seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

尊厳と我慢

2012-11-24 | アート
 「たった一人の中庭」は、ヨーロッパ各地にいまも点在する移民キャンプの問題を扱った作品だが、先日の日曜、その公演(=展示)のことを思い出しながら何気なく見ていたテレビの「日曜美術館」で、東京藝術大学美術館で公開中の「尊厳の芸術展~THE ART OF GAMAN」を特集していた。
 すでに数年前、アメリカ・スミソニアン博物館で開催された同展のことは日本でも大きな話題になっていたようだが、私は初めてその展覧会のことを知ったのだった。

 それは、太平洋戦争のさなか、12万人を超える日系アメリカ人たちが人権を剥奪され、アメリカ全土11か所の強制収容所で不自由な生活を強いられていたなかで、彼らが、拾い集めたゴミや木切れ、木の実や貝殻などから工夫して作り上げた日用品が展示された異色の展覧会なのだ。
 いつ果てるとも知れない収容生活の不安と苦悩の中で作られた手づくりの杖やブローチなどのアクセサリー、表札、置物、ガラスの破片で石を削って彫り上げた硯などは、信じ難いほどの精巧なデザイン性と美しさに溢れている。

 収容所内には、カリフォルニア大学バークレー校の教授だった男性の呼びかけでアートセンターが創設されたところもあったというが、生きることへの意志に満ちたそれらの作品は、極限状況下の人間にとっての芸術の意味、人を人たらしめ、生かすものは何なのかということを現代社会の私たちに強烈に問いかけてくる。
 ある作品の作者の遺族が語った言葉は、まさに彼らの心の声を代弁していると思えた。

 「何もかも奪うがいい! だが、私たちの知識も技術も、想像力も奪うことはできないぞ!」
 鋭く、重い言葉である。
 何もかも失ったなかで、芸術の意味が浮き彫りにされるなどと、言うことは簡単だけれど、果たしてその言葉の本当の重みを、私たちは受け止められるのだろうか。


重い言葉

2012-11-21 | 言葉
 新聞のコラムを読んで涙することなどめったにないのだが、何日か前の日経新聞春秋欄に紹介されていた森光子の言葉にはなぜか胸が熱くなってしまった。

 歌手の松任谷由実の対談集「才輝礼賛」に収載されているそのくだりは次のようなものだ。
 松任谷由実が訊ねる。
 「(私は)こんなにステージをやってきて、お客さんも喜んでくれているけど、この先に何があるんですか」
 それに対して森光子が答える。
 「飽きないでください。それだけでいいです」
 34歳年長の女優の言葉にユーミンは、「ズッシリ受け止めました」と応じた。

 「ズッシリ受け止め」ることができたのは、それを発したのが、40歳を過ぎてようやく主役の座をつかみ、その後40数年をかけて「放浪記」という舞台を2000回も演じ続けた森光子だからであり、それを受けたのが20歳そこそこのデビュー以来、30数年も第一線のステージに立ち続けてきた松任谷その人だからである。
 私のように飽きっぽく、何もかも中途半端な人間にその本当の価値は分からないだろう。
 松任谷由実が「ズッシリ受け止めた」その言葉の意味は重い、と素直に思う。

夢の城/ポツドール

2012-11-20 | 演劇
 17日(土)、ポツドールの「夢の城 – Castle of Dreams」を観た。作・演出:三浦大輔、場所:東京芸術劇場シアターウエスト、主催:フェスティバル/トーキョー。
 本作は、三浦大輔氏が「愛の渦」(2005年)で岸田國士戯曲賞を受賞した直後に発表されて以降、海外での再演が続き、今回は6年ぶりの再演にしておそらく国内では最終公演になるだろうとのこと。

 とあるアパートの一室で暮らす男女8人の若者が、酒とケンカ、怠惰で無気力な眠りと果てしのない交合、テレビゲームに明け暮れる獣のような生活のほぼ24時間が台詞の一切ない無言劇として描かれる。
 それを観客は部屋の窓から覗き見する者のようにして観るのだが、その希望も絶望も人間らしい感情すらも失われた荒涼とした光景には胸を衝く力がある。
それは野生の猿たちが集団生活しながらも、我先に力づくで食べものや水を奪い、欲望を吐き出すのと変わらない。
 この若者たちの生態は一体何の暗喩であり、この作品は何を表現しようとしているのか、という陳腐な問いかけが当然観客の心にナイーブに投げかけられるだろう。
 そうやって観るうちに、次第に彼らが現代日本の、それも東京とおぼしき大都会の片隅で懶惰に生きる若者たちなどではなく、神話が生まれる以前の、太古の、言葉をまだ持たない時代のわれらが先祖の姿とも思えてくる。スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンに出てくる類人猿たちの姿とも二重写しになって、むしろそれらは神々しさをすら感じさせる。

 それにしてもそもそも「人間らしさ」とは一体何だろうか。人間が人間であるとは、いかなる条件付けのもとに定義づけられることなのか。
 この舞台で描かれるのが、無気力で人間らしさを失い、欲望のままに生きる獣めいた若者たちであるなどと誰が断定できるのか。
 それでは、「レヒニッツ」において友愛パーティのさなかにその余興として200人ものユダヤ人強制労働従事者を容赦なく殺害した裕福なナチ党員たちは「人間」らしいのか。
 「たった一人の中庭」において、移民キャンプの存在を隠微しようとする者たち、情報を操り、見えるものを見えないものにしようとする者たち、あのダンスに興じる白いモンスターたち、あらゆる戦争とテロ、差別や貧困に加担するものたちは「人間」といえるのか。
 このように振り返ると、今回のF/Tで上演されるいくつかの演目がそれぞれ個別の意味を持ちながらもひとつながりに見えてくるのが分かる。プログラム・ディレクターによるキュレーションの成果であると感じる。

 「夢の城」は、若者たちの生態を時に極度に拡大し、増幅し、引き伸ばし、反復しながら、優れた演劇のみが持ち得るリズムを舞台上に醸し出す。それは痴態に充ちた乱交シーンや諍いの場面、テレビゲームの同じ画面が幾度も執拗に繰り返される場面にもあらわれ、何とも言えないコミカルな味わいを感じさせる。卓抜に計算されつくした演出の力である。
 ヨーロッパ公演ではこれをダンスと見做した批評もあったそうだが、たしかに退廃と倦怠を描きながら躍動する肉体を観る者は感じるだろう。

 ラスト近く、一人の女がキッチンに向かい、野菜を刻む音が違和感をもたらす。何かの変化の兆しを観客は感じずにはいられない。
 そして最後、女の小さく長い泣き声、嗚咽の音が舞台に満ちるのだ。それは、この時代そのもの、世界そのものの泣き声なのか。
 その声を振り切るように、二人の男が素裸になり、スピードスケートの選手を模したポーズでゆっくりと部屋の中を周回する。
 その時、午前も3時を過ぎ、テレビではNHKの放映終了の合図である、あのよく見慣れた日の丸国旗のはためく画面と君が代がおごそかに流れるのだ。その国歌は若者たちの全身を包み込んでいく……。
 これを切れ味のよい演出と見るか、いささかあざとさが目立つ演出と感じるかは人それぞれだろうが、この瞬間、舞台は私たちの生きる現代の世界=日本を丸ごと描き出す批評性を獲得したのだ、と思える。
 「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンのタイトルは「人類の夜明け」だったが、「夢の城」のラストシーンに流れる君が代は滅びゆく人類への挽歌、黄昏の歌なのだろうか。
 この対比はぞくぞくするほど面白い。

たった一人の中庭

2012-11-18 | 演劇
 にしすがも創造舎におけるフェスティバル/トーキョーの主催演目の一つである、ジャン・ミシェル・ブリュイエール/LFKsによる「たった一人の中庭」を10月28日(日)と11月2日(金)の2回にわたって観ることができた。
 28日は暗い雨の降りしきる中、2日はよく晴れた日の夜であった。
 廃校施設を転用した「にしすがも創造舎」の旧校舎の地階にある特別教室と3階の教室全部、そして別棟の体育館すべてを使ったこの演目は、演劇とも巨大な美術作品とも言いようのない、様々な芸術領域を軽々と越境しながら、まさにこの場所でしか「上演」し得ない表現=作品なのだった。
 人々はこの場所を経巡り、異次元空間を流れる時間の中に突如紛れ込んでしまったような感覚に身を委ねながら、観客として、時には自らが観られる客体として作品の中に入り込みながら、この展覧会形式の演劇を体験するのである。
 演劇版3D体験とでも言えばよいのか、ジョルジュ・デ・キリコの絵の中に入り込んでしまったような、舞台美術のひとつに自分自身が同化してしまい、目の前で、すぐ横で、背後で、何かが起こりつつあるという不思議な感覚……。
 ジャン・ミシェル・ブリュイエールは、映像作家、作家、美術家、演出家、写真家、グラフィック・デザイナー等々、複数の顔を持つアーティストとして紹介されているが、たしかにそうした多面的な才能が、多様な人材からなるアーティスト集団であるLFKsと結びついてこれらの場の磁力が生み出されたのだと感じる。

 ヨーロッパでは、今この瞬間にも数万人規模の人々が、300か所ものキャンプ=難民収容所隔離されているという。不法滞在者やロマ族が暮らす移民キャンプ……。
 「たった一人の中庭」はその実態をアーティスティックな視点で再構成した作品である。

 描き出されるのは、インターネットラジオから流れる音楽に合わせて踊りに興じる白いモンスターたちであり、元家庭科室では何千個もの白い卵が部屋中に増殖して溢れ出し、元理科室では首のない白いトルソーたちが入浴する中を水道の蛇口から断続的に流れる水がリズムを刻む。
 体育館に設えられた野営キャンプを思わせるテントの中では、一人の痩せこけた黒人移民を強制送還するための作業が延々と繰り広げられている。時折ラジオから流れる音楽に合わせた白い防護服の男あるいは女たちの踊り、そして料理と給仕、健康診断といった手続きが長大な、スローモーションのような緩慢な動きとともに展開される。
 そこを抜けると、広大な体育館の床いっぱいに白い繭玉のような雪が堆く積もった中に無人の何十台もの電動ベッドが整然と並び、それらはゆっくりと上下しながらダンスする。
 その傍らでは、機械仕掛けの電動アームの先に取り付けられた筆が巨大な抽象絵画を描き出す。筆の先から滴っているのは、動物かあるいは誰か殺された人の血のようでもある。

 私はこの光景を見ながら、カフカの小説「流刑地にて」を思い出したけれど、今になって思えば、筆から滴る血は、東京芸術劇場で観た「レヒニッツ(皆殺しの天使)」で虐殺された人々の血につながっていたのである。
 単純な図式としては、レヒニッツが加害者の視点に立つとすれば、「たった一人の中庭」は抑圧される者の視点に立つとも言えるのかも知れない。
 この2つの作品は対になっているのではないか……、というのが私の感想だ。
 それにしても「中庭」とは何だろう。

 カフカの書いたある断片を思い出す――。
 屋根裏部屋で本を読んでいたひとりの学生が、中庭のほうから大きな悲鳴のような声がするのを聞く。「たぶん耳の錯覚だ」と、学生は独り言をいうが、ややあって、本の文字が凝縮し変形すると「錯覚ニアラズ」と読めた。「錯覚なんだよ」と、彼はくりかえして、不安定に動揺している行を、人差し指でなぞってもとに戻してやった。
      ~カフカ・セレクションⅠ 時空/認知「三軒の家がたがいに接していて」より

 さらにもう一つの断片――。
 それは夏の暑い日だった。妹と一緒に家へ帰る途中、あるお屋敷の中庭の戸口の前を通りかかった。思い上がった悪ふざけだったのか、ただ放心してぼんやりしていたせいなのか、よく判らないのだが、妹がその扉を叩いた。……
 ……部屋は農家の一室というより、刑務所の独房に似ていた。大きな石の張り詰められた床、寒々とした灰色の壁。そこには鉄の輪が埋め込まれて吊り下がり、中央には裸の寝台とも見え、また手術台とも見える大きな机が置かれていた。
 ……私には牢獄の空気ではない空気の味が、まだわかるのだろうか? これは大きな問題だ。いや、もし仮に赦免の可能性があるのなら、それが大きな問題になるだろう、ということなのだが。
            ~カフカ・セレクションⅡ~運動/拘束「中庭への扉を叩く」より

 もう一つ、筆の先から滴る血は、一人の青年に惨殺されることになる老婆の血をも思い出させる。

 ……ちょうどそのとき、下の中庭のほうで、だれかの叫び声が響きわたった。
 「六時はとっくにまわってるぞ!」
 「とっくにだと! しまった!」
 ……猫のように注意深く足音をしのばせながら、ラスコーリニコフは十三段の階段を降りはじめる。……そして彼は庭番小屋から、例の一人の老婆を打ち殺すことになる斧を盗み出すのだ。
 〈こいつは理性じゃない、悪魔のしわざだ!〉

 私は体育館を出ると、月に照らしだされた校庭=中庭に一人佇んだ。
 言いようにない静寂があたりを包み込み、私は私を見つめる何者かの眼差しを背後に感じていた。

レヒニッツ(皆殺しの天使)

2012-11-14 | 演劇
 11月9日、フェスティバル/トーキョーの主催演目、「レヒニッツ(皆殺しの天使)」を観た。作:エルフリーデ・イェリネク、演出:ヨッシ・ヴィーラー、製作:ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場、会場:東京芸術劇場プレイハウス。

 第二次世界大戦の終結も間近なある夜、オーストリア=ハンガリー帝国国境付近のレヒニッツ村の城で、ナチス親衛隊、ゲシュタポ、地元ナチ党党員による「友愛パーティ」が開かれ、その最中、パーティの余興として200人弱のユダヤ人強制労働従事者が虐殺された。
 本作はその酸鼻を極めた事件をもとに、ノーベル賞受賞作家エルフリーデ・イェリネクが書いた戯曲に基づく作品である。
 舞台上には5人の「報告者」が登場し、事件の詳細を語ろうとするが、彼らの証言は、重複や脱線を繰り返し、語り手が誰なのか、どの立場の者(=加害者、被害者、観察者)なのかさえあやふやなまま、矛盾を孕みつつ迷走する。

 この事件は、戦後、捜査の最中に目撃者が殺害されたこともあり、銃声や撃たれた人々の悲鳴については人々の口から口へと伝えられながら、真実は闇の中に深く隠微されたまま沈黙の壁によって遮断されているという。
 イェリネクは、多言語を用い、言葉を不規則に分解し、膨張させ、饒舌にお喋りを続けながらも真実を語らないことで沈黙を貫こうとする人々の状況を焙り出す。

 プログラムに書かれたドラマトゥルクのユリア・ロホテの言葉――、
 「……第二次世界大戦の被害者・加害者・目撃者が刻々と減っている中、今日の報告者の証言に関する状況はどのようなものになるのだろうか。
 歴史は引火点であり続ける、それを消し去ることはできない。誰かが消し去ろうとすればするほど、それは燃え上がる。……」

 この舞台を観ながら、例えば現在の日韓両国をめぐる状況、従軍慰安婦に関する様々な言説を想起することは容易だろう。証拠がないから事実がなかったのではないということを、歴史に向き合う中で私たちは真摯に考え続けなければならない。

 さて、そうは言いながら、この舞台、言葉が一切分からない私のような日本人観客にとって、これをどのように受け止め、評価するかは難しい問題だ、というのが正直な感想だ。
 言葉の意味は字幕によって知らされるけれど、それが省略によるものなのか、意訳なのか悪訳なのか、原文に忠実ゆえの意味不明さなのか、咀嚼できないまま苛立ってしまうのだ。
 以前、作家の故・丸谷才一氏が、2011年4月、シアターイワトでの公演「演劇でもオペラでもない、作品でさえないこころみ」に立ち会っての感想を書いていたのを思い出す。確か今年の1月、ピアニストの高橋悠治氏の著作に対する書評の中での感想だ。
 「感覚の斬新と趣向の妙と豊かなエネルギーに熱中したり、疲れ果てたりした。」と作家は書くのだ。
 「文学の場合と違い、パフォーミング・アーツは、テクストを読み返したり、飛ばし読みしたりするわけにはいかない。そういうジョイスやプルーストやカフカの読者の特権はわれわれには与えられていないから、芸術の新しい形態や方向を探求することの当事者となる者、すなわち享受者の責任の取り方はむずかしい。」

 文学者と舞台芸術家の感性の相違を面白く感じながら、おそらくはつまらなかったのだろうと思われる舞台の感想をさすがにうまく表現するものだなあと感心したものだが、この「レヒニッツ(皆殺しの天使)」を観ながら、私はそんな言葉を思い返していたのだった。


劇場が消える日

2012-11-08 | 文化政策
 劇場にとって、いつか閉鎖される日が来る、というのは宿命なのだろうか。
 東京・表参道の「青山劇場」と「青山円形劇場」が2015年3月末で閉館することが発表され、さらに都心の「ル・テアトル銀座」も来年5月末で営業終了することが決まったと報道されている。
 いずれも施設の改修費や更新費用の見込みがたたないことが理由であるという。
 青山の劇場は厚生労働省が主管する公益財団法人児童育成協会の運営、銀座の劇場はかつてセゾン・グループの文化戦略の中核拠点であったが東京テアトルに所有権が移り、パルコが委託を受け運営しているという違いはあるものの、どの劇場も高い稼働率を有し、わが国における舞台芸術の進展に大きく寄与した実績を誇るという点で共通している。
 地元の渋谷区議会では閉館見直しを求める意見書を全会一致で議決、演劇関係者が存続を呼びかける署名運動も始まったそうなのだが……。

 これほど多くの人々に愛され、惜しまれる公共財産でありながら消えゆく運命にあるのは何故なのか。何年か前にも関西にある数多くの劇場が閉鎖されるニュースが駆け巡っていた。
 どれほど優れた舞台芸術を生み出した劇場であっても所詮経済効率の前には無力でしかないこの現実を私たちはどのように考えればよいのだろう。文化的波及力などといったところで、結局現下の経済低迷の折、財政難を理由にした仕分けの前には為すすべもないのか。

 もっとも、私のような根っからのアングラ俳優にとって、このたびの騒動は結局遠い世界の話でしかない……、といささか斜に構えた物言いをしたくなってしまう。
 ル・テアトル銀座の前身である銀座セゾン劇場ではいくつもの優れた舞台を観たし、玉三郎の舞踊とバリシニコフのバレエのコラボレーションした作品や、デヴィット・ルヴォーの演出で松本幸四郎がマクベスを演じた舞台は今もはっきりと覚えているし、青山円形劇場でもたくさんの忘れ難い作品がある。
 ただ、青山劇場にはとんと縁がなかった、というか、私が関心を持つ作品が上演されていなかったというだけのことで、これは単に趣味の問題でしかない。

 要は、その程度のことなのだ。たしかにもったいないとは思うけれど、これらの劇場がなくなったからといって世界が崩壊するわけではないし、この世から演劇が消えてなくなるわけでもない。
 相変わらず渋谷駅前の交差点では芝居など一度も見たことがないような群衆が押し合いへし合い行き交っているだろうし、新しくオープンした劇場では昨日の劇場のことなどすっかり忘れて、新たな観客を呼び込むための宣伝に躍起になっていることだろう。
 あまりにひねくれた考えと言われてしまうかも知れないが、この変化とイノベーションの時代に「劇場」だけがいつまでも「不変の価値を保つ」などと思い込むのはそれこそ時代錯誤のお笑い草である。

 一方、国民はその国民のレベルに相応しい政治家しか持つことができないという意味の言葉があったと思うけれど、劇場もまたしかり、なのだ。
 その国の本当の姿を知るためには、その国の文化芸術や劇場を見れば一目瞭然であることは確かだ。
 いろいろなことを考えてしまう。
 不思議ではないか。今にも消えてしまうという今になって大騒ぎする前に、世の演劇人とやらはその劇場のためにこれまで何をやってきたのだろうか。劇場がこの世界にとってなくてはならないのだと人々に知らしめるためにどんな働きかけをしてきたというのか。
 意見書を採択した渋谷区議会の議員さんたちはこれまでに何度これらの劇場に足を運んで舞台を観たのか。
 劇場の経営者は、将来の大規模修繕に備えて基金を積むといった努力を何故してこなかったのか。
 劇場建設のコンサルタントはいるけれど、劇場経営のコンサルタントがいないのは何故なのか。
 演劇評論家は数多くいるが、劇場評論家がいないのは何故なのか。
 劇場で過ごした時間が人生を豊かにしたと本気で語る人がいないのは何故なのか。
 世のビジネスマンたちは株価の上下に関心を持つように、何故昨夜の舞台の出来栄えを話題にしないのか。
 社会保障や消費税の動向と同じように、政治家たちは、人々は、劇場で上演される舞台作品のことを何故語らないのか。

 結局、教育の問題に行き着くのかも知れないのだけれど、演劇にとどまらず、芸術というものが、人生にとって、日常の生活にとっての必需品であることを知ることは、あらゆる人々にとっての権利なのだ。
 その権利を保障し、確認するためにこそ劇場はある……のかも知れない。
 すべての小中学生、高校生が月に一度は劇場で舞台を楽しみ、議論し、批評しあう時間を持つべきだ。
 あらゆる大学が、劇場に行くことをカリキュラムに取り入れるべきなのだ。
 新設大学の認可で物議を醸す前に、文科相にはやるべきことがある。

ザ・チーム

2012-11-06 | 読書
 齋藤ウィリアム浩幸著「ザ・チーム~日本の一番大きな問題を解く」を読んだ。
 著者はロサンゼルス生まれの日系2世。高校時代にI/Oソフトウェアを設立。若手起業家として数々の成功と失敗を重ねながら、指紋認証など生体認証暗号システムの開発で成功。2004年、会社をマイクロソフトに売却後、日本に拠点を移し、ベンチャー支援のインテカーを設立。2012年に国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の最高技術責任者と国家戦略会議フロンティア分科会「繁栄のフロンティア」委員を務める。

 この本の第一の特徴は、日本が抱える根本問題を「チームがない」ことであると喝破したことにある。
 耳を疑うような指摘で、「だって、チームワークは日本のお家芸のはずではないか」と私も思ったものだが、この本を読み進むうちになるほどと納得させられる。
 日本はいつのころからか、何かを解決する、何かを生み出すための組織ではなく、与えられたこと、決められたことを間違いなく処理するための組織、何かを守るための組織になっていたのだ。
 著者は、数多くの官庁、民間企業、研究機関を訪れる中であることに気づく。それは、官民を問わず、日本の組織がどれも驚くほどそっくりなことだ、と言う。
 前例のないことや新しい試み、リスクのあることを極端に嫌い、失敗を許さない風土。稟議システムや何も決めない会議など、コミュニケーションの膨大なムダと仕事のルーティン化によって、組織の硬直化が進んでいるとの指摘である。
 本来、日本人はチーム好きのはずだ。男女のサッカー日本代表など素晴らしいチームが存在する。ところが、日本全体を見渡すと、チームの姿が見えなくなってしまう。目につくのは伝統的な組織だけだ。立派な組織がたくさんあるが、しかし、それらは単なる「グループ」であって「チーム」ではないのだと著者は言う。
 いまの日本にあるのは、同質な人の集団であるグループばかりで、異質な才能が、ある目的の下に集まって構成されるチームがないことが問題なのだ、と言うのだ。
 グループは、あらかじめ決められた目標を遂行するために集められる。これに対し、チームでは互いに助け合い、補い合うことで目標が達成されることをメンバーが理解している。メンバーは仕事をさせられているというのではなく、自分が主体的にやろうというオーナーシップを持っている。自由に意見を言い合い、衝突することを怖れないばかりか、むしろアイデアが生まれるチャンスと見る。

 では、その日本が抱える問題解決のためにどうすればよいのか、チームを作るためにどうすればよいのか、ということについては本書を読んでいただきたいのだが、何よりも重要なのが、補完的なスキルを持った異質な人材でチームを構成すること、とりわけ女性の登用が重要であるという点は傾聴に値する。
 たとえば、技術はあるが、資金も人員も限られているベンチャー企業では、内外の人とコミュニケーションできる能力がなにより大切であるが、その能力を持った人を探そうとすると、つまり女性になるというのだ。
 
 もう一つ、チーム作りにとって必ずしも天才的な人材は必要ないということも重要な視点だろう。
 日本のソフト製品が、一人の天才プログラマーによって8、9割書かれているのに比べ、アメリカでは平均的な力量のプログラマーが5、6人でチームを組んでプログラムしているという。誰かが一人欠けても、この交代要員はすぐに手配できる。チームになっていない日本のやり方では、天才が抜けると仕事が止まってしまう。

 要は、「チーム」の文化をいかに作り、根付かせるかということがわが国の抱える根本問題の解決に求められる大きなポイントなのである。
 それはあらゆる組織の問題にあてはまる。行政や企業、NPOに限らず、家族や地域社会など小単位の組織の課題解決のためにも、本書は大切な示唆を与えてくれるようだ。


音楽のちから

2012-11-05 | 音楽
 10月26日、東京芸術劇場コンサートホールでの国際親善交流特別演奏会(日本音楽文化交流協会主催)を聴いた。指揮:及川光悦、演奏:モーツァルト・ヴィルトゥオーゾ祝祭管弦楽団。
 この演奏会は、障害者週間における演奏会という意義を持ち、さらには東欧音楽家支援、東日本大震災チャリティーコンサートと位置づけられ、障害者やボランティア団体、養護施設の子どもたちや高齢者が多数招待されている。
 駐日セルビア共和国大使、駐日ブルガリア共和国大使、駐日スペイン大使の3人が打ち揃ってのオープニングののち、それぞれの国の若手演奏家をソリストに招いた曲が演奏されるという趣向である。
 スッペ作曲:喜歌劇≪軽騎兵≫序曲にはじまり、ベートーヴェン作曲:ピアノ協奏曲第1番、サン=サーンス作曲:ヴァイオリン協奏曲第3番、ラフマニノフ作曲:ピアノ協奏曲第2番といった親しみやすい曲目が並ぶ。
 この演奏会自体、音楽を通した文化交流とともに、あらゆる人々にクラシック音楽を届けたいという趣旨から、堅苦しいことは抜きに音楽を楽しもうという好ましい雰囲気を持っている。
 したがって、演奏の始まる直前になっても場内がざわめいていようが、誰かが奇声をあげようが、楽章の間に拍手が起ころうが、指揮者も演奏者もそれを柔らかく受け入れながら演奏する様が好ましい。

 そんな演奏会を楽しみながら、こうしたクラシック音楽が私たちに訴えかけてくるものの本質は果たして何なのだろうかということを考えていた。
 音楽それ自体が具体的な何かを訴えるわけではもちろんなく、メッセージとして明示された何かを伝達するわけでもない。
 もっと言うならば、社会的、政治的、経済的存在として現代の情報社会に生きる私たちにとって、これら音楽の演奏はいかなる意味を持つのだろうということを考えたのだった。
 結局のところ、その答えはその音楽のただ中にいる聴き手一人ひとりの心の中にしかないのだけれど。

 1816年、モーツァルトの弦楽五重奏第4番を聴いた19歳のシューベルトは日記にこう書き記しているそうだ。
 「……これらの美しい印象の断片は、僕らの魂の中にいつまでも残り、時が経ち、境遇が変わっても、決して拭い去られることなく、僕らの日々の生活に限りない恩恵を与え続けるだろう」(實吉晴夫編訳「シューベルトの手紙」)

 ラ・フォル・ジュルネの芸術監督ルネ・マルタンは脳科学者・茂木健一郎との対談の中で次のように言っている。
 「すばらしいクラシック音楽に一度出会った人は、もう、後戻りはできない。それを知る以前の状況とは、全く違っていると思うのです」

 こうした言葉をいくら書き連ねても音楽を語ったことにはならない。それゆえの掛け替えのない価値が音楽にはあるのだろう。
 アメリカの酔いどれ詩人チャールズ・ブコウスキーもまたクラシック音楽を愛した。「死をポケットに」の中でブコウスキーはその日記にこう書きつける。
 「ラジオからはマーラーが流れている。彼は大胆な賭けに出ながらも、いともやすやすと音を滑らせる。マーラーなしではいられない時がある。彼は延々とパワーを盛り上げていってうっとりとさせてくれる。ありがとう、マーラー、わたしはあなたに借りがある。そしてわたしには決して返せそうもない。」

 私たちの人生は幾多の困難の中にある。生き難いと思うことの多い日々の生活のなかで音楽と出会うことの意味は計り知れない。