seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

働きやすさとは何だろう

2024-01-13 | ノート
わが国の企業業績が長期停滞し、新規性に富んだチャレンジングな研究や製品開発部門も元気を失っていると言われてすでに久しい。その現実を目の当たりにして最も苦闘しているのは現場の人たちだろう。

成功し業績も利益も上げているといわれる他の企業や地域の真似をすればそのとおりに成功するという道理などどこにもないというのは分かりきったことではあるのだが、いまや独り負けの状況にあるわが国の状況を省みて、他の国や地域がどんな工夫をしているのかとふと考えてしまう。
そんな時につい思い浮かべてしまうのが米国カリフォルニアにあるシリコンバレーである。



シリコンバレーという地域の名称を耳にしてまず想起するのが、数々のIT企業をはじめとする多くの新興企業や技術系のグローバル企業、研究所や大学、ベンチャー・キャピタル等が集積している場所ということであり、その地域性による世界最大級のネットワークが存在するとともに、それらの強力なネットワークを活用した共創による事業を積極的に展開しているということである。
いわばこの地域では産業の「クラスター」が形成されているのだ。
クリエイティブ産業に関連する企業や組織・機関が「クラスター=ぶどうの房」のように集積し、それぞれが強力なライバルでありながら、必要に応じて協力し合い、ともに発展してゆくのである。

ついでに補足すれば、シリコンバレーの特色は、人材・ブレインパワーの圧倒的な多様性にあると言われる。
都市自体は人口290万人ほどの規模でさほど多くはないようなのだが、そのシリコンバレーには、世界中からイノベーティブでリスクを取る元気な人々が集まってくるのである。

シリコンバレーは圧倒的な人材の多様性をキープしているが、それは人の循環があるからだという。世界中の元気のいい人々が常に循環しているから、新たな組み合わせが常に生まれる。
新しい知識を獲得し、誰も思いつかなかったようなアイデアを生むのに一人では限界がある。それは多様な人々が交ざり合い、刺激し合うことによる相乗効果によって生まれる。違った考えの多様な人々がいて初めて大きなイノベーションは起こるのである。

さて、そうしたシリコンバレーにも危機は訪れる。
とりわけ、2019年12月初旬に中国武漢市で第1例目の感染者が報告されてからわずか数ヶ月のうちに世界的な流行を引き起こした新型コロナウイルスは、重大な危機的要因となった。
新型コロナウイルスによるパンデミックは、多様な人々が特定の場所に集積し、競争・協力しながら新たなアイデアを生み出すことを阻害するものとなったのだ。
さらに、2016年の大統領選に勝利し、第45代アメリカ合衆国大統領となったドナルド・トランプが進めようとした政策は、多様なルーツを持つ海外からの優れた人材が米国内に流入する道に制限を加え、時には排除することをも是としかねないものだった。

まさに孤立と分断が大きな障壁となって立ちはだかったのである。

このかつてない危機的状況において、シリコンバレーはもとより世界中の企業が必要に迫られ、やむなく導入したのが「テレワーク」による業務の遂行であった。
ただそれだけのことかと訝しく思われる向きもあるかも知れないが、この「テレワーク」は、多くの人を自宅から職場までの遠い距離を通勤することに伴う長時間のロスと肉体的な疲労や苦痛から解放し、その時間を必要な知識、スキルの習得やより生産的な作業に振り向けることを可能にしたのである。
さらにオンライン会議の浸透により、地理的空間的な障壁を乗り越え、自宅やオフィスなど、自由な場所にいながら、出張先の外国や地球の裏側にいる人たちとも同じ時間に会議や打合せを行い、業務上の課題を即座に共有することができるようになったのだ。

これらのことは、働き方の概念を根本から変革する契機となり、「労働」という軛からの解放とともに、従来型の雇用関係にも大きなパラダイムシフトを生み出すのではないかと思われた。
さらに、パンデミックの間にも大きく進化と拡張を果たしつつあるAIや2022年11月に公開されたChatGPTなどとも相俟って、より革新的なアイデアを生み出す手法が開拓されるのではないかと期待されたのだ。

しかしながら「テレワーク」の活用を契機として様々なテクノロジーの発展が働く個人にとっても、組織や社会にとっても山積する課題解決につながるものとなるには、まだまだ多くの時間を要すると思われる。

シリコンバレーにおいても、多くの企業が社員に対し週に3日以上は出社することを求めはじめているという。やはりクリエイティブなアイデアを生み出すためには、人が直接対面しての交流やコミュニケーションが不可欠だということなのだろうか。
一方で、かつての多様性がすでに失われつつあるという気になる話も耳にする。

それでは翻って、わが国の場合はどうなのだろう。
現状は迷走と模索のただ中にあるとしか言えないようである。
「テレワーク」の普及によって、社員が家賃の高い都心部のビルに集まる必要はなくなったとして、本社機能を地方の工場が立地する場所に移転する企業も出てきている。
一方で従来の働き方が有効であるとして軸足を「テレワーク」からオフィスワークに戻す例も多いようだ。現に通勤時間帯の電車の混雑具合はほぼコロナ以前の状況と変わらないという実感がある。

状況は何ら変革されることはなかったのだ。

それ以上に根深い問題なのは、わが国の働き方改革が労働者のためにも顧客のためにも有効に機能していないということなのだ。
そこに蔓延しているのは社員や顧客の利益を無視しても組織を存続させ、既得権益を守ろうとする意識であり、そのためにはデータの改竄や隠蔽をも是とし、不正をも見逃そうとする体質であり、その無理を通すために跋扈する人権を顧みないパワーハラスメントやモラルハラスメントの常態化である。

真に働きやすい労働環境を整備・構築するとともに、人々にとっての新たな価値を創出し、生活の利便性や幸福度を最大化するための、より効果的で創造的なアイデアを生み出すための方法、道筋を私たちはどのように見出すことができるのだろうか。



記憶と捏造

2023-03-24 | ノート
昨年秋口から今年に入って2月中旬までの4か月間ほど、必要があって昔仕事で関わったあるプロジェクトのスタートから数年間の経緯を私なりの視点で書き残すという作業にかかりきりになっていた。
具体的に言うと、豊島区の西巣鴨にあった中学校跡施設を文化芸術の創造拠点として転用した《にしすがも創造舎》をNPO法人の人たちと協働で立ち上げた経緯を関係者の一人という立場で書くという作業である。
《にしすがも創造舎》そのものは2016年12月に惜しまれながらも12年間の活動に幕を下ろしてしまったのだが、その歴史的意義や影響も含め、どのように課題やアクシデントを乗り越えながら事業を進めていったかを記録として残すことには大きな意味があると思ったのだった。

問題はその立ち上げに取りかかったのがもう18年も昔のことで、細部の記憶が曖昧になっている部分が思いのほか多いということだった。
強烈な印象とともにはっきりと覚えている出来事もあれば、ぼんやりとしてはっきりしないこともあり、それこそまだら模様の記憶なのである。
そうした時に頼りになったのが公式の会議に提出した資料であり、さらにはそれを補完する手帳のメモや組織内で情報共有するために私が書き残しておいた議事録の類なのである。
むしろ公式のものよりも、メモ書きのようなものの方が記憶を喚起され、当時の胸の高まりや不安のようなものまでを含めて臨場感を持って呼び起こされるように感じ、大いに役立ったように思う。

しかし、それらはあくまで個人的なメモ書きでしかなく、それの正確性や真実性を証明する手立てはないのだ。
昨今話題の放送法の解釈変更に係わる総務省の行政文書同様に、それを捏造された記憶であると言い張る人が現れた場合、それを反証することはなかなか難しいと言わざるを得ないのである。

今回私が書き残した文章はあくまで一担当者の視点から書く、という前提付きだから良いようなものの、別の人々がそれぞれの立場や視点からまったく異なった物語を書くこともまた可能なのである。それを否定することは誰にも出来ないのだ。

人の数だけ思い出はあり、人の数だけ真実がある。
極論してしまえば記憶は捏造されるものなのである。

であるならば、すでに幕を下ろしてしまったはずのそのプロジェクトの事業の数々が、まだまだ活発に継続しているさまを想像することなど実に容易なことではないだろうか。
10年後あるいは20年後に私の捏造された妄想がいつの間にか真実に変容して歴史に刻まれていることもまたあり得ることなのだ、と私は一人ほくそ笑むのである。


映画を倍速で観るということ

2022-11-05 | ノート
映画を早送りで観る人たちが増えているそうだ。
ずばりそのもののタイトルの新書が話題を集めているという記事を何か月か前の新聞で読んだのだが、ことほどさように映画を1.5倍速や2倍速で視聴する人が増えているということなのだ。

そうした人たちの中には、映画やドラマの結末に関係なさそうな会話部分を飛ばしたり、事前にネタバレサイトなどをチェックしておいて重要な場面だけを部分的に見たりする人もいるらしい。

そう言われれば、ネットで不正投稿されている(らしい)のだが、1本の映画を解説とあらすじを20分間くらいの短縮動画にして紹介しているものがあって私もうっかり見てしまったことがある。著作権法上問題があるだけでなく、これを見てしまうともう本編を観なくても観たような気分になるという点で害悪としか言いようがない。

ここでキーワードになるのが「コストパフォーマンス」であり、時間を重要視する「タイムパフォーマンス」であるという。
昨今のお金にも時間にも余裕がない生活環境の先に、早送りという効率主義が広がったということなのだ。

しかし、映画は「時間芸術」という言い方があるように、作り手は冒頭から終わりまで1分1秒もゆるがせにせず、計算を尽くして映像を作っている。それを勝手に改編したり、省略したり、速度を変えて視聴するのは作品に対する冒涜でしかないだろう。

だが、それ以上に怖いのは、こうした鑑賞方法が当たり前になっていく風潮の中で、映画やドラマの制作者が逆影響を受けて、作品の質そのものが変わっていってしまうことだ。
このテンポじゃゆっくりし過ぎて視聴者が退屈するとか、よく練られたショットも余計だからカットしてもっと事件やアクションを増やそう、といった感じで視、聴者におもねった作品づくりが跋扈していってしまう。
これはとても恐ろしいことではないだろうか。

映画は作られたとおりの速度で、出来れば映画館で鑑賞するのが望ましい、芝居は配信や録画ではなく生の舞台で観劇するのが望ましいというのが、一応の本稿の結論なのだが、ここで少し逆張りになりそうなことを考えてみよう。
そんなこと、似たようなことはこれまでにも散々行われて来たのではないかという視点で考えてみるのだ。

例えば音楽でいえば、ポップスや歌謡曲のサビの部分だけを聴いたり、イントロだけ、あるいは歌詞の一番だけを聴いて次々に曲を変えて楽しむというやり方はありがちな方法だ。
クラシック音楽でもアダージョ楽章だけを集めたものや、第二楽章だけを収録したCDが売られていたりする。クラシックバレエの音楽の名場面集なんてものも一般的だろう。

歌舞伎でも通し狂言を上演するのではなく、忠臣蔵ならそのうちの人気のある場面だけを上演し、他の演目や舞踊と組み合わせて見せるのもごく一般的である。これは浪曲や落語でも行われている。

また文学の世界でも、詩集でいえば、いろいろな詩集からいくつかの作品をピックアップして編纂したものがある。
長編小説ではプルーストの「失われた時を求めて」のような長大な作品を抄訳という形で部分訳とあらすじ・解説を組み合わせて読ませる方法も昔からあるようだ。

出来るだけ多くの本を読むための「速読術」なるものがビジネスパーソンにとって必要なスキルとして認知されているのも、タイムパフォーマンスを重要視する現代の価値観においては当然のことなのだろう。

このようにいかに時間をかけず、手っ取り早く楽しむという方法は昔から様々に工夫されて現在に至っていると言えるのではないだろうか。
好むと好まざるに関わらず、技術の進歩や価値観の変化に伴って、芸術作品の楽しみ方も変化せざるを得ないのかも知れない。
生まれ落ちた時から片手にスマホを持ち、サブスクで音楽や映画を楽しむのが当たり前という世代が大人になる頃には、今では想像も出来ない鑑賞方法が一般化しているのだろう。

さて、ここでひとつ最後に触れておきたいのが、能楽についてである。

ご存知のとおり、能楽は今から600年も昔に世阿弥をはじめとする能楽師によって大成された舞台芸術であるが、その草創期の室町時代には今のような幽玄で荘厳な、ゆったりとしたテンポで謡われるものとはまるで違っていたと言われる。
猿楽や曲芸のようなものをルーツに持つ能楽は、その昔にはもっとテンポよく、時には観衆の笑いを呼ぶようなものであったらしい。

それがある時期、おそらくは徳川時代を境として忽然と上演形態が変わってしまったらしいのだ。
その理由がその時代の要請であったのかどうか、様々な理由があるのだろうが、現代の単にタイムパフォーマンスを重視する考えとは逆行する変化があったという事実は実に興味深いものと思えるのだ。


つながるもの

2022-03-10 | ノート
 水辺を歩く。久しく見上げることもなかった空はどこまでも広がって、あの空ともつながっているのだ。つらく困難で厳しい冬の戦いに耐え忍ぶ人たちのことを考える。祈る。



 この川も海も空も、それを見るこの私も、孤絶しては存在しない。みな何かとつながっているのだ。否応なくつながる紐帯は人を束縛し、監視し、抑圧し、時に憎しみすら生むのだが、そのつながりなしに生きてはいけない。
 その息苦しさを嫌悪し、憎悪し、唾棄し、忌避しようとしながら依存しないではいられず、逃れることのできない「つながり≒しがらみ」、それが《絆》と呼ばれることもあるのだろう。

 人を結びつけるそのか細い糸を遡った先の先に過去の「私≒私たち」がいて、父と母とその母たちがいて、流れていくその向こうに未来の「私≒私たち」がいる。



 遠い昔、私の父は戦いのあとに抑留された極寒のシベリアから海を渡ってこの国に帰り着き、母は終戦の混乱のなかを、生まれ育った異国の都市から、着の身着のまま海を越えて祖父母のふる里の村にやって来た。
 船に揺られ、波しぶきを掻いくぐり、交差するはずのない糸が偶然と因果の悪ふざけによって絡まり合い、そして私が生まれた。
 それが僥倖なのか奇禍なのかは問わないが、この国に暮らし、あの国の人々と同じ地球に生きることの意味は問われなければならないだろう。
 時を超え、空間を飛び越えて、あの時代と今、この場所と戦火の街はつながっているのだ。

 人々を傷つけ、縛りつけ、殺戮と絶望をもたらすあらゆるものを断ち切って、思いやりと慈しみによってむすばれる安らかな夜の訪れることをただ祈る。

水辺を散歩

2022-03-01 | ノート
 私の家から、かつての日光御成街道岩淵宿のあった場所までは徒歩15分ほどの距離で、さらに荒川と隅田川が分岐する旧岩淵水門まで行って帰ってくると約一時間、6千歩ほどとなって散歩にはうってつけである。瀬戸内の海辺に生まれ育った私にとってこうした水のある場所で過ごす時間はとても心地よく、かけがえのないものだ。



 ある日、隅田川の支流である新河岸川の上をたくさんのカモメが飛び交い、土佐日記にあるように、「今し、かもめ群れゐて遊ぶところあり」という風情だった。橋の欄干に群れをなして止まっているのを見て、慌ててカメラを向けたのだったが、みな一斉に飛び立ってしまい、写っていたのは置いてきぼりをくって何とも頼りなさそうな一羽だけなのだった。
 少しユーモラスな顔つきに見えなくもないのだけれど、チェーホフの「かもめ」に出てくるトレープレフに撃ち落されて剝製にされてしまったカモメのようでもあり、そうなると様相は一変する。女優とはなったものの夢破れたニーナの悲痛な「わたしはカモメ……」という叫びが聞こえてきそうで、この画像に残ったカモメに何だか同情したくもなってくるのだ。



 そのカモメを写真に撮った場所から上流に数百メートル遡ったここは岩淵の渡船場跡である。源義経が奥州から兄頼朝のもとに参じる途次、ここを通ったとある。ちょうど今、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描かれている時代だ。
 800年以上も昔のこととなれば伝説と化してロマンを纏うのだろうが、結局は己らのために相手方を討ち果たそうとする妄執であり、我執なのだ。現代の他国を侵略しようとする独裁者の夢と何も変わらない。そんなことを考えた。


歩いてゆく poetry note No.12

2021-10-06 | ノート
 雑草の生い茂った水辺を散策しながら草いきれのうちに身をゆだねたり、木洩れ日のなかを歩き、樹々をわたる風の音や鳥の鳴き声に耳をすませたりするのと同様に、都市のさまざまな建造物を眺めやり、明滅する光を浴びつつ街の雑踏を歩くことや、人の群れにまぎれてあてどもなく彷徨うことに不思議な安らぎを感じるのは何故だろう。
 息づく自然や動植物の営みと無機質なコンクリートや鉄の固まりといった、一見対極にあると思われがちなそれらの内側には、ある種の共通する波動やリズム、ゆらぎのようなものがあって、それが親和性のある形状の相似となって私たちに居心地の良さを与えているのだろうか。

 「芸術は自然を模倣する」と言ったアリストテレスに対し、オスカー・ワイルドの言った「自然は芸術を模倣する」という言葉はあまりに有名だが、いつしか私たちは自然の本来の姿を見失ってしまい、人の手になる建築や造営物、芸術が新たに見出した「美」を通してしか自然の美を感知できなくなっているのかも知れない。

 そんなことをぼんやりと考えながら私は歩いていたのだ。



 私の頤は船の舳先だ ぐいと突き上げ 背を反らし
 波を切り裂くように 人の群れを漕ぎ分けてゆく
 立ちはだかる闇と霧に向かって 少しずつ 少しずつ 歩いてゆく
 そうすることでしか胸にわだかまる影の消えることはない
 そうすることでしか目の前の黒々としたものの
 何であるかを知ることはないのだと 独り言ちながら





 自然がつくり出す紋様と 人の手によって作られた形がリズムを刻む
 それは波動となって空気をふるわせる そのゆらぎに囚われたのか
 あるいは安息の場所を見つけたという錯覚に目が眩んだのか
 のがれようのない心地よさが わたしの目を蓋い 耳を塞ぎ
 静かな眠りへと引きずり込んでゆく


台風の日

2021-10-06 | ノート
 わくら葉の季節は過ぎて 秋台風のざざめく日

 遠くけぶるビルの輪郭を淡く染め雨かぜの白く疾くざんざめく



 とある事情から都内の病院に一週間ほど入院することになった。いわゆる検査入院なのだが、今回懸念されることとなった病気が、従前から治療を続けているものに由来するものなのか、あるいは別のものなのかを特定するために当該臓器の組織の一部を切除して調べる必要が生じたのである。
 全身麻酔による手術自体はあっという間のことで、それこそ手術台に横たわり、気がついたら終わっていたというくらいの間隔だったのだが、その後の始末の方が厄介だった。点滴の針や導尿カテーテル、酸素マスク、血栓予防のために下半身をマッサージする器具などが装着され、身動きのままならない状態で一昼夜を過ごすのだ。
 その翌日は飲食も可能で歩行することも出来るのだが、船酔いを催したような感じで胃がムカムカし、血の気も引いて気持ちの悪いことこのうえない。
 ちょうどそんな時に台風が日本列島を直撃し、強い風雨が吹き荒れた。
 私のいる高層にある病室からはその風圧や雨量を体感することは出来ないのだが、窓を打つ雨が滝のようになって流れ落ち、街並みの風景を歪ませるのをぼんやりと頼りない意識の中で見ていたのだった。
 巨大な大気の変動と私の身体の中の微細な細胞の変化がどこかでつながっているような思いに捉われながら。



 夜になると関東地方は台風圏域から離れ、雨も止んだようだ。水に洗われた空気を通してあざやかな夜景が目に映る。この厖大な光の一つ一つに人々の人生があり、物語があるというのはいかにもありきたりの感慨でしかないが、高い場所から俯瞰して見るというのはそうした単純な客観視をもたらすのかも知れない。
 チャップリンは「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言ったそうだが、ここで言うロングショットが単純な客観視を意味するのでないことは明らかだ。そこには自在に多様な視点からものを《見る》という意志と意図がある。身動きもならず漫然と高い場所から見下ろすばかりの姿勢とはまったく異なるものなのである。



 翌朝、窓ガラスにカメムシのような昆虫がこびりついていた。こんな高いところになぜやって来たのかは分からないのだが、あるいは早く地べたに下りて来いよと私を誘いに来たのかも知れない。


眠る顔と本性

2021-07-15 | ノート
「寝顔にはよくその人の本性が現れると言うね。あれ、なぜなんだろう……?」
 と、ある人から聞かれて、さあ、どうしてかなあ、と言って、姿勢を正すように背を伸ばしながら、つまりそれはね……、などとそれらしいことを思いつくままに口にしている。少しばかり気負って演技論を交えようとして、かえって話は混乱してしまったようなのだが……。

 本性が現れるという言い方は、化けの皮が剥がれるとかいうように、露悪的な意味合いで使われることが多いよね。でも、眠っている時に現れる本性というのは、その人が本来持っている一番無垢な、生まれ持っている素の部分が出てくるということなんだろうな。凶悪な殺人者の寝顔が生まれたばかりの赤ん坊のようだというのはよく耳にすることだけど、あり得ない話じゃない……。
 
 ところで、人は言葉を覚えるように、言葉遣いや表情、しぐさといったものを自分の親や周りの大人たちを真似ながら習得していく……、と、これは誰かの受け売りか、あるいは聞きかじっただけの根拠のない通説に過ぎない、と自分で自分に突っ込みを入れながら話を止めることが出来ない。
 ……それは善悪の判断や価値観といったものにも及んで、結局人は与えられたり、自分で選び取ったと思い込んでいる環境の中で、誰かの影響を受けまくりながら自我を形成していくんだ、本来持っていたはずの自分というものを見失いながら。《俳優》というのはその典型かも知れないな。

 俳優は役作りのために、古典的な所作や型、様式といった枠を自分にはめ込んだり、舞台や映画で見た俳優の台詞回しや動きを模倣したり、バイト先や電車の中といった日常生活で観察して写し取ったあらゆるものを自分の身体に取り込みながら割り振られた役というものを作り上げていく。そうして様々な材料を積み重ねれば積み重ねるほど、気づかないうちに本来の自分はますます見えなくなってしまう。その俳優独自のオリジナルの演技なんてものは幻想に過ぎなくて、どこかで見たようなステレオタイプの安っぽい芝居が横行するというわけだ。

 このことは俳優というものが、妄想や自己分裂、模倣癖といった、人間が共通して抱える問題の典型例だというだけで、人は誰でも日常生活の中で何かを演じている。人生という三文芝居の舞台で社会的に与えられた役柄を演じるために、必死に何かを真似してありきたりの役作りをしながら、心の中では、これは本当の自分じゃない、本当に演じたい役はこんなのじゃないと叫んでいる。

「でも、とても上手な俳優でこれは他の人には真似できないという演技をする人がいるよね……」と相手がこちらの言葉を誘い出すように言う。

 本当にうまい俳優は、すぐにお里が知れるような単純な役作りはしないということだろう。誰かを真似したり、何かの影響を受けたりということは同じでも、それらをブレンドする調合の技術がより複雑で絶妙なんだと思う。でも、本当に優れた俳優というのはそうじゃない。逆に、そうして否応なく身についた様々なものを取っ払って引き剥がしていく。掛け合わせるんじゃなく、引き算しながら役作りをするんだ。
 知らず知らずのうちに身に纏ってしまった錆のような衣を一見そうとは分からぬ手際で一枚一枚剥ぎ取っていき、もう何も無くなってしまうと思われた刹那、素知らぬ顔で無垢という名の仮面を被ってしれっとしているのが優れた俳優なんじゃないかな。

 映画監督の小津安二郎はいかにも芝居じみた演技をする俳優を嫌ったそうだけど、それはつまり、二流三流の役者が賢しらに見せつけてくる役作りとやらに我慢ならなかったわけで、むしろ手垢のついていない、彩色前の人形のような姿かたちのまま、シナリオや映像の描き出す世界で存在することを彼は要求してたんだと思うな。

 そこで、寝顔にその人の本性が現れるのは何故なのか、という話に戻るんだけど、理由は二つあるような気がするなあ。
まず一つには、人は自分の眠る姿を見ることが出来ない。
二つには、人は他人の眠る姿もあまり見ることはない。

 アンディ・ウォーホールが、一人の男が眠る姿を8時間にわたって撮影した「スリープ」という映画があるそうだけど、そんなのは稀な例で、当の眠る姿を撮られた男だってその映画を全編見たかどうか知れたもんじゃない。
 では、他人の眠る姿を我々がどのくらい見るかといえば、それだってたかが知れたものだろう。
 ということで、こと眠っている状態の自分あるいは他人の姿について、我々はあまり分析するための材料を持ち合わせていない、ということが言えるだろう。
 そのせいかどうか、下手な役者がいろいろなパターンで寝ている演技をすることがあるけれど、そのいかにもという芝居はとても見られたものじゃない。

 人は自分の本当の《顔》も見ることは出来ない、と言われる。たしかに自分の顔を見るためには、鏡や写真、映像に写った自分の顔を見るしかないが、それは本当の自分ではないということだ。
 しかし、幸か不幸か、人は鏡によって自分の顔を見るという手段を日常に持ち込んでしまった。そのことが人間をどれだけ妄想や自己分裂の迷路に追い込んでしまったことか。ある者は水鏡に映った自分に恋したナルキッソスのようにおのが姿に執着し、ある者は自分の顔を否定するあまり自身の存在そのものをなきものとして他人になりすまそうとする。

 そうしたあらゆる自己矛盾や病理から無縁でいられるのが、唯一、眠る姿であり顔であると言ったら言い過ぎだろうか。
 眠る自分自身の姿を見ることが出来ないからこそ、あらゆることから自由でいられる。そうした状態で夢の世界を飛翔し、深い眠りの海に潜り込む時、人ははじめて仮面も衣も脱ぎ捨てた、無垢な顔を獲得することが出来るんだと思うな。……

 そんな私の話に納得したのか、あるいは疑問を深めたのかは分からないのだが、私の話し相手は深いため息をつく。
 そこには、そんな幸せな眠りから見放され、不眠症に苛まれ疲れ果てた私の顔を訝しげにじっと見つめる顔がある。……それは、鏡に映った私自身の顔なのだ。



仮住まい

2020-12-01 | ノート
 事情があって住み慣れた家を離れ、この何か月か仮住まいを続けているこの街は、坂の多い土地だ。いずれ元の場所に戻ることが分かっているからとはいえ、いつまでもどこか居心地の悪さを感じてしまうのは何故だろうか。このことは、人がその土地に愛着を感じるのはいかなる理由によるのかという問いかけにも通じることだろう。
 元来私自身は根無し草であり、その土地で何代も前から住み暮らしてきたという家柄でもなく、これといった縁故もなく、子どもの頃から転居を繰り返して落ち着くということがなかった。それでも、時にはどうしようもなくそこが好きだという場所を見つけることがあるのだ。
 それが何故なのかと問われれば、その街の空気であり、音であり、街並みの光景であり、その土地に刻み込まれた歴史であり、記憶であり、そこに住む人々の醸し出す体温のようなものとでも言うしかないのだが、しかし、それらを身に纏ってその街を歩く時に、それがどれだけ違和感なく身体にしっくりくるかという感覚はとても重要だと感じるのだ。
 
  ゆっくりと歩いて行く道の向こうに陽が沈みかける。
  その刹那、夕陽は輝きを増したようで、ぎらつく光が僕の目を眩ませる。
  それは、少年の胸から放たれた恋の矢であり、
  老人の薄れかけた記憶の中でいつまでも燻りつづける妄執でもある。



  頭上の高速道路を走る車の音が耳をつんざく。
  見知らぬ誰かに突然声をかけられたように不意を突かれて、
  思わず空を見上げたのは、何ものかの視線を感じたからだ。
  出会っていたかも知れない人との交錯とすれ違い、
  永遠に交わることのない時間を冷ややかに見つめ続けるその眼差し。




poetry note No.11

2020-08-27 | ノート


見慣れた光景が切り取られて非日常に変わる。
不穏な雲の間からぎらつく太陽が光を投げかけ、この街を見たことのない色に染めかえる。
青に灰色を混ぜたような空と建物の色のコントラストが物語を孕んで、私をけしかけるようだ。速く、はやく、逃げろ、逃げろと。
息を切らせ、よろめくように走りながら、
なぜか、ジャン・ギャバンが主人公の犯罪者を演じた映画「望郷」を思い出していた。
現代のぺぺ・ル・モコはこの街の何処にひそんでいるのか。

その男はこの街からの脱出を夢に見る。
それは叶わぬ夢だ。
この街のなかでだけ思いのままに振る舞うことを許された男。
かりそめの自由に絶望を感じ、
約束された死に希望を見出すかれは、
あらかじめ幽閉された犯罪者。
その女の香りはかれが捨ててきたはずの故郷の街を思い出させ、
そのまなざしはかれを死に導く。
差し伸べた両手に女をかき抱くことはできず、その影をつかもうと藻掻く手はいつまでも空をきるばかり。
条件つきの恋、不可能を宿命づけられた愛、
その成就のためにかれが選んだのは、一本のナイフ!

息を切らせ、よろめくように地べたを這いずり回りながら
私は夢に見るのだ。
現代のペペ・ル・モコはこの私なのだと。


poetry note No.10

2020-08-27 | ノート


水の底から見透かされているような、
雲の透き間から見下ろされているような。
不思議な時間だ。
たゆたう私は、その間を行ったり来たりしながら、
やがて蒸気となって消えていく。かげろうのように。
この川は遠い海につながっているし、
この空をたどれば地球の裏側にだって行けるはずなのに、
私はいつまでも橋のうえに佇んだまま。
何を見ていたのか。何が見えるというのか。

劇中歌

2020-08-16 | ノート
 昔の芝居には劇中歌がよく使われたものだ。今、思い返せば不思議なことだが、唐十郎にしろ、別役実、佐藤信など、当時よく見た大先輩世代の芝居にも必ず劇中歌が唱われていたものだ。
 その淵源を辿ることは私の手に余ることだし、このノートの目的はそこにはないのではしょるけれど、遡れば浅草歌劇やエノケン、ロッパの芝居にも歌はつきものだった。松井須磨子だって、「復活」の劇中で「カチューシャの唄」を唱って大スターの座を不動のものにしたのだ。
 そもそも、能楽、歌舞伎、文楽など芸能の源には歌舞音曲がその始まりから重要な要素としてあった、と思えば不思議でも何でもないのだろうが。

 前置きが長くなってしまったが、私が若い頃に出ていた舞台でも多くの歌が唄われた。そのほとんどは台本も手元になく、当然音源も手に入らない状態なのだが、今もって記憶に残って、折りにふれ歌詞とメロディーが頭に浮かぶ歌が一つある。
 それを記録しておきたいのだ。

 1974年頃だったろうか(何と大昔!)。当時、渋谷にあった天井桟敷館を借りて上演した舞台の劇中歌だ。私は、「企画集団逆光線」というところに旗揚げから所属していて、その歌詞は集団の主宰者で作・演出家の小和野清史さんが書いた。作曲は故・山田修司さん。 芝居のタイトルは「微睡みのコラージュ」だったか。
 いつもは作・演出の小和野さんが物語性とメッセージ性に富んだ戯曲を書き、それを上演するのが集団のスタイルだったのだが、その時の舞台は、俳優たちがやりたいシーンのアイデアや台詞の断片を持ち寄り、文字通りそれらをコラージュして創り上げるという方法を試してみたのだ。
 ただ、それだけではまとまりがないので、個々のシーンをつなぐサブストーリーを小和野さんが書き、そこに登場するのが以下の歌なのである。
 メロディーを聞かせられないのがとても残念なのだが、とっても良い歌です。
 タイトルはあったかなかったか、仮に『電話ボックス』としておきます。

♪♪
 どこの街に行っても 立っている
 一途な個室 電話ボックスよ
 どこの公園にもある ベンチのように
 もう わたしのことを忘れてくれるといい

 どこの街に行っても 待っている
 一途な個室 電話ボックスよ
 どこのホテルにもある ベッドのように
 もう わたしのことを忘れてくれるといい


poetry note No.9

2020-08-16 | ノート
朽ちかけた樹の根元にも生命はひそんでいる。
生きてさえいればどうにでもなるよ、と囁かれたような気がした。
明日のことばかり気にしたってしょうがないよ。
いま、この瞬間を一生懸命生きるんだ。

75年前の夏を思う。75年という時間を思う。
幾人ものひとが死に、幾人ものひとが生まれ、みな必死に生きた。
死は終わりを意味しない。
その生きた時間はこの蒼空に充満し、この地上に堆積し、
人々の心にとどまり、朽ちかけた樹の根元にもひそんで、
いまを生きるぼくたちを鼓舞する。




poetry note No.8

2020-08-16 | ノート
青い空を鋭角な線が区切り、くっきりと迷いのない輪郭を描く。
樹々の葉むらは風にあおられ、ゆらぎ、形は一向に定まらない。
そのどちらが好きだとか、正しいとか、自分に問いかけてみるのだけれど、それは仕方のないことだ。
そのあいだにたゆたう空気は夏の日射しに沸騰して屈折する。
そこに光は見えているのに、
めまいがしたのは、あんまり上を見すぎたせいだな。



詩、のようなもの No.7

2020-08-09 | ノート
こっちに来ちゃいけないよ、危ないからね。
子どもが見てはいけない世界。
子どもが知ってはいけない世界。
子どもが知っているはずのない世界。

日盛りの太陽に首筋を焼かれながら、
少年が蟻んこの巣穴を見つめている。
鼻孔をひくひくとふくらませ、大粒の汗と涙に顔じゅうを濡らしながら。
偏愛と憎悪はうらはらで、被虐と嗜虐は紙一重。
少年の夏は残酷だ。
孤独と引きかえに、きみは何を手に入れる?

おかあさんがいなくなってしまったんだ。
おかあさんはどこに行ったのかな、ぼくを置いて。
おかあさんはもうすぐ帰ってくるよ、
きみの妹か弟を連れて。
もしかしたら、新しいおとうさんも一緒かな。

ぼくがほしいのはそんなんじゃないよ、ぼくがほしいのは。
握りしめた虫メガネは、逃げまどう蟻んこたちを焼きつくすためのもの。
ポケットの虫ピンは、眠る虫にとどめを刺すためのもの。
みすぼらしい標本箱のなかで虫の屍骸は光り輝く、きみの孤独と引きかえに。
少年の夏は残酷だ。
それはやがて、甘美な思い出になる。