自由民主党 柏市議会議員・円谷のりひと 公式ブログ

千葉県柏市議会議員 円谷のりひとの議会・活動報告、政策提言など。記事には政治活動以外の内容(雑記)も含まれます。

選手層の差が分けた勝敗 越えられない壁=全日本大学野球選手権・第6日(決勝)

2009年06月15日 02時27分30秒 | 野球(ライター時代の記事)
【決勝 法政大 5-1 富士大】

「東海大、近畿大、それにうち……こういう流れの選手権なのかなあ」
 準々決勝で敗れた東洋大・高橋昭雄監督がつぶやいたように、優勝候補が次々に消えていった今大会。ほかに東北福祉大も初戦で敗れた。今大会を一言で表すなら、「波乱」という言葉がぴったりだ。
 しかし、14日の決勝に波乱はなかった。戦前に挙げられた有力校のなかで唯一順調に勝ち上がった法政大(東京六大学)が、エース・守安玲緒(4年=菊華高)を中心に快進撃を続けてきた富士大(北東北大学)を退け、14ぶりの頂点に立った。

 法政大を勝利に導いたのは、2番手でマウンドに上がった二神一人(4年=高知高)だ。6回、0対1とビハインドの場面で登板。「リーグ戦ではないことですけど、こういう(トーナメントの)大会だから関係ない。初回からでも行くつもりだった」と語る右腕は、150キロ近い直球を主体に、富士大打線を牛耳った。
「とにかく流れを持ってこようと思っていました。うちの打線も抑えられてるけど、こういう試合はワンチャンスで流れが変わる」
 味方を信じていた。相手の攻撃時間を短くし、流れを持ってこようと速いテンポで投げようと心がけた。そして、終盤、その“流れ”がやってきた。

 8回、亀谷信吾(4年=中京大中京高)の犠飛で追いつくと、9回も無死一、二塁のチャンスをつくる。ここで打席には5番の佐々木陽(3年=作新学院高)だったが、初球バントがファウルになる。すると、金光興二監督はすかさず大八木誠也(3年=平安高)を代打起用。ここは当然、送りバントだろう。誰もがそう思った。
 だが、大八木は金光監督にある進言をしていた。
「もし、(内野手が)突っ込んできたら、バスターしてもいいですか」
 
 この場面、富士大の青木久典監督は「バスターは頭になかった」という。そして、マウンド上の守安はバントと決め付けたわけではなかったと言いながらも、どこかで油断があった。「相手は初球ですし、外そうかどうか迷ったんですけど……」というストレートは、迷った分だけ甘く入り、大八木のバスターの餌食となった。右中間への見事なタイムリー二塁打だ。結局、この1点が決勝点となった。

 連投で疲れの見えるエースを2番手に待機させた法政大。「守安がいたおかげでここまでこれた。代える気はなかった」(青木監督)と準決勝まで4戦3完投の投手を使い続けるしかなった富士大。代打で起用された選手が、見事な判断とバッティングを見せた法政大。9回を終え、1人の選手交代もしなかった富士大。選手層の厚さが優勝と準優勝を分けたのである。波乱が多かった今大会、中央と地方の差は縮まっていることを実感させたれた。しかし、それでも超えられない壁を決勝で見た思いだった。
 
◇ ◇

 試合後の表彰式の様子を急いで付け加えておく。「準優勝、富士大学」のアナウンスがあると、スタンドから大きな拍手と歓声が上がった。この日、神宮に訪れた大学野球ファンは、今大会の富士大の活躍を、忘れないだろう。

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富士大の“すげえ”選手たちと涙の指揮官=全日本大学野球選手権・第5日(準決勝)

2009年06月14日 01時03分16秒 | 野球(ライター時代の記事)
【準決勝 富士大 2-0 創価大】

 9回、ジエゴ・フランサ(4年=八王子実践高)のミットにボールが収まった瞬間、青木久典監督の目に涙が溢れた。男泣きだった。一戦一戦、たくましさをます選手たちに、「お前ら、すげえぞ」という気持ちを抑え切れなかった。

 誰もが予想しなかった決勝進出だ。前日12日、近畿大(関西学生)から金星を挙げた。その勢いは認めても、ここまで全試合で勝ち星のエース・守安玲緒(4年=菊華高)が疲労しているのは明らかだった。少しでも体力を温存しようとしているのか、攻撃の間のキャッチボールもほとんどが山なり。果たして投げ切れるのか……。

 そんな心配をよそに、守安の好投は続いた。低めの変化球が、面白いように決まる。ストレートも自己最速の145キロを計測した。終わってみれば、散発3安打の完封勝利。文句なしの投球だった。
 これには創価大(東京新大学)・岸雅司監督も脱帽だ。5回から4連投となる大塚豊(4年=創価高)を使ったのは、「(守安に)エースが出てきたから、追加点はもらえないぞと思わせたかった」から。攻撃だけでなく、守備でも揺さぶりをかけたが、守安はその戦略のさらに上を行く投球を見せたのだ。「浮き足立って、余分な四球とかを出してくれると思ったんですが、たいしたもんだ」と相手指揮官も絶賛だった。

 涙を流す青木監督を、ナインは「何泣いてんすか! まだ早いですよ」とたしなめた。そう、まだ決勝が残っている。相手は、青木監督の母校・法政大(東京六大学)だ。
「法大の4年間があるから、今の自分がある」
 学生時代は、同期の稲葉篤紀(現・北海道日本ハム)らとともに多くを学んだ。その恩返しは、勝つことにほかならない。
「選手の力を引き出してやることが、自分の仕事だと思っています」と語る指揮官は、“すげえ”選手たちの歓喜の輪を見ながら、本当の男泣きをすることだろう。

夢は遼遠 東洋大、散る=全日本大学野球選手権・第4日

2009年06月13日 02時52分09秒 | 野球(ライター時代の記事)
【準々決勝 東洋大 5-6 創価大】

 夢の4季連続日本一が儚く散った。「(東都)リーグの意地を懸けて、というのもあったんですけど。相手の執念が勝りましたね」と創価大(東京新大学)を称えた指揮官は、「鹿沼(圭祐・3年=桐生一高)、乾(真大・3年=東洋大姫路高)、それにキャッチャーの佐藤(貴穂・3年=春日部共栄高)も最後まで出た。負けて得た物といえば、そういう経験です」と、継続中のリーグ連覇に向けて収穫を口にした。しかし、それは努めてプラス思考に転じようとしただけのようだ。短い公式取材時間のなかで、何度も「悔しい」という言葉が口をついた。

 敗因は、自慢の投手陣が崩れたことだ。先発の乾が2回もたずにKO。試合前、「暑いのは苦手なんですよね」と顔をしかめていた不安が的中してしまった。前日11日の九州共立大(福岡六大学)戦では、絶対的な信頼を寄せ先発に起用した鹿沼がピリッとせず、この日ために温存するはずだった乾のリリーフを仰いだ。狂った歯車を修正するには、時間が足りなすぎた。

 それでも打線の奮起でなんとか創価大に食らいつく。そこには、“戦国”東都リーグを勝ち上がってきたチームの強さがあった。鋭いスイングで好投手・大塚豊(4年=創価高)から5点を奪った。
 しかし、同点で迎えた8回が分岐点だった。1死二塁の場面でマウンドに向かった高橋監督は、「鹿沼は限界だ」と思っていた。それでも交代はしなかった。「あそこから藤岡(貴裕・2年、桐生一高)でもよかった。でも、鹿沼が『大丈夫』と言うから続投させた」と話す。
「これまで鹿沼に頼って勝ってきた。それなら、ここは賭けてみようと。打たれたのは責めることはでません。監督の責任です」

 高橋監督は、1回戦後に言っていた。
「(鹿沼には)やっぱり疲れがある。春のキャンプで腰を痛めて、2週間くらい出遅れてるからね。そのつけが今出ている」
 不調に気づいていても、最後までエースの負けん気を信じた。人情家の高橋監督らしいさい配だった。打たれた鹿沼は、悔しさを押し殺しながら「大塚さんは決め球が豊富だった。自分ももっと球種を増やしたい」と相手先発を称えた。そして、「(負けたことで)秋はまたチャレンジャーとして臨むことができる」と一からの出直しを誓った。

「ごめんね、弱くて」
 今季も取材に応じてくれたお礼を言った筆者に、高橋監督は申し訳なさそうに謝った。まだ30にもならない一介の記者に、還暦を過ぎた大学野球界きっての名物監督がこともなげにこんなセリフを言う。だから、このチームは応援したくなる。そして、勝ち続けるという夢は、なんと遼遠なものなのかと、思い知らされた。
 中立が前提の取材者がこんなことを言ってはいけないのかもしれない。けれど、敗戦の苦味は「ああ、おれはこの監督に魅せられているのだな」と、筆者に教えてくれた。 

創価大・大塚、最後の選手権に懸ける思い=全日本大学野球選手権・第3日

2009年06月12日 02時06分08秒 | 野球(ライター時代の記事)
【2回戦 創価大 4-1 東北福祉大】

 そのスケールは一回りも二回りも大きくなっていた。創価大(東京新大学)・大塚豊(4年=創価高)が東北の雄・東北福祉大(仙台六大学)を黙らせた。高校時代から磨きをかけ続けたフォークボールは、記者席から見ても「打てないな」と思わせるものだった。5安打1失点で前日の広島経済大(広島六大学)戦に続く無四球完投勝利。安定感抜群の投球は、まさにエースと呼ぶにふさわしかった。

「同じ相手に2度は負けられない」
 昨秋の神宮大会で敗れた相手に、リベンジを期してのマウンドだった。半年前に打たれた相手を抑えられたのは、冬場のハードなトレーニングのたまものだ。
「ケガを恐れずに投げこみました。あとはランニング中心の練習です」
 伝家の宝刀のフォークを生かすために、ストレートを磨くことに専念した。そして、「キレが増して、ストレートでも勝負できるように」なった。

 いくらフォークが良くても、それ以外の球種が並みのボールなら、全国では通用しない。しかし、今の大塚は打者の狙いによって決め球を変えることができる。それが「コントロール重視で、打たせて取るタイプ」と自ら語る大塚にもかかわらず、10奪三振を奪う快投につながった。

 この日の投球に岸雅司監督は「八木(智哉・現北海道日本ハム)を思い出した」と言う。2005年、この全日本選手権で5連投。1大会最多奪三振(49個)の記録もつくった創価大史上に残る大エースを引き合いにした最大級の賛辞である。さらに「(八木を)越えろと言っている」と更なる期待をかけている。
 
 1年生のときから投げ続けて、今回が4度目の全日本選手権。1、2年時にはいずれも4強まで進出した。だが、その頃は「結果を気にせずに全力でやればそれでよかった(大塚)」
 それでは、今は――。
「4年生になって、全員で戦ってる感じがする。今が一番楽しい。このチームで勝ちたい。日本一になりたい」
 
 悲願の日本一へ、「疲れたなんて言ってられない」と八木さながらの連投も辞さない構えの大塚。岸監督も「エースたるもの、疲れたなんて言ってられない。本人もいくつもりでしょう」と明日もマウンドを託すつもりだ。
 最後の全日本選手権、創価大が誇る背番号18が完全燃焼する。

「投げなくてもいい」“ミスターノーヒッター”が選んだ道=全日本大学野球選手権・第2日

2009年06月11日 00時55分41秒 | 野球(ライター時代の記事)
【1回戦 九州共立大 10対9 国際武道大】

 九州共立大(福岡六大学)の“ミスターノーヒッター”山内晴貴(4年=沖縄水産高)にとって、全日本選手権は鬼門のようだ。前回大会、山内は1回戦の上武大戦に先発。しかし、4回に5点、5回に3点を奪われ敗戦投手になった。そして今年は、まったく自分の投球ができないまま、2回途中2失点で降板という不甲斐ないマウンドだった。

 思うようなピッチングができなかったことには理由がある。実は山内は、右のわき腹を肉離れしていたのだ。負傷したのはこの1回戦を10後に控えた5月31日。紅白戦の最中の出来事だった。

 当初は、「ジョギングするだけで痛かった(山内)」というほどの重症。キャッチボールもままならず、もちろん本格的な投球練習もできなかった。それでも仲里清監督は、山内に先発を任せた。それは、「山内でリーグ戦を戦ってきた」というエースへの信頼からだった。
 
 事実、 今春のリーグ戦で山内は、自身2度目のノーヒットノーランを含む5勝(ほかにも延長戦で打たれはしたものの、9回を無安打に抑えた試合もあった)と大車輪の活躍を見せていた。しかし、国際武道大(千葉県大学)だって厳しいリーグ戦を勝ち抜いてきたチームである。いくらプロが注目するほどの実力者・山内でも、手負いの状態で抑えられるほど甘い相手ではなかった。2回、北圭介(4年=福岡工大城東高)のヒットを足がかりに、あっという間に2点を奪い山内を引きずり下ろした。

「思うようなボールが行かなかった」
 試合後、ダッグアウトに姿を見せた山内は、そう言って肩を落とした。しかし、試合は大乱打戦を制して勝利。「リーグ戦で頼りっぱなしだったから、みんなが恩返ししたのかな(仲里監督)」というほどの猛打で、初戦突破を果たした。

 次戦は11日、王者・東洋大との対戦だ。最後の全日本選手権。投げたくないはずはない。だが、
「自分では行きたい気持ちがあります。でも、(けがをしている自分が)出ないほうが勝てるなら、それでかまいません。監督には(チームとって)ベストのさい配をしてほしい」と山内は言う。

 もちろん、投げろ言われれば、たとえ傷が痛んでも全力を尽くすつもりだ。反対に、チームに迷惑をかけるくらいなら投げないほうがいいと達観した気持ちもある。とにかく、チームが勝てるように――。山内はマウンドに立っても立たなくても、自分にできることをただただ、やり続ける。

ドラフト候補がセンス見せ付ける 「道は間違っていなかった」=全日本大学野球選手権・初日 

2009年06月10日 01時06分58秒 | 野球(ライター時代の記事)
【1回戦 九州国際大 3-1 東海大北海道キャンパス】

 九州国際大(九州六大学)が誇る安打製造機が、その非凡な打撃センスを見せ付けた。5回裏、2死一、二塁の場面で迎えた第3打席。東海大北海道キャンパスのエース・久保貴広(4年=前橋育英高)が投じた4球目を捕らえると、打球はあっという間にセンター前へ。絵に描いたようなクリーンヒットの球足の速さは、1-2というスタートが切りやすいカウントにもかかわらず、二塁ランナーが早々に本塁突入を諦めるほどだった。

 加藤政義(4年=東北高)。名門・東北高で1年夏からレギュラーを奪取した逸材で、甲子園出場は実に4度を数える。1学年上にはあのダルビッシュ有(北海道日本ハム)がいる。その東北高時の若生正広元監督が2005年、九州国際大付高の監督に就任すると、加藤もそれに追随するかのように九州国際大への進学を決めた。

 大学進学すると、1年春からいきなりレギュラーとなるも、「なかなか結果が出なかった(加藤)」。2年の春にはリーグ優勝を達成し、全日本選手権に出場。kのときのことを本人は「先輩に連れて来てもらったようなものだった」と振り返る。
 しかし、今回は違う。春のリーグ戦の成績は、打率4割6分3厘、本塁打3。首位打者と本最多本塁打の2冠を獲得した。もちろん、MVPにも選ばれた。「結果が出てうれしい。4年生になって、プレーで引っ張るという心がけが結果につながった。それが成長だと思う」と胸を張って全国の舞台に帰ってきた。
「東京に(有力選手が)集まる中、九州を選んで神宮に来れた。道は間違ってなかったと思う」
 感慨深げに語る姿が印象的だった。

 もちろん、加藤はこれで満足したわけではない。「勝ち進めば自分のいいプレーも自然と生まれる。チームの勝利が最優先です」と主将らしい言葉で必勝を誓う。2年前は、2回戦敗退。今年は「優勝が最終目標」と頂点を見据えている。

 目標とする選手は、東京ヤクルトの青木宣親だという。この秋のドラフトでは、おそらく加藤の獲得に名乗りを挙げる球団があるだろう。そして何年か後には、その類まれな野球センスを武器に、青木とリーディングヒッターを争う選手になっているかもしれない。