカップのため中断期間に入ったJ1リーグ戦。
横浜FCは合宿前の小休止に入りました。
その休暇を利用して、キング・カズはアメリカにバカンスに出かけたそうです。
MLSの見学にも行くとのことで、保養先でもサッカーから離れられない人なんだなあ、と思いました。

そのカズ選手について書いた、過去の文章を見つけました。
4年前の03年に当時のブログに載せたものです。

「そこにカズがいるということ」でも書いたように、
抜群の存在感を発揮しているカズ選手ですが、このころは…。
今との状況の違い、そのなかに見える変らない「芯」のようなもの。
その対比が面白いな、と思ったので掲載したいと思います。

仮名遣いを変えた以外は原文のままです。
アマチュア時代の文章なので、お見苦しい点はご容赦を。


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ドーハの悲劇。
93年10月28日。
それまでで日本がもっともW杯に近づいた日。

アジア予選最終戦、対イラク。
時計は後半の45分を回っている。
あと数10秒守りきれば、世界への切符が手に入る。

しかし、サッカーの神様はこうおっしゃった。
「日本にW杯はまだ早い」。

あれから10年。
サッカーの神様が与えた試練を乗り越えるかのように、日本サッカーは1段ぬかし、いや2、3段単位で階段を駆け上がってきた。

マイアミでブラジルを破ったアトランタ五輪。
悲劇を振り払ったジョホールバル。
そして、昨年の日韓大会での躍進。

ドーハでの出来事は遠い昔のおとぎ話になりつつある。
今は世界を意識するのは当然のこと。
そういう時代になったのだ。

だが、彼が帰ってきた当時はちがった。
ブラジルの名門・サントスでプロデビュー、キンゼ・デ・ジャウーを経ての読売サッカークラブ入団。
キングと呼ばれる男の凱旋だ。

彼の第一声は「日本をW杯に連れて行く」だった。
言葉通り、カズが代表の中心になるのにそう時間はかからなかった。

オフトジャパンの発足、Jリーグ開幕。
さらにはアジアチャンピオン。
風は吹いていた。
キングが日本を世界に連れて行ってくれる。
誰もがそう信じた。

だが、つかみかけた夢はすり抜けるようにこぼれ落ちていった。
ピッチにいた誰もが泣いた。

時代は流れ、みんな少しだけ歳をとった。
井原正巳、福田正博、北沢豪…。
キングとともに戦場に立った兵(つわもの)達が次々にスパイクを脱いでいく。

カズにも昔の面影はない。
最盛期のキレもパワーもなくなった。
点をとるのが当たり前だったころとはもうちがう。

最近ではベンチを外れることも多くなった。
それでもかつて日本の象徴だった男は死んでいない。
5月10の浦和戦。実に9か月ぶりの復活ゴール。
やっぱりカズにはゴールシーンがよく似合う。

36歳のベテランは衰えている。
たった一つの得点がニュースになってしまう。
以前なら考えられなかった。

“ブラジル人よりうまいウイング”であり、日本最高のストライカーだったのは過去のこと。
W杯の夢は叶いそうにもない。

それでも彼はピッチに向かう。
「フィジカルが強くなればまだよくなると思う。これからもがんばる」。
あくなき向上心とひたむきな姿勢。
頭には白髪が増えたけれど、サッカーへの情熱は今も変わらない。

日本で一番栄光の光を受け、同じくらい辛酸をなめてきた男。
サッカーの神様は、キングが王冠を脱ぐことを、未だ許していない。

新時代の夜明け~日本陸上選手権~

2007年07月01日 21時15分19秒 | 陸上(ライター時代の記事)
大阪世界陸上を控えていることもあり、例年以上の注目を集めた今年の日本選手権。
結果は有力選手が前評判通りの結果を残す順当なものであった。
なかでも末續、為末、室伏、それに福士や池田といった世界大会常連組はさすがのひと言。
調整過程にもかかわらず、つまずくような気配はまったくなし。
ここではレベルが違うといわんばかりの強さを見せた。

大きな番狂わせがあったわけでもなく、超新星が現れたわけでもない。
だのになにが新時代なのか。
それは、出場選手の所属先にあるチーム名が目立ったことである。

そのチーム名とは、新潟アルビレックス。
アルビレックスはJリーグクラブをはじめ、バスケットボールや野球チームも抱える総合スポーツクラブの陸上チームだ。

これまで、陸上といえば学生か実業団と相場が決まっていた。
しかも、実業団陸上は斜陽といっていい。
特に駅伝やマラソンにつながらない短距離、フィールドは廃部になることも多く、
教員にでもならない限り大学卒業後の競技続行は難しくなっている。

そんな時代に逆行するように登場したのがアルビレックスである。
今大会、アルビレックス勢は、エース格の久保倉は女子400メートルハードルで優勝、平地の400メートルでも2位となった。
さらに女子1500メートルで太田が9位に入るなど、確かな足跡を残した。
今後もこうした活躍が続けば、陸上を続けるための選択肢として、新たな道が開けるかもしれない。

そして、願わくばしっかりと取材し、ひとつの記事にしてみたいと思う。
私は野球を愛し、サッカーを日常としている。
だが、もう一度高校時代に戻れたとしたら、私はもう一度陸上競技部の門をたたくだろう。
それは青春に対する郷愁ではなく、陸上競技というスポーツにそれだけの魅力があるからだ。

クラブチームという新しい競技生活の道。
それが確立されるかどうかは、アルビレックスの今後にかかっているといっても過言ではない。
ライターとして、元陸上選手として。
その行く末に注目したい。